休職した! 何故そんな事になってんの?
こんにちは! 失踪癖持ちぼすきー管理(出来てない)人!
イカロです!
この記事は「ぼすきー Advent Calendar 2025」の参加記事です。
今年は みそさんが主宰なのかな?
何度目だ失踪
完全崩壊
今年の2月頃から、メンタルも肉体も決定的に崩壊して休職し、心療内科にだけ通って気絶していた。
その事自体はモデレータの皆さんには明かしていたし、別にそれを公開しても構わないつもりだったのだが、その意思を具体的に伝え損ね、配慮して頂いた結果、ぼ民の皆さんにはイカロの状態は「謎」のままだったらしい。
モデレータとの通話で「あはは~、休職しちゃったけど時間だけはあるからやりたい事が出来そうですわ~☆」などと元気そうに言っておきながら、通話終了後、文字通り布団にドサッと倒れこんでその後しばらく何も出来ない状態に。
2023年の時点からたびたび失踪していたが、本当の限界が訪れてしまったという感じ。
元気な振りすんのやめろ。
僕は「何もしない」を毎日やってるよ
「何も出来ない」について話すが、これは純度高めの「何も出来ない」だったと思う。スマホは見れず、食事も面倒なのであまり摂らず、髭も剃らず、風呂はもちろん面倒なので入らず、お茶を飲んでトイレ行く以外は布団で薬飲んでボーッとする、みたいな生活だった。
多少回復してからは、歌詞の無いインストの音楽を聴いたり*1、高校や大学の教科書や資格の参考書を読みなおしたり*2していた。
単に動画を観たり、観る動画を選ぶ事も苦痛だったのでニコニコは観れないし、SNSで他人の発言を見たりニュースを観るのもかなりダメだったのでなんかラブリーな草とか花とか専門書とかばかり見ていた。
更に少し元気になってSteamの積みゲーをオフラインで消化してみたりしようとしたものの、あんまり集中力が続かず、少しプレイしては寝ていた。風呂には入るようになった。清潔!
妻や両親とも色々あったが、最終的には私の味方でいてくれたので恵まれていたと思う。
なんやかんや数か月もお薬を飲んで休んでいれば回復するもので、少しずつ家の手伝い(農作業/家事)をしたり、福祉関係の書類申請を出せるようになったりした。社会復帰!
6/1の「つのせのせかい」*3は、1月の時点で飛行機を予約していたし、声音の後に「行きますよ」とウボァーさんに約束していたので、頑張って行った。
人と話すのが真剣に厳しかったし、モデレータの皆さんに管理の丸投げをしていた罪悪感が凄かったので緊張で死にそうになっていたが、約束は約束だし、そろそろ少しでも創作の熱に触れたかったので、誰にも挨拶せず本だけは買いに行った。
イカロの顔はぼすきーの人にはある程度知られてはいるのだが、6月は完全にヒゲモジャで痩せており、眼鏡もあえて外していたので流石に誰にも気付かれなかった*4
金は無いけど心配するな(こち亀)
休職して給与を得る事は出来なくなってしまったが、福祉に繋がったり家族に支えられたりで随分と安定している。先行きは不透明だがなんとでもなりそうだ(のんき)
あんまり頼りたくはなかったのだが、結局はニコニコのクリエイターサポート経由での事実上のカンパにも支えられている。感謝。おかげさまで生きております。でも義務とかではないのでほどほどで大丈夫です。
「ぼすきーのサーバー代を払っていて大丈夫なのか」と心配をしてくださる人もいると思うので、これについても述べておくが、サーバーの費用はプランを見直して向こう1年分を先払いしたので、少なくとも2026年12月までは心配無用だ。
任務未完了、機体が燃え尽きました
去年、2025年のアドベントカレンダーに、今年のアドベントカレンダーに書く内容の予定について書いておいた。
①:2025年に投稿した動画(10本以上)の裏話
②:その実践の過程で、2024年の記事をどのように発展させる事が出来たか。
③:何を発見したのか
これは「2025年には最低10本動画を投稿しま~す」という大口を叩く宣言だ。
私はこれを覚えている。そしてその達成に失敗した。ごめん。
また、ぼすきーの管理に関しても「ほどほどに続ける」すら達成出来ているとは言えないだろう。多くの人を困らせ、失望させたと理解している。
良し悪しは置いといて、事実として、私はモチベーションの出し方として以下のようなスタイルを取りがちだった。
- 「まず達成が困難そうな大口を他人に言う」
- 「必死でそれを現実にする」
他人の目線と、信用の重みと、見栄で自分の背中を押して前進する。
どうも、私という人間は、自分の心の中にある情熱だけでは大した事を達成出来ないらしい……けれど、他人を巻き込めばどうやら少し遠くまで走れるみたいだ。こりゃ便利!!
私は自分のやる気の制御のため、この性質を自覚的に多用していた。
動画を投稿する際は、投稿祭企画に参加するようにして締め切りを作った。
少人数企画では、具体的にどういう動画を投稿する事で誰がどう嬉しいか、どう驚くかという事を考えてからリソースをつぎ込んだ。
職場では、ちょっとくらい困難な課題でも「これくらいなら問題無いです」と回答し、時間と労力でカバーした。*5
困ってる同僚がいたらフォローする役割に毎日数時間を費やした。
他人想いで偉い? 客観的にはそうかもしれない。しかし主観的には全然そんな意識ではなかった。では私は何を考えていたか?
「こうしていると自分が高性能になったみたい! 楽しい~!!」
賢明な皆様ならお気付きかもしれないが、これは構図としてはドーピングに近い。
もちろん、その点についても私は自覚的だった。なので「いやいや、無理をしすぎると流石にヤバい」「賢く調整して長続きさせなければ」「まあでも、これくらいならイケるか……?」と調整していたつもりだった。
振り返ってみれば……全然上手く調整なんて出来ていない。2023年末の時点でだいぶ無理だったのだ。「賢く調整」など、幻想に過ぎなかった。
2025年2月、本当に身体も頭も全く動かなくなる直前まで「まだ全然やれるはず」と本気で思っていたのだった。
イカロについての分析と報告
自分語りの果ての果て
私のような性格や思考回路をしている人が他にいないとは思わないが、さほど多数派ではなさそうだと感じている。
端的に言って、変な人だ。だから、変な人がぼすきーを振り回してトラブルを起こしていると言えるだろう。
ということは「一体イカロはどういう思考回路をしているのか?」について語るのは有益なのではないか……
そういうわけで、予定を変更して、今年は「イカロの思考回路」について語らせていただければ、と思う。
2023年は「ぼすきー史の振り返り」2024年は「面白さについての分析」というテーマで装飾がされていたが、2025年は、もはやそれすらない。純度100%の自分語りとなってしまう事になる。
そんなのいくらなんでも個人的すぎる、内輪がすぎる……そう思うのは山々なのだが、2025年は本当にロクに活動をしていないので、他に語れる事が何もないという事情もある。
興味がある方だけに読んでいただければ……
願わくば、2026年には「やったこと」を語れたらいいな……ただ、これは今のところ「語れたらいいな」に留めさせて頂きたい。
ユーモア中毒と相対主義
まず前提として、私、イカロはユーモア中毒者である。
icalo35.hatenablog.com
去年の記事で散々語った話だが、ユーモアの快感というのは「発見」と「思い込みの破壊」の快感なのだった。
そういうのを追求しようとすると、物事を色んな角度で見たり「それって本当かな?」と疑って「何故そう言えるのだろう」「そうじゃないとしたら?」と掘り下げていくのが癖になる。
だから、必然的に相対化大好き相対主義者になる。「絶対に正しい信念は無い」という立場だ。疑い始めないと面白くないのだから仕方がない。
反対は絶対主義者*6だ。「これは絶対に正しい」と信じ、疑わない態度。
もちろん、これはそんなにカッチリと人を分類出来るような属性というわけでもない。
「ある物事に対してはそれなりに相対化をしたり分析を行うが、特定の信念については頑固に絶対主義を貫く」みたいな態度がむしろ普通だ。
ここで私が言っている相対主義というのは、思考の初手が「例外・条件・反証」を考える事から始まりやすい傾向がある、くらいの意味だ。
自分は絶対的な信念なんて持ってないけどな? と思う人もいるかもしれないので例を挙げよう。例えば道徳とか一般常識も信念だ。
「道ばたにゴミを捨ててはいけない」「虫を食べるのは気持ちが悪い」「飲酒運転は良くない」「著作権を侵害するのは良くない」といった事も信念のうちだ。
道徳心を持ち肯定する事自体はむしろ善良だし良い事だ。しかし、それを絶対化し「これはいかなる場合でも悪だからやるべきでない」「全くありえない」と思考を止める……というのを私は絶対主義と呼んでいる。
イカロは、善悪は一旦置いておき、悪とされる行為や人にでも何にでも理解を示す事が出来てしまう。この手の信念が全然無いのだ。
他人が悪をする事について受容出来るので、当然自分がうっかりやらかすかもしれないという想像もしている。
「場合によってはこの容疑者のように飲酒運転をしたくなる状況があるかもしれない」→「しかし、やるべきではない、何故なら……」と理由から考えて始めてしまう。
これはかなり危うい事でもある。他人を傷付けるとか、ルールを破るとか、自分を破滅させるとか、そういう方向性についても「一旦アリ」にして可能性から排除せずに考えてしまうからだ。
ニュースで逮捕の報道がされてる時は「私も同じ事をやらかしてこうなる可能性はいくらでもあるな」という事ばかりを考える。
もちろん、私は今のところ逮捕されるような事をやった事はない。ただ、毎回「それもアリ」から出発して「害がとても大きいのでやるべきではない」と結論付ける、という思考をいちいち踏んでいる。
昆虫については特に誰にも迷惑をかける事はなさそうだし、面白そうだし、やるべきではない理由が特に無いと結論付け、食べた。
結構投稿した動画で無茶をしている事はあるが、「企画的にこうするしか無さそうだしまあいいか」でやれている。
「良くない事だから良くないのです」という道徳を丸呑み出来ず「社会の常識」に反発したがる人や、不謹慎で邪悪なユーモアを好む人は別にそんなに珍しくはない。インターネットの冷笑オタクとかダメな大学生とかにはまあまあありがちだ。私も根がそういうタイプという事だ。
善悪によるジャッジより面白さを優先するタイプというのがいて、そういう人は相対主義で、思考の瞬発力よりも認知的柔軟性を重んじる。
私は「あれも正しいかも、これも正しいかも」と、やたら多くの解釈を常に持ち続けている。
これはボケたりアイデアを捻りだすのには向いているが、欠点も山ほどある。
崩壊しないためのフレーム
柔軟性が高いといえば聞こえはいいが、これは思考能力が高いとか低いの問題というよりは「どこで思考を止めて結論を出すかのルールが違う」と表現した方が正確かもしれない。
高いとか低いと言い出すなら「思考を止める能力が低い」「保留癖があり、結論を出す能力が低い」という表現だって出来る。優柔不断なのだ。
「それって本当かな?」「それは何故だろう?」と疑って、ロジックを詰めようにも、ロジックというものには原理的な限界がある。
どんな事でも、突き詰めて考えようとすると「それ以上は考えようがない謎」にぶつかる、無限後退に陥るからだ。
「それは本当ですよ。何故なら本当だと言える理由があるから」→「その理由は本当なのかな? その理由の理由は……」が永遠に繰り返される。
子:「物はなんで落ちるの?」 親:「重力があるからだよ」 子:「重力はなんであるの?」 親:「地球がとても重たいから、質量があるからだよ。重たいものは引き合うんだ」 子:「重たいとなんで重力が起こる?」 親:「質量があると、周囲の空間を歪めて引き合うようになってるかららしいね」 子:「なんで質量で空間は歪むの?」 親:「それはわからないな。偉い科学者の先生達が、まだ頑張って考えてるんじゃないかな」*7 子:「そっか、物がなんで落ちるのか、偉い先生にもわかってないんだ」 親:「そうとも言えるかもね。ただ、そういう風に考え始めたら、科学で解明出来る事は何もなくなってしまうよ。どこかで『わからないけど、そうなる』という事を受け容れなきゃいけないんだ」
無限後退に陥る前に止める装置として「これについて疑うのは避けよう。これは最低限の前提である」というフレームが必要だ。そうしないと思考が暴走して疲れてしゃーない。
自分でも完全に把握出来ているわけではないが、私が採用しているらしい前提のうち、自分でわかっているのは以下のようなものだ。
- 特定の信念に固執すべきではない
- 事実確認は正確であった方がよい
- 態度には一貫性を持った方がよい
- 他人の信念は変えられない
- 他人の悪意は仮定しない(ハンロンの剃刀)
「特定の信念に固執しない」というのも言ってしまったら1つの信念なんだけど「信念の取り扱い方」についての信念は持っていないと何も決められないので採用されているみたいだ。
「事実確認は正確であった方がよい」は、思考の節約として身につけたのだと思う。誤った事をベースに考えた事にはあんまり意味が無いので、せっかく考える出発点にするならなるべく正確な事実である事を確認する癖が付いた。
一貫性への妙な執着
「態度には一貫性を持った方がよい」は、どうしてそう考えるようになったのかは正直よくわからない。
何故か私は、私が一貫して私であり続ける事に妙に執着しているように感じる。
人間はずっと一貫性を保てるわけではない。気分は変わる。嘘や方便を言う必要がある時もある。TPOに応じて振る舞いを変えられない人は誠実というよりは社会下手くそ芸術家タイプな部類だろう。
しかし私は振る舞いを変えるのが物凄く苦手だ。実際に会った事がある人はわかるかもしれないが、イカロはインターネット上でも実際会ってもかなりイカロだ。職場でも家でもずっとこんな感じだ。
これも思考の節約の一種なのかもしれない。複数の態度を取ろうとすると考えることが増える。そういうキャパシティが残ってないので1つしか自我を持てない。自我の分裂に耐えられない。
長期的に嘘を言うのも苦手だ。過去の嘘を覚えていないと整合性のある振る舞いが出来なくなるからだ。過去の本音を覚えておくので精一杯だ。
あとは、相対主義者だからといって「絶対に正しい事なんて1つも無い! 終わり!」となってもあんまり面白くないし、全ての信念をコケにして見下して皮肉を言うだけの嫌な人になってしまうのを避けたかったのかもしれない。
守るべき信念を持たずに全てをコケにしようと振る舞えるなら口喧嘩において最強無敵になれるのだが、無敵になった所であんまり嬉しくないという問題がある。
嫌な人にならずに周囲と上手くやっていくためには何かしら人格に軸を持つ必要があり、私はその軸として一貫性を使う事にしたんだろう。
そういうわけで、一貫性を保とうとする癖があるのだが、しかし何かが変化したならそれに適応出来ないのもよくない。
頑固なのはまったく美徳ではない。人間なので態度や発言が後で変わる事はあるし、変わっていかないといけないタイミングはたくさんある。
しかも、私は実際に特定の信念が唯一の正解だと思っていないので態度を変える事自体は簡単に出来るのだ。それでも一貫性は保ちたい。
一貫性を保ちながら変化する……その矛盾を解消するために自然に必要になってくるのが、理由と説明だ。
「自分の態度を過去と違ったものに変えるなら、変化の理由を説明出来るべきだ」というルールが当然くっついてくる。
そして検証が始まる。「言ってる事とやってる事に矛盾があるようだな」「私の変化や矛盾を正当化出来る理由はあるだろうか?」「この説明に欺瞞は無いか?」
私のこの思考の癖は、かなり露骨にぼすきーの運営に対して悪い影響を与えてきた。
「判断が遅い」「変更が重たい」「結論が出ない」「力尽きる」という形で。
この手の心理、物凄く珍しいわけではない気がするし、内向的かつ言語化が得意な人にはよくある傾向なんじゃなかろうか。
幸福なハンロンの剃刀
「他人の信念は変えられない」については、押し付けたいほどの信念がそもそもあんまり無いというのもあるが
他人の信念を無理やり変えようとやたら働きかけるのは相手を「不快」にさせる事になる。「不快」だと笑えない。不快な奴になるとネタがウケなくなるので私としては困る(ウケたいので)
私は倫理観についても「善悪や道徳だって相対的なもので、変わりえる」というファンキー寄りな思考回路を持っているが「他人を不快にせずウケたい」という気持ちがあるので一般常識で悪とされる行為も結局やらない。普通に嫌われるからな。
他人の不快感ベースで考えてるので、誰も見ていない所ではまあまあ悪い選択肢も浮かぶが、これも一貫性が無くなって気持ち悪いので結局やらなかったりする。
「私にはポイ捨てするという選択肢があるなあ……でも人が見てる所ではしないわけだし、なんかなあ……」とかいちいち考えながらゴミを持ち帰ったりする。
全然自然に善をやれておらず、いちいち社会性を頭でエミュレーションしているのでなんか不自然にウゴウゴしている。
不自然だけど頑張っているのでまあまあ他人と上手くやれる。
「他人の悪意は仮定しない(ハンロンの剃刀)」は、これも「思考の節約」という点で一貫しているかもしれない。
これは「他人を疑うのは良くない」ではなく「いちいち他人に悪意や害意があると疑っているとキリがない上に怖すぎて耐えられない」というのが大きい。
ただ、そうだとしても「他人は決して信用出来ない」という方向に行く事は全然あり得た。
私がお気楽に「まあ、悪い人なんてそうそういないっしょ」と言えてしまうのは、事実として家族も友人も私に親切で優しかったからだ。恵まれていたからだ。
困った人はいても、私を攻撃する人は誰もいなかった。悪い出来事はほとんど全て自業自得だった。
「他人が悪だとしたら、実感と整合しないな」と素直に考えられる幸運があった。結局、今まさに私は、働く事も出来ないのに周囲の厚意で生かされている……
どうも私は一人で生きていけるほど強くなく、弱い。親切や優しさはありがたいものだ。これについては特に皮肉でもなんでもなくそう思っている。
思考の癖としてのハンロンの剃刀は、私が他人の悪口を言おうとする時に明確に出ていると思う。
他人のミスや行動を「こういう構図で見ると滑稽かも」と強調したり、発言と行動のズレを皮肉ってコケにする思考は一瞬で出てくるので、そういう悪口はかなり得意だ。*8
しかし「どうせお前は最初から悪い事をするつもりだったんだろ!」みたいな方向の罵倒は全然具体的に出てこない。
「うーん、これが事実ならあんまり良くないのでは?」といった評価を下す事は出来るが、これもあんまりやらない。
評価を下す以上、それが雑になるのもなんか嫌なので、頑張って調べたり考えないといけないわけだが、これが本当に面倒なので出来ればやりたくない。
何かあっても「大変だなあ……」「まあ色々あるんだろう」とか言って考え始める前の段階で止めようとしてしまう。
不幸なハンロンの剃刀
私が「きっと悪意なんて無いだろ」と他人に対して簡単に言える幸せな頭をしている一方でそれを自分には適用出来ないという問題を抱えている。
他人の思考は観測出来ないので考えても仕方がない。だから考えても無駄だ。そう納得出来る。
しかし……自我は不幸な事に見えてしまっているので「自分に悪意や怠惰があったのではないか?」と詰める方向に行きがちなのだ。
ここに病理がある。
この手の思考は自然法則や問題解決と違って価値判断のジャッジがベースなので無限ループに陥りやすくて疲れる。
お手軽な停止ポイントとして「自分が怠惰だから」「自分が無能だから」「自分が悪人だから」という自己嫌悪がある。
とりあえず自己嫌悪に着地しておくと思考を簡単に止められて楽だ。
これはあんまり健康的ではないマイルドな自傷っぽい自覚はあるが、しかしやむを得ず使う停止ボタンでもあるので仕方がない。
「むむっ、今、自分は自己嫌悪ボタン押してケアしようとしているな。なんとワンパターンな奴なんだ」「自己嫌悪で一旦止めるのは逃げでは? 不誠実では?」「自己嫌悪で思考を止めるか否かは私が個人的に納得するための話でしかなく、問題の本質とは無関係なのでどうでもいいだろう。好きにすればよろしい」あたりの監査も定番ルートとして同時に走りがちだ。思考のアンハッピーセットである。ポテト感覚でセルフツッコミが生えてくる。
うっかりしていると疲れ果てるまでメタ認知のループを回してしまうので、短い奇声を放つなどして停止するようにしている。
たまにぼすきーやTwitter*9でも奇声っぽいのをあげているので皆さんもご存じだろう。
流行りの言葉で言うなら、他責ではなく自責の傾向が強いという事になるのかもしれない。
ただ、道徳として「他人に優しく、自分に厳しく」みたいな価値観の話ではなく、単に見える範囲が違うから勝手に差が出ていると言える。
他人の心はよくわからないので考えても仕方ないから諦める事が出来るが、自我は下手に見えてしまうから手癖のように掘り進める事が出来てしまう。
「今の発言は良くなかったのではないか? 何故なら……」と深掘りをやたらしてしまう。そして、その根拠も複数思い付き、その根拠の正当性まで監査が始まる。
昔からそういう思考をするのが普通で、みんな一人の時の思考はそんなものだと思っていた。
今でも「大なり小なりみんなそうなのでは?」と思う気持ちがちょっとある。他者と数字にして比べようも無いし……
ただ事実として医師に「鬱傾向」として診断されたし、認知に露骨に偏りがあるらしい事はそれなりに客観的事実なのだろう。
2024年の記事で「安易な変人・狂人アピールが苦手」と述べた。異常性は流動するものだし「狂っている」根拠を説明するのは今でも難しい事だと思う。
しかし、少なくとも「認知の偏りがある」事を専門家に認定されてしまった事は、事実として受け容れなければいけないんだろうな。それで実際に困っているわけだし。
ただ、このメンタルの弱さをアイデンティティにして調子に乗るのも、私は好きじゃないのだった。
可燃性の高い話
これはぼすきーに限らない……というか、どちらかというとメジャーなSNS、特にTwitter*10に流通する、燃えやすい話題に触れなければならない。
この手の話題で喧嘩する事を好む人は、あんまり多くないだろう。だから普段は一切触れていない。
今日だけは少し触れさせて欲しい。
いわゆるポリコレだのみたいな、社会正義系のありがちな話だ。
念のため、私がこの話題に触れるのは、自分の思考の癖が露骨に出てるなと感じるから。
それと一応SNS管理者なので「イカロさんって実際どういうスタンスなんだろ?」と気になる人もいるのかな、と考えたからだ。
「年に1度のアドベントカレンダーだし書いておくか」で触れる感じなので、誰かを叩きたいみたいな話ではない。
ぼすきー喧嘩悪口大好き部の皆さんの期待には応えられない事を先にお詫びしておくとしよう。
さて、私は既に書いた通り「道徳を丸呑み出来ず、社会の常識に反発したがる人」寄りだったので、当然の帰結というか、かつてポリコレ的なものに反発する立場だった。
かつて? 今は違うのか? よくわからない。
かつての私のポリコレに対する理解はこのようなものだった。
「『弱い者は守られるべき』という倫理観は今でも通用するけれど、弱者の定義が20世紀から更新されてないんじゃないか?」
今にも通用する部分はあるけれど、実装がとても古く、凝り固まっている。だからきっと改修を入れた方がいい。かつて強いとされていた人が弱く、弱いとされていた人が強くなりえる時代なのだから……そういう立場だった。
時代が進むごとに、SNSはドンドン喧嘩ばかりの空間になっていった。
正しさと弱さを巡って争う人達は「私こそが真の守られるべき弱者だ」と最弱決定王バトルを繰り広げている。
最弱決定王バトルに優勝出来た人がいたとしよう。その人って、本当に弱いのか?
このへんで私は「もしかして『弱い者は守られるべき』というメタルール自体が、もう機能不全に陥っているんじゃないのか?」と考えるようになった。
『弱い者は守られるべき』という倫理には直感的に同意したくなる。
けれど「誰が『弱い者』か上手く決める事が出来ない」実装は必然的に誰かを上手く守る事も出来ないという事を意味する。
ならば、逆に「強者こそが偉い」という世界に回帰するべきなのだろうか? ……それも違う気がする。
このへんで私はロジックで考えてもループしてまとまらない領域に入ったので、SNSで正義を巡る喧嘩を覗き見する事はほとんど無くなった。
考え始めてもしんどいし、別に誰かを叩いてもあんまり気持ちよくないし。
結局ポリコレ的なものに賛成する事も無いけど、反発する気持ちもほとんど無くなった。私は自分なりの回答すら持っていないな、と思った。
結局、今の私は「強いなら強いなりに、弱いなら弱いなりに、自分の出来る範囲で頑張ってる人は偉いよね」という、信じられんほど平凡な結論に落ち着いている。
属性も思想も主義主張もあんまり関係なく……なんなら「その人が何を言っているか」なんてどうでもいいのだ。大事なのは「何をやっているか」だ。
口だけならいくらでも際限なく高潔な事が言えるのだから、実践している人が偉い。これもなんかまあ平凡だ。
ただ、この思索の結果、私はどうも以下のような意見を持っているらしい事がわかってきた。
- 「本当は強いのに、自分を弱く見せることで得をしようとするのはズルだな」
- 「実践していないのに口だけで立派な事を言うのはズルだな」
賢明な皆様ならばお気付きかもしれない。
この意見はイカロが自分自身を切るのにとっても便利な呪いの剣なのだ。
一貫性と倫理の脱税
「本当は強いのに、自分を弱く見せることで得をしようとするのはズルだな」
租税論なんかの話として応能負担という考えがある。
簡単に言えば「稼いでる人はたくさん税金を払えるんだから払おうね。そうでもない人はそれなりに払おうね」という話だ。
「強いのに自分を弱く見せている人」は、払うべきものを払う事を避けようとしているからズルく見えるのだ、と私は解釈している。
払うべきなのに払わない……それは倫理の脱税だ。
「強いなら強いなりに、弱いなら弱いなりに、自分の出来る範囲で」を良しと結論付けた今、私は最弱決定王バトルには参加出来ない。
私はあんまりネット上で弱音を吐かない。
それこそ、アドベントカレンダー以外では本当に一切、自分が精神的に脆いとか病んできたという話題を出した事が無いはずだ。少なくともSNS上では。
病んでいる。心療内科にかかった。メンタルが弱い! ……「だから守られるべき」?
弱さをアイデンティティにしたくない。多少しんどくてもなんとかなるんだ。ただでさえ優しい他人からこれ以上の優しさを引き出して生きるのか?
弱い人として扱われるのは別に構わない。けれどなんかズルをしている気がするのに耐えられない。
「実践していないのに口だけで立派な事を言うのはズルだな」
元々一貫性に執着していたので、口だけ立派な事を言うのは苦手だった。しかし、残念ながら私の生き方はこうだった。
- 「まず達成が困難そうな大口を他人に言う」
- 「必死でそれを現実にする」
私は、口だけ立派な事を言ってなんとかそれに現実のイカロを合わせようと生きてきた。
疲れ切ってそれが実現出来なくなった時、この意見はイカロ自身を切るためにフル回転するようになった。
私はズルをしている!
私は恵まれているのに、相応しい礼を周囲に返せていない!
私は口にした約束を何一つ守れず言い訳ばかりしている!
御覧ください! 親切にされ、善意を与えられ、幸福な立場になればなるほどに苦しみ、疲弊し、何も出来なくなる狂人の誕生だーッ!
……いっぱい休んで精神的に余裕が出来た今だから客観視して言える事なんだけど、本当に信じられないほど窮屈な世界観だよ。
マジでやめた方がいいよ、こんな不健康な考え! ちょっとくらいズルしてもいいだろ、人間だぞ。
ハンロンの剃刀同様、他人にそんな息苦しい世界観を押し付けるという事はしないのだけれど、イカロにとっては自分自身だけがとにかく例外になっている。
「本当は出来るはずなのに怠けている」「本当は出来るはずなのに言い訳ばかりしてズルをしている」「払うべきものを払っていない」
自分は恵まれており、強い側であるはずなのだから……と、誤った前提に固執し、間違い続けている。
一番詳細に観測出来ているつもりの自分について、一番判断を誤り続けている。
実のところ、思ったよりも全然私は強くなかったっぽい。
ドーピング的に一時的に持ち上がった自分の能力をいつでも出せると勘違いして調子に乗っていたのだ。
私は、イカロについて何もわかっていなかった。
今でもわかっていないのかもしれない。
じゃあ、これからどうしようか
ユーモアのための精神のカタチ、甲殻
私は何をどうやっても構造を俯瞰して見てしまう。
ユーモアと知的発見の中毒者である以上、手癖で何でもかんでも構造を分析し、概念の深掘りを繰り返してしまう。
そしてそのツールとして事実確認の精度や客観性、言語化、一貫性を高めるように自然になっていった。
入れ替えて形を変えられるグニャグニャの信念をこねくり回して、何でも相対化して遊んでしまう。
変形可能な信念と相対主義はユーモアの前提条件だから、そうなる。
けれど、その信念の取り扱い方のフレームは奇妙にガチガチで、詰め込んだ概念の内圧で破裂してしまいそうだ。
言語化の得意なユーモア中毒者の思考形態は、破裂寸前のカブトムシやカニのような形に近付いていく。
ユーモアを披露するなら他人が必要だし、ウケたい。
他人の内面は正確にはわからない前提で、不快にならないようにユーモアを組み立てようとした。
わからない前提でもウケるために他人を観察、思考を推測する精度を上げようとした。その上でそれなりに寛容に振る舞っていたので、意識さえしていれば他人への気遣いはそれなりに出来た。
そういう意味での社会性を維持する事が出来たけれど……それはそれとして、勝手に破裂しそうになる自我のせいで私自身は社会に適合する事が出来ていない。
周囲の人は物凄く私に優しい。社会も優しい。家族も職場の人も「メンタルは大丈夫? つらくない?」と真剣に心配してくれる。
本当に恵まれている。嬉しい。
それをされる事によって私の自我が勝手に私を締め上げる。恵まれている癖に? 馬鹿げている。難儀な話だ。
私のメンタルが疲弊してるのは、そもそもが快感を得たいという目的のために、必要以上にエンジンをフル回転していて、それを止められない、止める気も無かったからだ。
自業自得なのだ。自業自得であるという構図を理解出来てしまう。
言語化と俯瞰と情動を捨てられない
知的快感を得るために、受験もないのにずっと教科書や参考書ばっかり読んでいる。
理科とかの自然科学は、結局「それは本当か?」という疑いに人類史上最もタフに耐えてきたロジックなので強い。
歴史とかの人文知は、色んな話のネタになりそうだし、人の行動や傾向に関する有益な示唆を与えてくれる。
そして、学問をやっている時は他人が関わらないので自我もあんまり起動しないで済む。癒し……
しかし、どれだけ勉強しても、知識だけ増えても、理屈を深掘りをしても、ぶっちゃけ働く上でも生きる上でも何の役にも立たない。
考える仕事って利害調整とか感情面にも負荷がかかるのが付き物だ。単に深掘りさえすればいいなら楽なのだけれど……
ましてや全然専門的な訓練を受けてないド素人が、面白いと思ったことを摘まみ食いするだけで何かに活かせるなら世話は無い。実のところ、学問はただ面白いだけだ。
理性がハムスターみたいに爆走してあちこちを壊して回らないように、その場で遊ばせるための回し車に過ぎない。
最近はいい加減、なんでもかんでも言語化する自分の理性が嫌になってきた。
少し散歩するだけで勝手に言語化しやがる、私の感情を。許せねえ……お前の仕事は私を感動に導く事じゃないのかよ。
あんまり情動を動かしたくないのでニュースやSNSから距離を取り、雑に学問をやっているが
それでも私はウケたいと思っている根が情動寄りの人間なので、仙人のように孤独に生きるみたいなのも最初から無理がある。
私は人間が嫌いなわけではない……むしろ、大抵の人を勝手に好きになってしまう。
けれど、泣いたり笑ったりしていたら身が持たないんだ。
その果ての果ての物語
ここまで語っておいてなんだけど、結局、私を最後に突き動すのは、素朴な身体性の伴った感動なんだと思っている。
そう、感動の話だ。
プラトンは魂の三分説というのをやっていて、人の魂を理性、気概、欲望に分けた。
その後の西洋哲学の人達は、理性を知性と、気概を意志と、欲望を感情や情動と再整理して更に議論するみたいな事をよくやっているのだが
私は明らかに感情を魂の最上位に置いている立場という事になってくる。
グダグダ長いこと語ってきたけど「他人が笑ってくれたら素朴に嬉しい」が私を動かしている。
結局、そのレベルの喜びばかりを求めている。
「快」の一種であるユーモアを価値の上位に置いてる時点である意味必然なのかもしれないけれど……
身体性のある快感や感動は確かなものだ。
言語を使って「何故?」「それは本当か?」みたいに疑わずに信じられる数少ないものだと私は考えている。
「嬉しい」「楽しい!」「美味い!」「泣ける!」そして「面白い!」「驚いた!」
それだって「何故自分はそう感じるのだろう?」という事を詰める事は出来る。
けれど、少なくとも最後には「そう感じたんだからしょうがない」と、私は止まる事が出来る。
「理性は感情の奴隷である」とデイヴィッド・ヒュームは言ったけれど
私にとって感動はゴールで、理性は奴隷というほど大人しくない暴れ馬だ。
ええい暴れるな、走れ、感動の方へ。
自然科学も歴史も、大きな構造を分析するのを楽しんでおいて、その大きな物語や宗教、国家、イデオロギーに私はなかなか乗らないし乗れない……
分析して遊ぶ対象を心から信じ込んで帰依する事なんて出来ない。超越的なものは議論ではなく価値判断の対象だ。
だから私は最後には、小さな感動や私個人にしか大切ではない小さな物語ばかりを大切にして愛でてしまっている。
「ああ、あの人に親切にしてもらえた……嬉しいな……」みたいな思い出を後生大事に宝石のように取っている。
たまに取り出して、綺麗だなあと思って、また仕舞うのだ。
小さな物語、きっと私にしか大切でない物語。
ぼすきーの管理人として、人間として
信じられないほど長々と自分の思考回路について語ってしまった。
具体的な話もロクにないのにどれだけ自分語りをするのやら。
そして、これだけ長いこと書いた上で、本当に申し訳ないのだけれど……
私は今のところ ぼすきーをどうしていきたいみたいなビジョンを全然持てていない。
というか、それ以前の話として、仕事とか生き方とか……
自分の人生についてすらどうしていきたいのかわかっていない状態にある。
本当に、今後どうすればいいんだろうな。まあ勝手に考えるしかないし多分どうにかなるんだけど。
今の職場には本当に感謝してるけど、複雑な利害調整をやる仕事は続けられなさそうだし、肉体労働メインにしたり家業継ぐとかの方がいいのかも。
ぼすきーに対して情があるので続けたい気持ちはあるし、全然サーバー代くらい払うんだけど、イカロはどう考えても「最高責任者にして意思決定者」をやるには人格が向いてなさすぎるんだよな。
言語化が得意だし倫理も相対化出来るので、管理人としていかにも血も涙もない理論派の決断者っぽい雰囲気は出せるし、事実確認やロジックの積み重ねからくる手続き的な公平性や、法的な意味での正義のために「ルールに従って冷徹である事」が重要な事も頭では理解している。
……んだけど、結局のところ私は物凄く情に弱い。
「ああ、これは正当ではないかもしれないな……」と思いつつ目の前の人に優しくしたり贔屓したりしてしまう。
その時、理性はある。自分が流されてる事もわかる。法的なニュアンスでの正当性が無いことも自覚出来てしまう。
でも結局、人の個人的な感情の発露を全く無視出来ない。 私にとってそれが一番直接的な精神の拠り所だからだ。私は情に流されて生きるぜ!
なんか途中に理性っぽいのが挟まってるだけで、結局はずっと情動でウオオオって行き当たりばったりに感動目的で動いているのだ。
多分、私はバランス感覚みたいなのはそれなりにあるので調停やジャッジについて「得意か苦手か」で言えば恐らく得意寄りなのだが、それは出力のクオリティを上げようと思えば上げられるというだけであって、一回やっただけで疲労困憊になってしまうし、弱ってると永遠に全てを先送りにしてしまう。
「あ、あ、あ……私のジャッジで傷付けてしまったかも……しかし、他にやりようがあるか……?」と永遠に引きずっている。本当に向いてない……
妙に運営中の議論が秘密主義だったのも、イカロが弱ってたというのも大きいが
「外に出してない情報については一貫性を気にしなくてよい」ので黙りがち、というイカロの性格が淵源な気がしている。
運営の遅さに失望して「モデレーターが悪さしてるのでは?」みたいな流れになってた時期があったと認識しているのだけど、アレは間違いなくばっちりイカロが悪いです。本当にすまない。
イカロが八方美人というか嫌われない風に振る舞いがちなのでなんかモデレーターの皆さんを無意識に盾に使っていた構図だ。最悪すぎる。
ぼすきー1周年記念生放送の回答で「責任は分散させちゃいけない」って発言した事もちゃんと覚えています。
すいません、それも無理でした。調子こいてました。ごめんなさい。
約束出来る数少ない事
しんどくても生存報告くらいはちゃんとするようにします。
それと、イカロにはこういう明らかな欠陥があるので、それ前提になんとか誤魔化せるような運用をやれないかって路線になるかと思います。
人生をとりあえず安定させないとどうにもならないので、しばらくはイカロはグダグダになるかと思いますがなんとかハードル下げてやっていこうかと思います。
自分に甘いナメた事を言い出すかもしれませんが、うーん、えーと、ごめんて。
ごめんて!
一体何が面白いってんだ? ぼすきー3年目に向けて
振り返りと雑感
「ほどほど」にやれましたか?
この記事はuboar(ウボァー)さんが主宰してくださった「ぼすきー Advent Calendar 2024」の参加記事です。
去年に引き続き、管理人ということで25日の記事を書かせて頂く。
icalo35.hatenablog.com
去年の記事は単なる回顧録だったので、もう少し能動的な記事を書きたいものだ。
ぼすきーが始まって、もう1年と9ヵ月ほどになる。
去年のアドベントカレンダーには「ほどほど続ける」が目標であると書いた。
達成出来ているような、達成出来ていないような。
去年仕事に追われて体調不良になって数か月失踪したというのに、今年も似たような感じで数か月失踪してしまったので、これで管理人を「続ける」事が出来てるとは堂々と言えない感じだ。*1
でも戻ってくる。恥知らずにも帰ってくる。
イカロはそういうやつなので*2本当に心配とかはしなくていいです。困った分の文句だけでいい。
いや失踪するなよ。
ぼすきーというコミュニティについて
あれから、ぼすきーは変わったような変わっていないような。
明確に内輪っぽいというか、コミュニティとしては狭い感じになったと感じる。
なんやかんやTwitter*3は広いし、宣伝という意味では強い。
苦手な話題はわざわざ見ないようにして、ブロックなりリストなりを活用したりTLをちゃんと構築すれば今でも……むしろ様々な場所に「居場所」や「交流」が散った結果として、純粋な宣伝や作品の掲示場所としてはTwitter*4の価値は相対的にますます高まっているようにすら感じる。
騒がしい大都市にして、便利なショーケースという感じ。煩わしい事も多いけれど、やっぱりたくさんの人がいる。Fediverseにいる人はTwitter*5を低く悪く言いがちではあるが、距離を取った今でもやはり圧倒的な存在だという事を感じている。
ぼすきーはショーケースとしては豆粒だ。Misskey.ioほど巨大でもTwitter*6には及ばないのだから当然だ。
広告なんかも出せるようにしたけど「無いよりマシ」以上のものではない。*7
それと、これも定期的に言っているが、ローカルTL由来の内輪の空気がどうしてもあって、その関係でTwitter*8に帰っていった人も多い。寂しいけど仕方がない。大きな都市には大きな都市の自由がある。Twitter*9にだって何気にコミュニティ機能というものがいつの間にか出来ていて、内輪をやるならそれで十分な気もするし。大都市の方が多様なジャンルの緩いつながりというのはやりやすいものだ。
かといって、逆に内輪の「居場所」や「交流」の場としては、ぼすきーは半端に大きくて無駄にオープンだ。
ホームや鍵、チャンネルに住み分ける人も増えたけど、更に深い交流を求めている人はクローズドなDiscordサーバーだったり、他のMisskeyサーバーに軸足を移しているのだろう。これもちょっと寂しいが「ぼすきーではない場所」に拡がりがあるのは良い事だ。そう思っているのは1周年生放送で話した通り。
どっちつかずで中途半端な贅肉だらけのぼすきー。私自身を見ているかのよう。
こんなものに存在意義などあるのか?
そもそも、私は何故ぼすきーを続けているのだろう。
一体、何が面白いってんだ?
何が面白くてぼすきーなんかに金と労力をかけているのだろう。
何のために生まれて何をして生きるのか。
おいおいネガティブ・イカロか
ネガティブな気持ちになってると思われるかもしれない。しかし……
別に存在意義なんて無くていいという事も忘れていない。
そもそもぼすきーに目的は無かった。このへんの事はもう散々悩み終わっていて、ある程度の結論は出ているのだ。必要な事はどうせ他の誰かがやってくれるのだから、ぼすきーは必要ないことをやるために続ける。
そういう意識で続いているものはなんだか変だが、変なものが世の中にあるのは嬉しいことだ。嬉しいし、翻ってそれが意義だ。
それに、去っていく人を悲しんでばかりで、いま関わってくださる人の有難みを忘れるのは、ありがちだが間抜けというものだ。
ぼすきーの在り方は結局のところイカロの芸風そのものになりつつある。
利益を求めず目的無く続けている事って、必然そうなってしまう。自我を出さないようにしてたのに、結局そうなってしまった。
失望される方もいるかもしれない。申し訳ないと感じる。
でもなんか、一歩引いて考えると、もしかしてこれに失望したり驚いたりしてるのって私だけなのかもしれない。今でもぼすきーにいてくれる人にとっては「今更?」となる事なのかも。
去年のアドベントカレンダーに書いた「公」っぽさを目指していた頃の意識がまだ抜けてないというか、実は根本的に私がそういうの気にしがちなのかも。「自我出さないようにしてるのに駄々洩れ」という振る舞いそのものがもう芸風なのかも。ようやく自覚出来た気がする。
普段何を考えているのだろう?
もう……してしまうか、図に
「何が面白いか」みたいな抽象的な事を論じるのだから、雑でもよいので何かしらモデルみたいなものがあった方が「今何の話をしているのか」がわかりやすくて嬉しい。
そういうわけで、まず、以下のような単純なマトリクスを描いた。
これは私が普段から念頭に置いていることの図示だ。

見ての通り「快・不快」「正常・異常」の2軸からなっており、それぞれの領域にザックリとした名称を付けている。軸の名前も領域の名前も概ね見たまんまだ。
これらの軸は「人が情報を受け取った時に感じる事」を表している。
「快・不快」は、そのまま、気分が良くなれば「快」気分が悪くなれば「不快」だ。
「正常・異常」は、ちょっと変わった言葉遣いになってしまうが
予想通りだと感じたら「正常」 予想外だと感じたら「異常」だ。
わかりやすくするなら軸名を「想定内」「予想外」のようにするべきかもしれないが、もう長いこと私はこれを「正常」「異常」と頭の中で呼んでいるのでこれで続けさせてもらう。
それぞれの領域も割とそのまんまだ。
- 不快×正常:「嫌」 予想通りに嫌で、見たくないな、という反応。
- 快 ×正常:「楽」 楽しく気分が良く、もっと見たいな、という反応。
- 不快×異常:「恐怖」理解出来ない、制御困難な不快・不安に晒される、という反応。
- 快 ×異常:「発見」笑える、有益で感心した、という反応。そして、感動。
その上で、私の基本的な方針は以下の通り。
- 基本的には常に快側に寄る事を目指す。
- 異常側は連発するのが困難だし受け取る側も疲れるので、正常側に足を付ける。*10
- しかしずっと正常だと飽きるので、チャンスがあれば異常側に飛ぶ。
- よって「楽」をホームにして「発見」へ行き来するという軌道を描く事を理想とする。
- 「嫌」に突入する事はなんとしても避ける。「恐怖」の方がマシ。
- やむを得ず不快側に引っ張られる場合は異常側に飛び「恐怖」に避難する。*11
- 相手の注意を拘束している間は時間経過で勝手に不快側・正常側に落ちていくので*12快側・異常側に移動するために対策を打つか、いっそ相手を拘束から解放する。

これは創作をやる上でもそうだが、SNSで小ボケをやる時なんかにも頭の片隅にあるし、逆に自分が作品を楽しむ側になる時も気にしている。
見ればわかって頂けるかと思うが、私が普段気を遣ってるのは「いかに異常な事を言うか」より、どちらかというと「いかに不快でない楽しい感じを出すか」だ。ずっと快寄りのポジションをキープし続けて「楽」に留まるだけでも上出来だし、高得点を狙えるからだ。*13
これが基本的な私の方針にして芸風だと言える。
快不快は2種類? もっと?
ざっくり「快・不快」としたが、凄く大きく分けると2種類の方向性がある……と思う。
- 身体的な快・不快
- 社会的な快・不快
「身体的な快・不快」は、脳で言うなら小脳寄りというか、生理的とか本能的といえる快不快のことだ。
動画の具体例で言うなら「身体的な快」は、映像の見栄えや動きが観ていて気持ちいい、丁度よく効果音が鳴って気持ちがいい、テンポやリズムが良い、キャラが可愛い……とかだ。
逆に「身体的な不快」はチカチカして眼が痛いとか、音量バランスが悪くて聴き取りにくいとか、音や映像が単純に気持ち悪いとかショッキングみたいな話。
「社会的な快・不快」は、脳で言うなら大脳寄りで、文化とか関係に依存する快不快だ。
具体例でいうなら「社会的な快」は、親しみを感じる、好感度が高い、共感出来る、自分の考えが承認された、キャラが可愛い……とかだ。
逆に「社会的な不快」は認知的な不協和だったり、嫌いだ、気に食わない、侮辱されたと感じる、文化的倫理的に許せないと感じる、といったタイプのものだ。
さて「キャラが可愛い」については声やルックスが身体的、性格や設定部分を社会的と想定している。が、しかし「可愛いとか美しいって何?」みたいな気持ちにもなるし「身体的なものか社会的なものか」のどちらかに明確にスパッと分けるのがちょっと難しい領域もある。
*14
人間もしょせん動物なのだから社交について考える時も本能は無視出来ないし、逆に、後天的に「良くないこと」と教え込まれたような文化的タブーや、単純に嫌いな人への拒否反応が「生理的に無理」などと表現される事なんかもある。
小脳と大脳は繋がってるし、専門家でもないのに好きとか嫌いとか最初に言い出した部位はどこなのかしらとか論じてもしょうがねえだろという向きもあるかもしれない。
「愛」「真」「善」「美」を「いいね!」と感じているのは 肉体ですか? 理性ですか? 社会性ですか? それらは同じものですか? 別物ですか? 名前をつけてみませんか? みたいな議論はみんな大好き俺も大好きお前も大好き*15だし、歴史上でも哲学やら宗教やら自然科学やらの色んな文脈でもあれこれそれこれ言われてるし現代でもTwitter*16とかMisskeyとかMixiとかあっちこっちそっちこっちいいねよくないねすてきだねしていたりしていなかったりするし俺たちのその答えはクリティティブの中に見つけるしかない。
一体、何が気持ちいいってんだ?
なぜ快不快を分けたのか?
別に「快・不快」について普遍的な分類を提案したいわけではないではないのだった。
何で分けたのかといえば、個別のテクニックを考える上で便利だからだ。
「身体的な快・不快」は人間の五感を直接的にベースとしているものをそう呼んでいるので、シンプルで、まあまあ人類に普遍的だ。*17
「こうやったら刺激出来ます」みたいな方法論も比較的確立している。
動画に限って言っても「身体的な快」を引き出し「身体的な不快」を避ける基礎テクニックは「このようにテンポを良くすれば気持ちいいです」「こういう風に編集すれば見やすいです」「効果音はこのように活用するといいです」「こういう風になると見づらいです」「音量バランスだけは調整した方がいいです」みたいな情報が世に溢れている。そのせいか最近の投稿者さん達は初投稿の時点でこれが上手い人がやたら多い。戦国時代だ。
MVみたいな気持ちよさがメインのジャンルはもちろん、会話主体のジャンルとかであっても気にしておいて損は無い。理屈が分かれば真似しやすい部分でもあるし、一度身に着けたら使いまわせる可能性が高いので、基礎体力としてここを押さえておくというのは大変よろしい。
初歩的なテクニックを身に着けるコスパがとても良い。*18
「社会的な快・不快」は、なんかフワッとした説明になってしまうが「良い印象」を持つか「悪い印象」を持つかといった所で、言葉の通り社会性に近い領域の話だ。
これについては「見る側が個人的に好きか嫌いか」だとか「ジャンルや界隈の空気感」によって大きくブレる部分も出てくるので、具体例を挙げようとするとこれが結構難しい。
なので、ちょっと抽象的になってしまうが、最初から普遍的な話をしよう。
社会的と呼んでいるが、これは「表現」から受け取れる快・不快とも言える。
表現を受け取った人にどういう気分になって欲しいのか? という意図や、その方法が作用した結果として起こる感情のうち、シンプルな快不快の部分。
明確に強い主張を含んでいるのか、どういう伝え方をしているのか、どういう前提条件・文脈があるのか、そのへんひっくるめて「表現」であり、メッセージだ。
一体何をやっていて、それは何を意味するのか。それが源泉だ。
身体的な快・不快のテクニックは、もうほとんど全部が表現手段に依存して決まってくる。
絵であれば絵の技法が、音楽であれば音楽の技法が、動画であれば動画の技法でほとんど全てが決まってくる。
一方で、社会的な快・不快は必ずしも表現手段に依存しない。
「音街ウナさんは可愛いですよね」という大変気持ちの良いメッセージを伝えたいとして、それは合成音声らしく声や歌でやってもいいし、絵でやってもいいし、文章でやってもいい。
もちろんどの表現手段を選ぶかでニュアンスは違ってきて、それが重要な意味を持っているという事もある。とはいえ身体的な感覚を別としたメッセージの部分で
「いいよね……」「いい……」となる。これが社会的な快だ。
私は表現者と視聴者の間の対話的なものや共感的なものを重視するので「社会的」としたが、そのへんが気に食わないなら「文化的」とか言い換えても構わない。
ただまあ、多くの人は「作品はともかく周辺事情が気に食わないなあ」みたいなノイズを完全に除去して作品のみを独立して考える事が出来ない。私もそうだ。
俳優やアイドルは、表現者の好感度がそのまま快に繋がるし、合成音声キャラを使った動画作品はある程度の切り離しを出来るかもしれないが、作者がTwitter*19で ずっと悪口ばかり言ってたら視聴する時にノイズになって流石にちょっと厳しい気分になる。
印象にはやはりどうしても社会性の影響が乗るのだ。
そしてもう1つ、大事な差異がある。
身体的な快・不快は「表現者が気持ちいいと思った体験はおそらく多くの人にとっても気持ちいい」という事が言えるが、社会的な快・不快は「表現者が気持ちいいからといって視聴者も気持ちいいと感じる保証はマジで全然無い」という点が結構大きい。
物凄く単純な例としては、見下してる相手を馬鹿にする発言を「言ってやる」と気持ちがいい、みたいなのは、表現者が快で馬鹿にされた側は不快、という典型的なものだ。
自慢話をしている、というのは、表現者は快だが、それを聞いた人が「おお、すげー!」と快寄りに受け取るか「なにいってだこいつ」と不快寄りに受け取るかはわからない
ただ、このへんの例はそもそも表現者が「他人の快をやろう!」と全然思っておらずやる気が無いという点が一番の問題なので、表現者側が受け手の快を意識してるというただそれだけで物凄く快寄りに変わる。当たり前だが。技法よりは意図の問題だ。
一方で「他人のではなく、あくまで自分の快をやるぞ!」という姿勢も実際大事だ。仕事ならともかく、趣味でずっと我慢して自分が不快になる表現を続けるのも異常な話だし。
それでも「他人の快をやろう!」と思った上でもう1ステップ進むのであれば、自分と感じ方や価値観、立場が違う人間の存在を一旦認めて、そういう人達がどう感じるかを想像出来る事、推測出来る事がコントロールをする上で重要になってくる。なんかこれも当たり前だな。
他者の反応に普遍性があったりなかったりあって欲しいと思ったり
基本的には「こういうのは嫌がられるんだな」というのを確認して、その不快を避けるだけで十分だったりする。余計な事を言わなライオン。
「言いてぇ~!」となった事を「いや言う必要あるか?」と一旦飲み込む。社会性だ。
特に何も強く主張する必要がないなら主張をしなければガードが固くなる。
ただ、ガードを固めれば無敵でも、それでは何も言えなくなるので
必要に応じて「ここまではOKだな」みたいな空気感を積極的に理解しにいく必要がある。上手く不快を避け、快を狙い撃ちつつ自分の主張も通す。
私はこれが苦手で、たぶん人より自然には出来ない。だからいちいち考えている所がある。
ウケてるあるあるネタやネットミームを集めたり、こういう地雷やトラブルがあるのかみたいな個別具体的な事例を集めたりして、そこから「こういう場の時はこれやっていいな」「この場合はこれやるとマズい」という傾向を集めた仮説を積み上げていく。心理学とか創作論みたいな他人の知見を借りて取り込むのもいいだろう。どうせアレンジしないと使えないが。
科学っぽく言うなら、現実の人間の反応を高精度で予測・説明出来て、しかもなるべくシンプルなものほど良い仮説だ。
間違っているなら修正していかねばならない。人を怒らせてようやく、仮説だと思っていたものが無根拠な偏見や差別に過ぎなかった事に気付いたりする。
仮説は仮説に過ぎないので、本来は常に現実の人間の方が正しい。現実に合わせて修正を行うべきなんだろうが、相手が怒るとか諫めてくるみたいな明確な反応がないと「答え合わせ」をする事が出来ないのでこれがつらい。*20
自分を含めて人が何を感じたのかはとにかく確かめにくくて曖昧だ。その中で「これはしんどいけど確かだろうな」と信じたものをベースに仮説が修正され続ける。*21
何を信じて どのように どれくらい 修正を繰り返すかが人間観を作る。
疲れたら「全ての現実を今の仮説が正しいという事になるように解釈する」という状態になりがちで、この状態は思考停止だとか陰謀論に陥ってるだとか批判されがちだったりするが
しかしこれ、何もかも既存の理屈にこじつけるというのは実際にやってみるとわかるがメチャクチャ気持ちよくて最高だ。他人に迷惑をかけない分には良いことしかないので「陰謀論? そういうのはちょっと……」と思っているそこのあなた! 是非一度自分自身の眼でお確かめください! 「すべてがよくなりました!」と驚きの声が続出中です!*22
しかし残念ながら良いことばかりではない。修正の無い仮説は、精度がガンガン落ちていく。解釈で誤魔化しが利くうちはいいが、現実の人間の快不快を予測・説明する事が困難になっていき、私は快をやれる人間を目指しているのでこれでは困る。だから泣く泣く、激ヤバじじいになる道を頑張って避ける方針だ。
ただ、これは私の方針でしかない。他人の快をやれるようになる、というのは人生において必ずしも大切な事とは限らない。精度の悪い仮説に固執したっていいのだ。皮肉でもなんでもなく、人は陰謀論をやったり厄介おじさんになっていい。何もかも1つの持論で説明出来るという状態はそれ自体が快感をもたらし、その快は個人的な幸福の形だったりする。
何の話??????
なあ異常の話をしようじゃないか
快についてそこそこ細かく話をした。
身体的な快と社会的な快みたいに分けると、快の維持に何を気を付けるべきかがある程度見えてくる。
しかし、最初に提示した図ではわざわざ分けていない。
身体的な快と社会的な快という分け方は便宜的なものだし、全く完全じゃない。
快は注意してキープする事が重要なのだが、実は本当に興味があるのは異常の方だから、異常だけ特別扱いした結果こうなった。

快の話をしている時、意図して無視しているものがあった。
それは「知的な快」だ。
なるほど! と閃いて感心するような、納得。
変なことに気付いて笑ってしまう、ユーモア。
意味不明な非日常に叩き込まれて、それに急速に適応していく時に感じる、高揚。
予想を超える情動が湧き上がって胸が震える、感動。
これらは快×異常の組み合わせから出てくるものだと私は捉えている。
この領域を一口に上手く表現出来る言葉がいまいち思い浮かばなかったのだが、気付きに由来する感情だと思ったので「発見」とする事にした。
気付きには予想を裏切る情報が不可欠であり、これに異常という名前を付けている。
笑いと納得、感動はきっと近い領域にある。
正確には「感動」については本当にそうなのかはちょっと自信がないのだけれど。
予想外な情報がないと感動出来ないのか? これがわからない。なんか草とか見て感動したこともある気がするし。それって何に気付いたんだろうか?
たとえばノスタルジーという種類の感動は何に気付いているというのか? 昔の自分と今の自分との距離? 大分で食べた牡蠣がやたら旨かった時の感動は?
このへんをこじつける事は出来るが、これは私が単に何もかも1つの持論で説明出来ると思っている激ヤバじじいになりつつある兆候に過ぎないという可能性は十分にある。
まあ仕方がない。そもそも感動を上手く説明しようと色々こじつけていたら出てきた図だし、簡単に説明出来ちゃったらそれはそれでなんかヤだ。違うこじつけ方を思いついたら今後修正が入るかもしれない。
あと「知的な快」は、異常が無いと起こらないか、というとそんなことはなさそう。
「簡単なクイズを解く」みたいな自分の知識を確認する系の快感は知的な快×正常と言えそうだ。
だから快は「身体」「社会」「知的」で分けるのが一番それらしいか? と思ったが、異常が絡むと全部「知的」に引っ張られる感じがする。
予想外、という感覚がだいぶ認知に依存しているのでそうなってしまう。
じゃあ異常や発見も「独立したそういう快」なんじゃないの、と思いたくなるが「嫌な奴がジョークをいっても笑えない」みたいな現象があるので、少なくともユーモアなんかは他の快・不快の状態が前提になってそうだから、やっぱり別の軸という風に考えた方がスッキリする、みたいなのがある。
そのあたりにちょっと無理やりなこじつけ感があって、ここらにこのモデルの欠陥みたいなものがありそう。
とはいえ、別にこの図のようなモデルは現実を描きたいわけではなく「一体何が面白いってんだ??」という事を考える時にとりあえず便利でさえあればよい。
複雑な現実を切り取ってあえて簡単に整理する事が目的なのだから、どっかに単純化が含まれている必要がある。
現実の人間の反応を高精度で予測・説明出来て、しかもなるべくシンプルなものほど良い仮説だ。
というわけで、もう……いいじゃないですか、快の話は。
異常の話をしましょう。
ヒトはなぜ笑うのか
www.keisoshobo.co.jp
参考文献。「ヒトはなぜ笑うのか」(原題:Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind)
この本は人間が何故笑うのかについて延々と論じた本で、認知科学や進化論、哲学の先行研究を踏まえて真正面から真剣にユーモアの分析に挑んだ500ページ超の学術書だ。
何故人間には笑う機能が備わったのか。何の役に立つのか? 笑う機能を持った人間と笑う機能を持たない人間がいたとして、笑う機能を持った人間が生き残ったのは何故か? 何のために、どういう条件で人は笑うのか。
本当に面白い分析が展開されるのだが、やたら厳密で回りくどいし哲学者らしい小難しい表現を多用するので、訳は軽めだがちゃんと読もうとするのはだいぶダルい。そんな文に定期的にアメリカンジョークが挟まるので頭がクラクラする。面白いけど二度と読みたくないな……結局たまに取り出して読むのだが。
一番重要な論点をざっくり抜き出そう。「笑いとはエラー訂正のために与えられた脳の報酬である」というものだ。つまり間違った考えを上手く訂正出来たら嬉しくなるように人間は進化した。その嬉しさこそが笑いであり、ユーモアなのだという。
簡単な具体例を本書から挙げよう。
①「金魚がタンクに入っている」というテキストが与えられる。
②金魚が入っているのだから、ここでいう「タンク」とは恐らく人間が持てる程度の小型の水槽なのだろうと解釈する。
③追加で「金魚はタンクの主砲で敵を殲滅した」というテキストが与えられる。
④ここで「タンク」の解釈②が誤りで、実際には金魚が入っている「タンク」とは戦車の事だったらしいというテキスト①の再解釈(エラー訂正)が行われる。
再解釈というのは脳にとってはエネルギーを使う面倒な処理だから、面白いという報酬を感じなければわざわざやろうとしない。
報酬があるおかげで人は誤った認識を訂正して、正確な判断をしたり、まとまりのある知識体系を頭の中に組み立てる事が可能になった。笑いの力のおかげで人類は賢くなれたというのだ。
具体例から、もうちょっと一般化するとこうだ。

①複数の解釈が可能なテキストが与えられる
②人はそのテキストの「一番ありそうな解釈」を文脈に基づいて自然に頭の中に思い浮かべる。しかし「その解釈が正しいという根拠(テキスト)は無い」ので他の解釈が否定されているわけではない。無意識の思い込みに過ぎない。
③そこに「一番ありそうな解釈」と矛盾し、他の解釈に合致する新たなテキストを与えられる
④「再解釈を受け入れる」時に人間はユーモアを感じる
※ただし、上記の④の再解釈が不愉快で受け入れがたい場合は機能しない事もある。
ひとつひとつ説明するとメチャクチャつまんなく感じるけど、どうもこれを高速で紛らわしい感じにバカっぽくやればちゃんとしたジョークになるということらしい。
つまり、ユーモアの本質は「根拠もなく無意識に信じている思い込みの破壊」にある。
しかも、気持ちよく。
空気の破壊者
私が好むボケの方向性とも一致するし、他のコメディ理論にも似たような仮説が提示されている。納得感もある。
思い込みに対し、そうではありません! と「異常」をぶつけて反発するということ。
私は「皆さんはこのような先入観込みの雰囲気を醸し出していますがそれに確固たる根拠なんてねーんだよ! わからせてやる! 私の再解釈を食らえ!!!」みたいな気持ちで「言われてないのになんかそうなってる事」に対して逆張りをする、みたいな事をしたがる傾向がある。*23
え……逆張りクソオタクってこと? そうです。
空気を読んだうえで従わないのが本当に大好き。あとは単純に意味がない事も好き。よくもまあ管理人なんてやってられるな。
しかし、同時に、楽しそうにしている人達に水を差すのも好まない。それは不快なので。チクッと水を差す事を言って盛り下げるのはポリシーに反する。
「なんだァ? このつまらん空気は……許せねえ……!」となったとて、上手いこと流れを変えられるネタを思いつかなかったら黙らねばならない。なんで自分にそんな制約を課してるのかはわからないがとにかくそのように生きている。
まあでも、ぼすきーでノート数の多さを競っている人を見ると「そんなの偉くねぇよ!」を割と直球で言ってしまってるから制約を徹底は出来ていないかもしれない。
あと、別に流れに反感とか持ってなくてもとにかく場の空気にそぐわない馬鹿な事を常に言いたくなる。
「ここで不適切発言したら……一体どうなってしまうんだ!?」みたいな事ばっかり考えているし、最近はもう主張したい事は特に無いのに存在しない雰囲気に対して逆張りしてシンプルに意味不明な不規則発言を繰り返し、インターネット老人会らしい古いネタを引っ張り出して、人に通じない古代のネットスラングを用いた妄言を繰り返している。激ヤバじじい化もう始まってる! してるの!? 前頭葉が……弱体化……!!
なんでこんなことになってしまったのか?
つまり、普遍的なユーモアは存在しない
ユーモアが「異常で無意識の思い込みを破壊する」という原理で発生しているのであれば、逆に言えば、曖昧な解釈や思い込みの無い場所にユーモアは生まれない。壊すものがないからだ。
人間が生きていく上で無意識の判断や思い込みを無くすことは不可能なので、実際に「ユーモアが生まれない」という状況に陥ることはないのだが、つまるところ、その場その場で「目の前の人がどういう解釈をしているか」「場にどんな暗黙の常識があるか」といったものをいちいち確認して、毎回そこを狙って撃たねばならない事を意味する。ずっと相手次第だ。そりゃ……そうだ。
どんな状況でもウケるジョークというのは、無いのだ。発言が異常ではなく「そうですね(普通だな)」と解釈される空気ではジョークにならない。
または初対面で相手の考えをよく知らないという事もあるし、もっと言えばネットに公開する動画は視聴者が何者かすらわからないので相手の思い込みをピンポイントに狙いようがないというのが前提になっている。
それでもジョークをやりたいならどうするか? マッチポンプだ! 自力で空気を作り出し、それを自力で破壊する。
要は「前振り」をやって、話の流れで無理やり「元々存在しなかった思い込み」を相手の頭の中に用意し、それからハシゴを外すというやり方だ。
柔道で相手の体勢を崩して、体重の乗った脚を刈りに行くようなもので「前振り」が崩し「ボケ」が刈りみたいなイメージだ。効くようにする!
意外な事に「ツッコミ」は、ユーモアに必須ではない。「ボケ」の本質的なパートナーは「ツッコミ」ではなく「前振り」だと言える。「ツッコミ」がやっているのは「こんなに思ってたのと違う異常な事を言われました!」と丁寧に補助的に説明する事であり、再解釈をスムーズにするという意味では重要な役割を果たすが「ボケ」の意図が相手に十分伝わる状況であるなら、蛇足とも言える。*24
私は思い込みや固定観念を破壊したがる割に、コピペや語録、パターンみたいなものが大好きなのだが、何故かというとコピペはそれだけで前振りとして機能する程度に多くの情報が含まれているからだ。上手く崩したり組み合わせるとお手軽に再解釈を連発する事が出来て楽しい。
人それぞれの笑い
本人の頭の中の構造によって何が異常かは違ってくる。「ネタを理解している」という事は崩す事が出来る文脈を頭の中に持っているという事だ。マニアックなネタや専門知識を持っていると、徐々に込み入った微妙な違いを笑う事も出来るようになってきて、そういうのが楽しくなってくる。
というか、ひとは様々な知識や経験を積んでくると「正常」の範疇に収まるものが増えてきてなかなか笑えなくなり、込み入った文脈に新たな笑いを求めがちだ。
子供は、単純なギャグでも新鮮に異常だと感じて本気で笑ったりする*25が、成長してくると単純なネタは予想出来てしまうので捻りを入れたくなってくる。捻りのない単純なネタはつまらないので「子供っぽい」と馬鹿にして避けるようになる。
また、ニヤニヤ笑いながら「これから面白いことを言いますよ」みたいな顔でネタを言うよりは、真面目な話をするのと区別が付かないような顔で撃ち込んだ方が単純に予想がしにくくて異常さを大きく出来る*26ので「笑わせようとする側は笑っていない」事が必然多くなる。
プロの芸人の人なんかは「笑う側」をやってる時は思い切り笑うが「笑わせる側」に入ってる時はしら~っと真面目な顔になってる事も多い。
こういう事情もあって思春期前後から「そう簡単に笑わない俺は凄い、周りはつまんない奴ばかり」みたいな方向の自意識に陥って、マニアックなネタに凝るみたいな話もありがちなのだが、まあまあそれも勿体ない話ではある。見下しの気持ちは笑える対象を狭めるので、そういう自意識を広げないほうが楽しく生きていけるように思う。
私もマニアックな込み入ったネタをやるのは大好きだし、そのための勉強をする事もあるが、どちらかというと「シンプルで単純なネタを『効くタイミング』で出す」という形で笑いを取れた時の方が嬉しい気持ちになる。
私が真面目な話を書いている時にちょいちょいネタを挟むのは、退屈さやストレスを軽減して読みやすくしたいというのも大きいのだが、単に「真面目な話をすべきタイミング」は、不快でない程度のネタを投入すると常に異常度が高めになるボーナスタイムなので楽しくてついやっちゃうという心理がある。みんなも一緒にやってみようよ。
逆に、プロの芸人のように舞台の上に立って「これから面白いネタをやります」という状態から始めると、聴衆は構えているので異常をやるハードルが高くてとても怖い。
当然「こいつが面白い事言いまーす!」とか「今の面白かった! もっかいやって!」みたいなのをやらされてちゃんと面白くするのは困難なのでそういうのは「強制的にスベらせようとしている」に近いしホント許せねえよマジで。絶対に許さない。顔も見たくない。ブッ飛ばしてやる……
十分な異常。強度のあるパターンとしての内輪ネタと文化
なんでも「ネタ」にはなる。地球人類全体や日本全国で共有されている「常識」も広く通用して強いのだが
それとは別に特定の界隈でだけ通じる「専門用語」は微妙なニュアンスを利用したり付随するエピソードを文脈として一気に持ってくることが出来て、これも「ネタが伝わる速度」が速くて強い。
専門用語は純粋なネタではなく実用に即して生み出された強度の高い「内輪ネタ」であり、色んな分野を広く学ぶとネタのバリエーションが広がってくる。
昔は「内輪ネタ」を否定していたが、最近は肯定派に傾いてきているという話はたびたびしている。
しかし、つまんないと感じる内輪ネタと面白いと感じる内輪ネタ、文化としての強度がある内輪ネタの違いって何だろう? 最近はそれをよく考えている。
思うに、文化として成立させるためには、何かしらの変わった世界観だったり、強烈に印象に残る異常なエピソードを提供出来るものでなければならない。
それ自体が世間一般の常識的な感覚からのズレを内包しており「なんでこいつらこんな事やってるんだ???」となるような要素は少なくとも必要そうだ。また、「経緯を一口に説明するのが困難で、やや長めの解説が必要」というのも強度の1つの条件になってくるだろうか?
このへんはまだぼんやりしているので「良い内輪ネタの条件」として、今も上手く整理出来ていない。
乗っかって崩す、改変するといった事のしやすい要素や構造があると嬉しい。それ単体で「ボケ」としても「前振り」として優秀であってくれた方が嬉しい……という感覚は少なくともあるのだが……
内輪ネタなのか、馴れ合いなのか
共有されている内輪の活動が文化的な強度があるものなのか「『社会的な快』のためにやってる、外部から見たらどうでもいい『馴れ合い』」に近いものなのかを判定する基準は、パッとは思いつかない。
ここまで来ると好みの問題も大きいのだろうか? 異常性や魅力、面白さといった部分について、ここはまだ掘り下げる余地があるように感じる。
普遍的な基準はまだ整理出来ていないが、私の感覚を示す一つの具体例として「変人アピール」について触れておこう。
「俺達って変だよなw」「キャラ濃すぎw」みたいな変人・狂人アピール、転じて「私は正常ですよ」をやる裏変人アピールは、態度としては凡も凡であり、人間であればよくやってしまうムーブだから「正常」としか言いようが無い、と私は感じている。自分を異常と位置付けている割には想定内すぎる発言なので「異常」に対する態度として横着というか、個人的には少し不快な愚弄くらいに思えて、正直苦手だな、と感じている。その振る舞いを「社会的な快」と位置付けて馴れ合いとしてやるのは構わない*27が、イカロだけが何故か勝手にキレている。
「自分達が変である」という主張は説明であるため「ボケ」ではなく「ツッコミ」に相当するのだが、ほとんど完全に正常で「ボケ」としてそもそも成立していないものに「ツッコミ」で説明を付けても面白くなる事は原理的に無い。そこに異常性もユーモアも宿りはしない。
雑な変人アピールを見た時、元気な時は、ああ、楽しそうだな……という感じで流せるが、寝不足だと「ア゛ァ!?(ピシ) お、おもんね~!!」みたいな“怒”が走る事もある。たまに。
しかし、怒ってどうするってんだ? 私のこんな苛立ちに正当性なんて無い。本当にただただ私の好みでしかない。
この時の私は「ふざけるな! 横着するな! 真面目にやれ!!! インスタントに異常者になろうとするな!! ちゃんと考えて狙ってコントロールして異常性を繰り出すか、本当に狂うかのどちらかをやれ!!*28」と独りでキレているのだが、そんなポリシーを他人に押し付けようとする態度は本当に意味不明で傲慢で不快だという認識と自省は常に持たねばならないので、それを言う事は無い。*29真面目に狂おうとしてる人だらけの界隈があったとしてそんな界隈おしまいなんだから、つまりそんな事言っちゃいけない。
だいたい、異常について考え続けるのは楽しいんだけど脳に良くない負担がかかる感じがする。なんでも捻る余地や別の解釈みたいなものをいちいち考えていると決断も遅くなるし。*30
他人に負担や面白さを強要するというのもだいぶ厄介おじさんだ。*31
人は面白くなくていい。面白さを探求して消耗しなくていい。そもそもSNSは、自分の快や気の合う少数の仲間内での快、たまに好奇心が満たせればそれでよいのであって、それが本来の正しい姿のはずだ。真面目にやる必要だってない。もっと気楽にやって、ふざければいいのだ。それが普通だ。馴れ合いつまんね〜! とかいって、それが出来ない窮屈な空間にしてどうする。「いつも通りで飽きてきたけど、でも、楽しいね」と言える事はやっぱり尊い。
しかし、それでも私の内輪ネタの好みについて語る上では、この感覚について言っておくべきなんだろう。私はこのへんに真剣味(?)のあるネタを好むようだ。
この結論について説明するために長々と快や異常について話をしてきたのかも。我ながらなんか面倒な話だ。一人で勝手にやればいい。
ただ、今後何かしら内輪ネタについての方針を考える際は、この志向がどうしても出てくると思うので、何かしらぼすきーの方向性について誘導を仕掛けたい人は、これを踏まえてからやるといいです。お願いしましたよ。
今後のお話。
お前の話は……つまらん!!
……この話、面白いか? もうちょっと色々話せる要素はあるが*32流石に既に長すぎるので切り上げよう。
大して推敲してないからまとまってないし、そもそも目的がわからない。
いや、一応目的はある。去年と違って、もう少し主張のある事を書きたいな~、と思ったのだった。しかし、やはりというか、どこかで見たような浅い創作論の焼き直しみたいな記事が出来ただけだった。理由は明白で、今年はまともにクリエイティブ出来てないからだ。実践の無い奴の創作論なんて、実に空虚じゃありゃせんか?
「発見」という領域が大好き、という話をしているのに、書きながら「これ、もう誰かが言ってる奴だな……」と自らが提供出来る発見の無さに少し悲しみを覚える。
「せっかく今年も文章を書く機会を頂いたのだ、自分の考えをアウトプットしてみよう」とは思ったものの、所詮Fakeの戯言……人の心には響かない……
なので、もう来年の予定を立てておきます。
2025年にもアドベントカレンダーを書く機会を頂けるのであれば
以下の内容を書こうと思う。
①:2025年に投稿した動画(10本以上)の裏話
②:その実践の過程で、2024年の記事*33をどのように発展させる事が出来たか。
③:何を発見したのか
一体これまでの話が、ぼすきーに何の関係があるっていうんだ?
今回は個人的な事と、せいぜい内輪ネタについてしか語れていないので、ぼすきーの管理人としても少しだけ抱負を語らせて頂きましょう。
振り返ってみれば、2024年はイカロ個人としてはやや停滞の年になってしまいました。情けない限り。
ぼ民の皆様、モデレータに支えて頂いて今があります。
が、相変わらず依存しすぎなので、改善のための投資をやっていきます。
来年のアドカレを書くまでは頑張るぞ。これが抱負です。
*1:だいたいモデレータのおかげで保っている
*2:Twitterにも確か「半年以上現れなかった時期」が3回くらいある
*3:オット! 今はXだったかな……フフ……
*4:オット! 今はXだったかな……フフ……
*5:オット! 今はXだったかな……フフ……
*6:オット! 今はXだったかな……フフ……
*7:投資コストが0に近いためROIだけは凄いぞ
*8:オット! 今はXだったかな……フフ……
*9:オット! 今はXだったかな……フフ……
*10:人間は適応する生き物なので、どれだけムチャクチャな要素を用意しても慣れて「正常」と感じるようになる重力が常に強力に働いている。少し狂った程度で避けることが出来るほど甘いものではない。
*11:要は不快感から注目を逸らすために変な情報をぶつけに行く
*12:「退屈する」ということ
*13:得点って何だよ
*14:「身体的にキャラが可愛いって……エッチな話ですか!?」「社会的な要素の方がエロだろ(激怒)」みたいな対立
*15:好きかい?
*16:オット! 今はXだったかな……フフ……
*17:もちろん、人によって体質や感覚の違いはあるので社会的な快の方と比べて比較的といった所
*18:逆に、上級編になると理屈をこねるだけではどうにもならないアスリートめいた感覚的な要素が押し寄せてきて、私みたいなタイプにとってのコスパは絶望的になる
*19:オット! 今はXだったかな……フフ……
*20:何も言わずに笑顔のまま私から離れていくんだね
*21:重要な修正は大抵取り込むのがしんどい
*22:☎ただいま電話が非常に混みあっております
*23:逆に、明確に決まってるルールには結構従順だ
*24:蛇足のツッコミを「わかってる事を何度もクドいしうるさいな」とマイナスに感じるか「自分の再解釈は正しかったんだな」と安心出来る答え合わせとしてプラスと感じるかは人によりそうだが、サラッとテンポ良く入れる分には多くの人にとってプラスが大きいから普及しているのだろう。当然「ツッコミ自体がなんか変」という畳みかける形のボケも発展技として順当に存在する
*25:極端な例として、赤ん坊は「いないいないばあ」を「異常」と認識出来るのでそれで笑える
*26:普遍的なユーモアは無いと言ったばかりだが、普遍的なテクニックはあって、そのうちの1つがこれだ。「これから面白い事を言います」みたいな素振りを見せない、というのはほとんど常にネタの威力を高めるので常用してよい
*27:というか(皮肉でなく)必要性のある暖かい交流なのだと思う。
*28:私の想定する「本当に狂ってる人」は「自覚が無い」もしくは「自覚はあるが社会性で抑えようとしている。でも漏れてる」のどちらか
*29:私がこういう考えを持っている事を語ったのは、リアルもネットも含めてこれが本当に初めてだ
*30:考えずに短時間でスッとおかしな事を言えるなら最高なのだが、私はいちいち頑張って考えているFakeなので全てが遅い。
*31:なってもいいが、私は避けている事でお馴染み
*32:納得の話とか陰謀の話とか感動の話とか
*33:この記事
*34:「ほどほど」にやります
ストック志向だからって長すぎるよ
長すぎるだろ
この記事は5000文字くらい。
icalo35.hatenablog.com
この記事は17000文字くらい。
icalo35.hatenablog.com
こっちは25000文字くらい。
icalo35.hatenablog.com
これは35000文字くらい。
icalo35.hatenablog.com
長すぎワロタ。
いくらなんでも長すぎるので
流石に個別の記事が重すぎるので、今後は短く刻んで絞ったテーマについて書いたり、技術的、創作的な試みの備忘録とかメモ書きを書いていく事にしよう。
技術Blogを書く謎の人物に私もなりたいよな。最近は技術者はQiitaとかZenn、他はnoteあたりが流行ってるのだと思うが……
最近の記事は複数のトピックを取り上げてそれらについてちょっとずつ書くような形だったのだが、単純にトピックの数が多いために1件の記事が重くなりすぎている*1という傾向だった。ならばトピックを減らせば良さそうだ。
3,4トピックくらいに絞り、せめてMisskeyに投稿出来る程度の長さ……3000文字以内くらいでまとめる努力をしよう。
文章の物量
しかし、35,000文字か。数字にしてみると結構な感じがするけど、これってどれくらいなのだろう?
長めの短編小説なんかはそれくらいの文字数みたいだ。夏目漱石の「坊ちゃん」なんかは上下巻に分かれてない小説ではそれなりの長さ*2で、10万文字弱くらい。
小説サイトだって、基本的には1話を2000~5000文字くらいで区切って1話という形に区切るのが普通だし、Blogなんかもそれぐらいが普通だろう。
そこそこの量を、高い頻度で。それが今の時代の読者向けの態度というものだろう。1つの記事にやたら時間をかけるのは時代に逆行している。時代というか、昔から普遍的にそうなのかも。短く、小刻みに継続するのが一番強い。記事だけでなく動画なんかもそうかも。あまりに長いとキレが悪い。
本当にやりたいこと
ただ、別に読者向けにコンスタントに書くみたいな事をしたいわけでもない。読者が欲しいわけでもない。単に流れにくいストックを作りたいだけだ。Twitter*3やMisskeyのようなフローの場で書くと流れてしまうような事をじっくり書きたいだけなのだった。
Blog形式にこだわる気持ちもないし、どちらかというとむしろJamstackな個人サイト作るとかの方がいいのかもしれない。icalo.netドメイン持ってるし、ぼすきーも運営してるからWebの知識もそこそこあるしな。
でもあんまり気負うのも変だから、とりあえずBlogで満足している。ぼちぼち続けて、不足があるようなら後々個人サイトに移行してみるのも悪くないだろう。
とりあえず、今日はここまで。
ぼすきー1周年記念生放送で話をした事と、そのやたら長い補足
ありがとう1周年

ぼすきーの開設1周年*1を記念してニコニコ生放送で配信を行った。
live.nicovideo.jp
既に1週間経過してるので配信自体は閲覧する事が出来ない*2*3が、ぼすきーの歴史を振り返りながら喋る楽しいものだった。以下は実際に放送しながら観ていった企画ページ。
voskey.icalo.net
この配信は年度替わり前の良い区切りということで、最初にモデレーターを申し出てくださったみそさんの引退式も兼ねていた。この放送のために主体となって色々と用意してくださったのもみそさんである。本当にお世話になりました。感謝の念に堪えない。
どんな配信だったの?
配信全体の流れを再確認した所、以下のような感じだった。
放送時に配信・画面操作をしていたのはみそさん、司会はishikoroさんとアカーシャさん。
20:15 配信開始&音声テストや軽い雑談
21:00 モデレータ陣・イカロの自己紹介・ぼすきーの紹介
21:15 企画ページの上から順に(好きな絵文字・ノート等を)見て紹介していく
22:55 「イカロさんに質問」コーナー
23:45 新モデレータ、みそさんの引退の発表
00:00 乾杯してエンディング
00:15 配信終了
2時間弱くらい企画ページを見ながらぼすきーの思い出を振り返り、1時間弱くらいイカロが喋っていた事になる。
来場者数1,640名 コメント8,170件と盛況で、コメントの雰囲気は完全にぼすきーのLTL状態だった。ぼすきーの普段のオンライン数から、来場者は250名~500名くらいかなあ、と想像してたのだが、予想以上だ。*4 ぼすきー知らずになんとなく盛り上がってるからで観にきた視聴者さんもいたのだろうか?
来場者数に対して広告963,700pt ギフト5,120ptは信じがたい規模だ。感謝。これはお祭りだからと溜まってたチケットや貴重なポイントを大量にブチこんでくださった皆様のおかげだ。あと謎のおじさん。
この記事の目的
企画ページは残っているので、ページを見れば「ああこういう絵文字やノートが投票で選ばれて、それについて話をしていたんだなあ」という事がわかるが、質問コーナーの内容については、私がその場の思い付きで喋っているので、ほとんど情報が残っていない。
また、リアルタイムに思いつきで喋ってるので、まとまっていなかったり支離滅裂だったりする所があり、誤解や説明不足、単純な誤りが含まれていた部分があったと思う。そこも訂正したい。
そういうわけで、少々面倒だが、発言を自分で書き起こし、それに対して補足を入れたものを記事としてアップする事にした。あれも書きたいこれも書きたいとチマチマ追記してたら結局1ヵ月以上かかってしまった。
意外と音声の文字への書き起こしって面倒だな。AIで文字起こしするサービスなんかもあるが、今回はそういうのは特に利用せずに人力である。あと、書き起こしてると意識してない自分の口癖みたいなのがわかってちょっと恥ずかしい。何度か言ってるけど自分の声いまいち好きじゃないし。
TΔT(@tsudetsun)さんと岡津 明日香(@_okaz)さんが一部を書き起こしてくださっていたので、一部流用させて頂いている(結局全て自分で聴き通しはしたが……)
イカロへの質問
1周年記念生放送は「好きなノート」「好きな絵文字」等の他に「イカロに質問したい事」を、ぼすきー上で募集していた。みそさんがあらかじめGoogleフォームを設置して匿名で募っていたのだ。
そこに届いた質問のうち、回答して構わないものをマークし、あらかじめスライドにして頂いていた。「回答して構わないもの」といったが、基本的には頂いた質問には出来る限り回答している。ちょっとチョイスが大変そうだなあと思った【好きな#伽アート】と【(教えられる範囲内でok)今までの人生の中で一番感動したことってなんですか?】という質問だけ外させて頂いた。もちろん質問自体には問題は無く、純粋に答えるのが難しかったり時間がかかりすぎそうだったのが理由だ。
1周年記念生放送の準備は「なんか知らんうちに準備が進んでるな……」という感じでイカロは直前までほとんどノータッチ*5でいた事もあり、質問の内容を確認したのは放送の2日前とかそれくらいの時期だったので、いくつか「この質問にはこんな感じの回答をしようかな」と軽くあたりをつけてググって基礎知識部分について裏取りしただけで、半分以上アドリブである。だから支離滅裂で聞き苦しい所がたくさんあったと思う。もうちょっとこういうのは事前に練っておくべきなんじゃなかろうか。*6
質問は、ある程度意図を持って回答順の並べ替えを行った。
基本的には「料理」「動画」「酒」「絵文字」「ぼすきー運営」といった形で近いカテゴリの質問はある程度近くにまとめた。また「ネタ色の強い質問は前半にざっくりと配置し、後半は徐々に真面目な話を増やしていく」という形になるように並べた。
さて、ここから下には「質問」「配信でのイカロの実際の回答」「補足の後記」を記載させて頂こう。イカロ以外のモデレータの発言も、話の流れ的に必要な場合や、面白かったものについては一部記載させてもらっている。
ishikoro「ドンドンいっちゃいましょう」
アカーシャ「どうせ大したこと送ってきてねえだろ」
Q01. 戦ったことある動物がイノシシだのシカ以外にもいたら聞きたいです
これって若干事実誤認があって、シカと戦ったことはないです。バトルしたことあるのはね……話をしたことあるのはイノシシとヤギですね。ヤギは河原で戦ったことあるんで。別にそんな動物とばっかり戦ってないですね。
どうだろう……小学生の頃に阿蘇ファームランドでアヒルに餌あげる体験した時に指やられてしまったっていう。そんなあれとか、あと天草に行った時に、海水浴場でフグに手を噛まれたっていうことはありましたね。泣いちゃったっていう……基本的には動物相手にはちゃんと勝ったことがほとんどないですね。涙目で敗走するか勝負なしっていう風になったことしかない。
だからね、ちゃんとバトルして勝てる大人になりたいなと思ってます。握力を鍛えれば開発力とかサーバー管理力も上がっていくはずなんで……あの、ウェブ魚拓を開発した人とかって握力日本一ですからね。だからもうね、そういうトレーニングをしていきますっていう感じですね。はい。これは以上です。
いきなり動物とバトルして敗北する話をする管理人。よく考えたら勝とうとするんじゃなくて動物とバトルするべきではないですね。
あと「動物とのバトルに勝つ」→「勝つためにトレーニングする」→「握力を鍛える」→「握力を鍛えれば開発力や管理力も向上する」という地味に意味不明な発想の飛躍が見られる。
ちなみに、Web魚拓の開発者である新沼大樹氏は握力165kg無いと閉じられないCaptains of Crush(CoC)グリッパーを閉じる事が出来るので日本最高峰の握力を持つのは本当なのだが、今調べたら新沼氏に匹敵する握力の持ち主もいるらしく「日本一」というのは不正確だったかもしれない。なんにせよ「身体を鍛えると開発力も上がる」というイメージの根底に新沼氏の存在がある。頭脳労働といっても最後は体力勝負やけんね……
Q02. イカロさんへ 好きなサメはなんですか
好きなサメ……これはですね、ずいぶん昔ですかね、中学生? いや、小学生ぐらいかな……ちょっと時期曖昧なんですけど、家で婆さんがなんか煮物? フカヒレの煮物みたいな感じで作ってたのが、「あ、ほらフカヒレの煮物じゃん。おいしいおいしい!」と思って食べたやつがあったんすけど、これね、フカヒレじゃなくてエイヒレだったんですよ、全然。よく考えたら軟骨とかあるし。だからね、私の好きなサメってエイですね。
アカーシャ「仲間だけど!」
以上です。
おつまみとしてのエイヒレのイメージもあるが、肉厚めに干したものを煮付けにするみたいな料理もある。煮付けは全然フカヒレっぽくないのだが、私が食べたのは若干茶色? 黄色? っぽいスープに浸ってたので「これフカヒレじゃん!! テレビで見た!!!!」となった記憶がある。でも多分トロみとかは無かった? からなんか普通に煮たんじゃないだろうか。そもそも本物のフカヒレを食べた事が無かったが、なんか硬かった(フカヒレは柔らかいイメージがあった)ので疑問に思ったら婆さんが「これはエイだから」的な事を教えてくれた記憶がある。言わなければ多分「フカヒレってそうなんだ」と思い込んでいたかも。婆さんにジェネリックフカヒレを作る意図があったのか、単にスープが偶然それっぽい色になってたせいで私が激しくアホの勘違いをしただけなのかは今ではわからない。
omocoro.jp
なんかオモコロにそういう記事があったけど、そうそう、やっぱりスープはこんな感じの色だったと思う。そうだったはず……もう20年以上も前のおぼろげな記憶だ。でも旨かったのは間違いない。そもそもエイヒレは旨いので今でもおつまみとして食べる。
Q03. 血液型はなんですか
血液型……
みそ「A(エイ)ですか?」
A(エイ)ではないんですwこれはね、Bです。かに座のB型ですからね。私が大怪我したときはちょっと頼みますって感じですね。血液型かぁ……これ、ちょっと、返しにユーモア広げる余地があんまないなぁ。けど、B型っぽーいって言われるのは嫌だったなぁみたいな話はあります。血液型占いってあんま科学的根拠ないのに一時期すっごい流行ってた。なんか……アニメもありましたよね。血液型くんとかね。アーススターエンターテイメント。ね、科学的根拠なくてもちゃんと創作とか商売はできるんだなぁって、こう……人の営みにはそういう領域があるんだって、そういう気づきを得ましたね。そういう話があります。何だっけ……うん、以上です。はい。ごめんなさい……
エイの話からAに繋げる発想は無かったのでみそさんの小ボケにちょっと笑ってしまった。
当時、血液型占いが流行っててB型はクズ扱いだったし、かつてのインターネットでは科学的根拠が無いと叩く風潮だったため私もそれに同調して嫌っていた覚えがある。
お金というのは科学的根拠や実用性がなくても、人を楽しませたり納得さえさせれば受け取れるのだ……という学びはあったが……当時の、あたかも科学的根拠があるかのような「実験結果」のVTRを流して偏見を強化したり、血液で人格を決めつけていた風潮はコンプラ的によろしくないと思う。エンタメとしてのウソと詐欺の境界線は見誤らないようにしたいものだ。
Q04.りのちゃんにぺろぺろされたご感想をどうぞ。
あー、りのちゃんね。やっぱ愛犬的なね、愛犬的な距離感で可愛がってるんでね。女の子というよりはワンちゃんに舐められてるような感じですかね
「子供たちが家を離れ 寂しかった我が家ですが、この『りの』が来てからは毎日の生活が楽しくなり、ペット同様可愛がってます」
そんな感じの気持ちです
アカーシャ「やっぱ認知はされてないんだ……!」
おかきもち「かわいそう……」
アカーシャ「でも昔よりマシか」
ちゃ、ちゃんと可愛く……(?)
最後は「自分なりに可愛がってる気持ちはある」みたいな事を主張したかったけど噛んで言い淀んだっぽい。
ちょっと恥ずかしかったので愛犬ロボ「てつ」のフレーズを出して誤魔化した。愛犬的な距離感なのは本音ではある。犬飼った事無いけど……
www.nicovideo.jp
Q05.熊本・東京以外で住むならどこに住んでみたいですか?
旅行してみたい所はたくさんあるんですけど住むとなるとちょっと、わっかんないなあというのがありますね。どうしても故郷か都会かって二択になりがちだなーって、住めば都と言うから、多分どこだろうと住んだら情が湧いて好きになるかなーと思うんですけど、そういう意味ではどこでもいい……んで、そう。熊本もいいとこなんですけどやっぱ故郷じゃなきゃあ住もうと思わなかったかなぁとは思うんで実際の話。
現実的な話ぃ……を全てを無視していいんならカリフォルニア。カリフォルニアサイコー。カリフォルニア州サンフランシスコ。iPhoneとかiPodとかってDesigned in California assembled in Chinaって書かれてるでしょ。えぇ……!? って。Made in chinaをこんだけしゃらくさく書けるんだぁってビックリして!
それでもう……あっちだと暖かい北海道みたいな扱いなんですよカリフォルニアって、すごくない? なんか、だからもう、でもまあね、ただシリコンバレーって物価とか治安とかえげつない事になってるから実際にそういう現実的な話をするとダメなんですけど、イメージ上のカリフォルニアに住んでサーフィンとかして暮らしてえなってそういう気持ちはあります。
ウボァー「アメリカンドリームですね」
「熊本か東京以外」という条件で唐突にカリフォルニアを出した*7のはやはりIT屋としてシリコンバレーへの憧れみたいなのがあったのかもしれない。Appleもようやっとる。Android派だけど。まあこれも令和の時代には古いアメリカンドリーム観かもしれない。*8
カリフォルニアサイコーは、なんJで「加速するストレート」について語った通称マグヌスニキが、マグヌス効果によるボールの「HOP-UP」を説明する参考資料として、楽しそうに日本語で「カリフォルニアサイコー」と発言する(恐らくアメリカ人の)サーファーが次々登場する謎の動画のURLを提示した、という出来事が元ネタ。これはかなり意味不明なのでとても好き。
ちなみに「暖かい北海道」というのは、北海道のような広大な自然を誇り酪農が盛んでありつつも、北海道よりは温暖でパラダイスみてぇな土地、というアメリカ的なステレオタイプが存在するのでこのような発言になった。でも酪農が盛んで温暖、それって熊本かな。それって熊本県だね。熊本だいすき。
Q06.バオバブ育てない?
逆にこれなんでぼすきーでバオバブが流行ってるかマジで教えて欲しいんすよね! なんか、どうなんだろう。星の王子様とかに登場するメチャメチャクソデカい木ってイメージがあるんですけど、調べてみたんですよ、質問来てたから。割と盆栽としてもやられてるような? もので、大きめの植木鉢とかで育てられるものらしいんですね。なんかねえ、植木鉢かあ、昔お婆ちゃんが玄関の花壇でお花育ててたなあって。こう、でっけぇ緑のジョウロでお水やったりしてたなあみたいな、そういう思い出が、ね。なんか蘇ってきて。植物を育てる生活いいなあって。子供の頃はつまんないと思ってたけどいいですねって、でもバオバブは育てません!!! 育てません!!
バオバブが流行ってる理由はマジでいまでもわかってない。エイヒレの話をしたからか、なんかお婆ちゃんの思い出がまたフラッシュバックしてしまった。もう亡くなって随分経つのだが、今でも玄関の花壇のお花とデカい緑色のジョウロと当時の家のジメジメした土の匂いはたまに思い出す。*9 あと庭でキャッチボールしてて花壇の植木鉢を粉砕した結果、お婆ちゃんが「楽しみに育ててたのに……」としょんぼりしてた記憶を思い出してウアアアア!!! となる事もある。
Q07.好きなファンタの味は?
これもなんだよ!!!
ウボァー「しょうもない質問ばっかだ!!」
ファンタってコカ・コーラの偽物なんですよ。ドイツが開発した。コカ・コーラの偽物なので、そういう生まれなんで。だからコカ・コーラの話をします。
子供のころ本当にね、バニラコカコーラってのが一時期出てたんですけどメッチャクチャ人気なくて近所のスーパーで死ぬほど売れ残ってて、凄い悲しかったなってのがあったんですよ美味しかったのに。悲しかったからねファンタグレープ飲んで、ましたね。子供の頃はワイン、ワインとかってイメージ上のワインってファンタグレープみたいな味だと思ってたんですけど実際ワイン飲んだらスッゲェ渋くて全然違ってて。それからなんか、ファンタオレンジィ……好きなファンタはオレンジになりましたね。みんなそうじゃない?
ウボァー「それはどうかな……僕はブドウの方が好きですけどね」
質問事前に見て実際に答えるまで「これなんか覚えのある質問だなあ」と引っ掛かりつつ思い出せなかったが、これはTRPG「怪談白物語」でキャラクターの設定として決めるようにルールブックに記載されている質問だった。だったら無職の話とかすればよかった。
dic.nicovideo.jp
個人的には、私が適当に回答した中でも特に論理展開が破綻していて好き。
「好きなファンタの味を訊かれた」→「ファンタはコカコーラの偽物*10 である」→「だからコカ・コーラの話をする」→「バニラコカコーラが好きだったが人気無くて悲しかった」→「だからファンタグレープを飲んでいた」→「ワインはファンタグレープ的なものだと思ってたら全然違った」→「だからファンタオレンジが好きになった」→「みんなそうじゃない?」
「だから」の接続がほとんど機能しておらずとにかく連想ゲームで発言しているとわかる。マジカルバナナじゃねえんだぞ。これで最終的に「みんなそうじゃない?」と同意を求めるのも意味不明*11だし、ウボァーさんが「それはどうかな」と素朴に反論しているのも面白い。
Q08.ぼすきー内から失礼するゾ~(謝罪) いんゆめを禁止にして料理を作ってバトルしてみた(sm43217545)面白スギィ!!!!! 自分、広告いいっすか? 淫夢知ってそうだから淫夢のリストにぶち込んでやるぜー いきなりクソマロしてすみません! 許してください! なんでもしますから! (なんでもするとは言ってない)
ishikoro「なんか……ろくでもない文章来ましたけど」
アカーシャ「ああ、次々」
これ、これ、まあまあ。いや、質問……質問を送る所なのに質問になってないじゃないか。こんなんじゃコーナーになんないよ~って。
アカーシャ「クソマロだよ」
広告なんてそんなことしなくていいから(良心)
まあでもあの動画は結構楽しかったんですけど、やっぱいんゆめの領域とボイロの領域の文化的な境界って結構デリケートな奴ですから、だいぶ気を使う所はありましたよね。
なんで、あれで使った元ネタのリストみたいなのをちまちま書いてたから多分この後、ブログ記事にでもしてアップすると思います。アドベントカレンダーとかを書いてたブログにでも。書くと思います。
はい、質問じゃないから次々。
実際にブログ記事にしてアップ済みである。えらい長くなった。
icalo35.hatenablog.com
Q9.イカロさんは何割ほどコアラなのでしょうか?
あのぉ……コアラぁ???? うーん、どうなんだろう。コアラっていう文字。コアラっていうシニフィアンが、コアラというイデア、シニフィエをどの程度表すのかっていう話みたいな所で一席ぶつことも出来るんですけど、あのぉ……うーん、ちょっとコアラだよぉ。書いてある通りにコアラです。
以上ですって感じですね。
ウボァー「書いてある通りにコアラ」
書いてある通りにコアラです、何割とかは無いって感じです。
これはいまいち回答を拡げる事が出来なくて反省。そもそも私がコアラである事は当たり前すぎて何割とか無いというのは率直な感覚でもある。コアラである事が当たり前すぎるって何?
コアラというシニフィエが表すシニフィアンが見当たらないアイコンなのでそのへんに引っかけて語ろうとして失敗している。
実際に「割合」というものを本当に意識したことがなかったのでこれは案外考えさせられる問いだ。そもそもアイデンティティに「割合」というものは存在するのか?
例えば「エンジニアで動画投稿者でSNS管理人である」という自分のアイデンティティのうち「あなたは何割ほどエンジニアですか?」「あなたは何割ほど動画投稿者ですか?」と問われるのに近い感覚を覚える。アイデンティティってそういう問いに数字で返答出来るようなものではない気がする。「自分にとってコアラとは何か?」みたいなのならもうちょっと拡げようがあったかも。いや、別にあるはずないだろ……アホか……?
Q10.今まで全部煮てきた中で特に好きな煮はなんですか?
これ「特に好きな煮」って言い方だから結構曖昧だなあって気持ち。あの、動画指してるのかな、料理の味を指してるのかなってところでアレなんですけど。
動画としては4つ作って統合したやつは自分の中で良かったっていうのがあります。あと謎を煮たやつですね。謎を煮たやつも好きです自分の中で。
料理としては動画で出た奴だとブリ大根は本当に美味しく出来たなって自画自賛してたんですよね。ちゃんと和食出来たなっていう手ごたえがあった。その、ブリ大根なんて一人暮らしのオッサン作んないでしょうって。作ってみたら凄く美味しく出来て感動したってあれがありましたね。
あとはカレーとか肉じゃがはなんだかんだ安定して美味しいし、リゾットも米の煮物みたいなもんだという風にすればかなり好きでレパートリーには入ってるって感じですね。
くさやはカスです。あんなものは煮ちゃダメ。
ishikoro「マーマイト煮てくれませんかなんていうコメントも来てるんですけど」
マーマイト、隠し味としてはまあ……入れてますよ既に。
アカーシャ「ええ私も結構日常的に使ってますからね」
なんていうかメインだとおかしくなるんですけど、全然隠し味としてちゃんと美味しい奴ですよあれは。
料理そのものについては真剣にやってるつもりだが、やはり自分はエンタメ寄りの人間だな、と感じさせられた質問。
料理ガチ勢はたくさんいるものの、視聴者の多くだって素人なので「素人が頑張って作る」というチャレンジ性、共感性みたいなのが私の作風上では大事だと思っていて、それが行き過ぎると「くさやを煮て臭いで自分もろとも家族を苦しめる体験」という普通じゃない感動を視聴者と共有する動画、という形を取る羽目になる。
私みたいに極端な挑戦やボケを好むタイプの人間にとっては「全部煮る」というシリーズの持つ「煮物だけ」という縛りはある種の安全弁として機能してるかもしれない。ジャンル限定の投稿祭に積極的だったのとか。ノージャンルだと何をし始めるかわかったものではないし、多分いつまでも作り終わらない。
Q11.くさやじゃなくて腐乳のラーメンどうですか 腐乳美味しいですよ
くさやじゃなくて腐乳、フニュー!? ふにゅ~、フニュー 腐乳というと……豆腐ようは板前さんの差し金によって豆腐よう食べた事はあるんですけど、腐乳、多分近いものかなと思うんですけど正確な味知らないんですね。で、この手の発酵食品って煮物の風味付けとかコク出すために少量使うみたいな使い方ならあの、ナシではないんですよラーメンスープとして、多分。でも動画にしたくさやラーメンは馬鹿みたいな量使ってるからダメなのであって、ちょびっと入れるんならまあまあまあ、風味出してコク出してって出来ると思うんですけど、ただ……ラーメンのスープ作るのって本っ当にダルいんですよ。大変なんですよ。パスタソースとかより断然面倒くさいと思う。
みそ「面倒くさいですねえ」
だから試作も本当しんどかったですから……だから普通のラーメン味のバランス取りながら作んのダルいと思ってるのにそんな尖った食材使うわけないだろぉっていう。無茶なんですよあんなもん。製麺も大変でしたからねー、もう。まあただ腐乳は興味はあるんで、そのうち楽天で買って食べてはみますけど、多分ラーメンにはしません。ラーメンにはしないです。
ラーメンは実際、たっけぇ池永式製麺機があるし、第二回ラーメン祭で主催しておきながら自分の動画を投稿出来てない後悔がかなりあるんで、何かラーメン動画上げたい気持ちはあるんですが……ぐぬぬぬぬ。
腐乳はまだチャレンジしてませんが、ちょっと意識してるので絶対食べます(ラーメンにはしないけど)
そもそも製麺に限らず、料理動画の撮影って思ったより大変だ。難易度が高いという意味ではなく労力がしんどいという意味。長年やってきて物凄く今更だけど。動画を編集する以外の工程に縛りが多すぎる。撮影で1日潰れる事はザラだし。
パソコンの前の作業だけでなんとかなるタイプの動画をやってみたいってずーっと思ってる。それはそれで多分別の苦労があるんだろうけども……
幕間
みそ「もうカスタム絵文字にされてますよ」
アカーシャ「『くさやはカスですあんなもの煮ちゃいけない』通すかそんなもん!!」
ishikoro「名言がもうカスタム絵文字化されてる……」
Q12.どうすればイカロさんになれますか
イカロなんかになっちゃダメだよ。あのね、私もね、イカロになろうって頑張ってんだから。頑張ってんだけど大変なんだから。イカロはね幻想ですから。イカロなんてねえ。そういう奴をやろうとしてるけどね、あのー、素の自分はね、ちゃんとしたイカロ像からかけはなれている存在なのでね、っていう。ところがね、あります。
これもQ9の内容に通ずるアイデンティティの話。「イカロってなんだよ」というのは私の中でもよくわかってないです。
色んな人に楽しんで貰いたいものの、動画じゃなくて私の自我がコンテンツになってもしょうがねえだろという感覚は自分の中にずっとある。
ただ私は作風的に自我や体験をドキュメンタリー化したものが結構得意だし作ってても楽だし、割とウケてるな、という感覚もあり、そこに矛盾がある。
キャラや声を借りているのに自我を積極的に出すのはどうなんだ? いいのか? まあ結局それが視聴者の楽しみに繋がってるならOKではあるものの、自我を出す事を目的にしてはダメだな、という思いは割とある。*12 とにかく動画を楽しいものにしよう、という目的がまずあり、結果としてやむを得ず漏れてしまった分の自我、それが今のところ私にとってのイカロだ。私自身にとっても理想化されてる所があるように思う。
Q13.どうしたらイカロさんみたいな面白い動画が作れますか?(プロットとかネタ帳などどのように作っていますか?)
これは基本的には私、普段からやってるところに関しては、そのTwitter……いや……"エックス"にせよ、ブログにせよね、他人が面白い事を言ってるな、とかこんな面白い事があるなって思いついたらEvernoteとかOneNoteみたいにスマホとパソコンで同期出来る系のアプリに延々溜めて書いていっぱいストックしてるような。で、それを改変したりしてなんか変な文章作ったりとかそういう事を日常的にやってるんですよね。だからまあ割とパクりというか、他人の真似を延々とやって嚙み砕くってことをずーっとやってるような感じ。
で、面白い動画を作れます、動画、動画……面白いのか? っていうの自分で。頑張ってるはいるんですけど、何がウケてるのか自分でちょっと正直よくわかってないんですよね。
自分の面白さに自信……が、まったく無いとまでは言わないんですけど、突き詰めて考えると「なんで?」っていう気持ちになってきますよねやっぱり。
だから「どうしたら面白い動画が作れますか?」って本当の所、私にもよくわかってないし私が知りてえよって感じではありますね。
コスパとか良くないんですよ私の動画の作り方。1本の動画にメチャメチャアホみたいに毎回新しいチャレンジ入れたりとか金使ったりとか労力使ったりとかそういうことしないと気が済まないタチだから、ただコンスタントに出来ない、だから定期的に投稿するってことが出来ないから、そういうことをむしろ今度はやりたいなっていう風に……
で、台本とかどうしてますプロットとかどうしてますっていうのは、大きな枠組みは決めるけど、作りながら修正するのが多くて、完成したらだいぶ別物になってるんですよね。
動画4本撮って結合したら変な形になるだろうみたいなアイディアもあったけど、アレすら結構基本的な構造だけ決めてアドリブでやってたりします。あとは、プリミティブな創作じゃないんですよ、動画って。あのプリミティブっていうのは一番細かい部品、基礎になる部分。あの絵は何もないまっさらなところから描くじゃないですか。動画ってやっぱお借りするっていうんですかね、撮影する事はあるけど、基本的には立ち絵とか効果音、BGMとか借りて並べるだけでしょう。だから喋ってもらう内容とか展開だけを考えるんですけど、そういう大きな構造の創作しか出来てなくって、声も借り物ですから……だから、他の人が用意してくれた借り物をどう並べるかっていう事になって、それ自体はとてもインスタントな……インスタントな創作だなって、だから軽く見られがちな所じゃあるのかなっていう風に思うんですけど、だから動画投稿をしてる人って絵を描きたがる人ってやっぱ出てきたりするじゃないですか。あの絵に興味無かったけど動画投稿したから描きたくなったっていう人。私の場合は音楽ですね。音楽のプリミティブをやりたくなってきたっていう気持ちがある、と。細かい所をコントロールしたい、自分で作りたいって気持ちが宿っていくと。
TOKIOみたいな精神ですよね。ラーメン作るなら麺を買うんじゃなくて、小麦粉から製麺する。いや粉の前に小麦を栽培しよう。いやいや畑から作ろうって、ドンドンプリミティブになっていく、って。プリミティブなものほど偉いみたいな精神性みたいなの、結構創作する人はみんな持ってるんじゃないかなって。
ただ、それはキリがない事なんですよ。SF作家で物理学者のカールセーガンっていう人がいるんですけど、カールセーガンは「本当の意味でアップルパイを作り出したいんならまず宇宙を創造しなければならない」っていう風に言ってて、その、プリミティブであるということは宇宙に近いということです。だから偉いって思うかもしれないけど、でも……でも借り物でも一杯のラーメンには価値があるぞっていう、そういうことを、インスタント麺を旨く茹でられるって事にも矜持を持つ事はできるわけです。
なんでそこに情熱を持ちてえなっていう気持ちでやっていっている。
なんだ? なんか言いたい事がブレブレになったけどまあそういう事を考えながら作ってますっていう。
ウボァー「なんか急に良い話になって感動が」
アカーシャ「ね、感動が芽生えますね」
普段思ってることをベラッベラ出してるような感じ……
ウボァー「や、ありがとうございます」
これはそれなりにずっと思っていた事の言語化にはなってるけど「長くなりすぎかな」という意識が出て尻切れになった所がある。
後半の「プリミティブなのは確かに凄いし偉い」は常々思ってた事だけど、私の中で本当に言いたい所であり主題だったのは「そうでない創作にも矜持を持てよ」という結論の方だった。「プリミティブなのが何故偉いと感じるのか」の分析や説明に尺を取りすぎたせいで結論がサラッとしか言えずに弱くなったかな、と反省。
全てのコマを描画して表現する「アニメーション」の動画と違い、素材を並べて構成を作るタイプの動画編集、「コンポジション」というのかな……そういう種類の動画は、低クオリティで構わないなら今の時代驚くほど簡単に作れてしまう。借り物の素材のクオリティが高ければ雑に作ってもそれなりに見れるようになる。でも、それだけでは何かが足りない。そう、感動だ。
「コンポジション」の力、編集力を高めればよいということか? そういうわけでもない。私が思うに、動画を面白くするのに重要なのは見せたいものをどう見せるか、何をテーマにしてどう感動させるかという部分を「構成」していく部分だ。「構成」は目に見えないから意識しないとそもそも存在自体に気付かない事も多い。しかし素人の「動画編集者」が出来る努力の多くは構成にあり、他に才の無い人間にとってはほとんど全てだ。
「どうすれば面白い動画を作れるか」以前の問題として「プリミティブな創作が出来なくとも、構成に力を入れて動画を楽しめるものにしてやりたい」という意識がまず無くてはいけない。「楽しめるものにしたい」という意識無しに動画が勝手に楽しくなることなどない。ならばそこに矜持がなくてはならない。構成というレイヤーの創作が持つ可能性をまず認識することが必要だ。プリミティブではなくても、高クオリティの素材を作ってくれている人と対等に肩を並べ、人を感動させんとする心意気だ。*13
最近の合成音声界隈を騒がせた某事件については私はさして詳しく追えていないのだが、その流れで「立ち絵の絵師は動画投稿者にとって神のようなものだから」「動画投稿者なんて絵師がいないと何も作れないんだから」という言説が一時期飛び交ってた事があったように思う。
私はそれに人知れず憤慨していた。確かに立ち絵には世話になっており、これ以上なく有難いものだ。そこに敬意を払わないのはいけない。しかしその魅力を引き出さんとするのが構成屋たる動画投稿者の腕の見せ所であり、ならば立つべき地平は対等だろう。ふざけるな、矜持を持て。大げさかもしれないが、やっている事は指揮者であり監督であるはずじゃないのか。変に気負いすぎか? そうかもしれないが……
とにかく、そういう事を語りたかったのだった。
「どうしたら面白い動画が作れますか?」という問いには明確な答えを持たないが、あえて答えるなら「まず、作ろうと明確に想うことから」という月並みなものになる。*14
Q14.バナナはおやつに入りますか?また、おやつに入る場合イカロさんはデカメロンですか?
アカーシャ「あー……(クソデカ溜息)」
えーっと? あ~~でもね、バナナはおやつに入りますか。そういうのはしれ~っと「おかずです」って言いながら堂々と持ってきた方がいい。君が質問したからじゃあおやつ扱いにしておくか……って言ったら買えるおやつの量が減っちゃうじゃないのって感じするので、そこはちゃんとね、あの「訊くな」っていうのがあります。
で、デカメロン、デカメロンって、えーっと私この質問見たときにデカメロンってなんだっけって検索したんですけど、あれってイタリアの文学作品ですよね、元ネタは。なんだっけ、ダンテの「神曲」を意識して書かれた作品で、あのー、神曲はキリスト教の宗教的な煉獄とか地獄とか天国とかその辺を描いてるのに対して、デカメロンって人間ドラマを焦点当てている作品ですから。人曲とか人の曲とかウマナ・コメディア(Umana commedia)とか言われますね。そういう作品だっていうところで人間ドラマに焦点あてるっていうか、神じゃなく人であると、神曲ではなく人曲であるかっていう、話かもしんない。だから精神性的にはエッチな音楽を作りましょう皆さん、みたいな精神性をこの質問には問われてるんじゃないかな? 多分この質問の人はそういうことをイカロに問いかけてるんですよね多分。
アカーシャ「なるほどなあ?」
歴史的な流れを見たら神曲とかデカメロンって作品は庶民的、ラテン語じゃなくてトスカーナ語とかで書かれてるんですね、だから、なんだろう。ルネサンス初期の初期の作品だから高尚な文学作品はラテン語で書かれるものという固定観念があった時代で、こう、あえて俗な言語で広めるっていうそういうなんか。その後ルターの宗教改革で聖書をラテン語からドイツ語に翻訳するみたいなそういう話にも繋がっているような流れですよね。知識人というか趣味の特別な所をエンタメとして広めていくぞっていう流れに繋がってるから、そういうコンテンツを作って、人間ドラマを重視したいっていうデカメロンの位置付けっていうのは確かにイカロが目指すところの1つかもしんない。そうあれかしって気持ちがあります。
だから、それを踏まえて回答するとイカロはまだデカメロンではないです。それを目指しています、と。バナナがおやつだろうがおかずだろうが、多分そこは変わらないっていう気持ちがあるっていう。そういう回答ですね。
ishikoro「おかしい、急に知性下がる質問来たなって思ったら、急に知性回復したんだけど」
アカーシャ「デカメロンがダンテの話になるとは思わなった」
このデカメロンについては質問がアホっぽいので最初は素直にボケてデカいメロンの話でもしようかと思ったが「そもそもデカメロンってなんだったっけ?」と思って検索したら「ああ近世初期頃に、神曲からの一連の流れの作品だったか」「ルネサンス、大衆化、人間ドラマというテーマか。創作論に引っかけて一席打てそうだな」となりこの位置になった。私は大した教養人ではないのでデカメロンの原典に触れた事は無いのだが、その歴史的な立ち位置、意義は想像以上に深いように感じる。欧州における大衆文学の走りと言えよう。14世紀といえば黒死病の時代、死の舞踏から再生(ルネサンス)へ繋がる時期だ。実際にデカメロン自体、ペストから逃れた男女が気を紛らわすために愉快で軽妙な物語を語り合うという形式の作品だ。*15 軽く調べてみた感じ、どうも下ネタや権力者を風刺するスカッと系の話が多いらしく、明治時代の日本では訳書が一時発禁、有害図書みたいな扱いだったようだ。言葉の印象以上にエロい本だよ。意外と古典ってそういうのあるよな。日本だってデカメロンの300年以上前に源氏物語とかいうエロい古典が書かれてるんだから負けてねえぞ。そういうエロ情報を仕入れてるけど配信ではノリで語ってたから説明もなく唐突に「エッチな音楽を作りましょう皆さん」という某氏*16の名言にいきなり飛躍している。この名言は音楽について「緊張と解決の繰り返しが気持ちいい」「焦らすと快感が増す」という流れからの発言であり「快」についてのポジティブな姿勢やユーモアのセンスに溢れていて凄い。某氏は曲がオシャレな上に歌詞が全体的に「快」や「憧れ」みたいなものにずっとポジティブで聴いてる側も気持ちいいよね。現実はどうあれ物語では愉快でエロい人間のドラマをやりましょうという精神性はデカメロンと通底していると(勝手に)感じたし、私の目指す物も割と近い位置にある気がする。
読んだことない古典作品に引っ掛けて語りすぎかも。偉そうな感じがしちゃうかもしれないので普段語らない反動だ。
Q15.https://voskey.icalo.net/notes/9fjk36tcl2(そうやなす)の全訳をください
あのこれね、ごめんなさいなんですけど、あのね、あのー有志の皆さんが推測したやつで大体合ってるっていうところで。私ね、酔ってる時の細かいニュアンスとかね、本当に覚えてない、これお答え出来ないっていうのが本当の所ですね。
ウボァー「1個訊きたい、イカロさんに訊きたいんですけど」
はいはい
ウボァー「あのー、お酒飲んだことないらしいですけど、アルコール入った時に変な、変なっていうかこういうことを口走るじゃないですか」
はいはい
ウボァー「以前、あのー2月末、3月か。ボイボ寮祭の終わった後にイカロさんと僕飲んでたんですよね。で、その後に解散した後、僕、その時、イカロさんまだ飲ませないとちょっと狂わせられないかなあって思って解散したんですけど、その後イカロさんちゃんと狂ってたんですよね」
アレはウボァーさん達と別れた後に中華料理屋でチャーハン喰いながらビール飲んでたんですよね。それで一人になってもういっかぁ、緊張したけど楽しかったなあってこう、過ごしてたんですけど、その後アパホテルとかにいってアパカレーとか食いながらやってた感じですね。
ウボァー「あぁ、じゃあやっぱりあの後追いをしたって事ですか、どっちかというと意識はしっかりしてるけど手元の操作がおぼつかなくなって変な事を言ってるのかなって個人的に考察してたんですけど、そうではない?」
あー、それに近いですよ。それってあのー、次の質問に多分なるんですけど……
ちなみにウボァーさん達と別れた後に食べたのは正確に言えばパスタと白ワインとチャーハンと麻婆麺とビールとアパカレーだ。
自分でも何でこんなに食欲があったのか謎。別に普段からこんなに食べてない。アパカレーに至っては別に食べる必要もないのに謎の義務感で熱湯で暖めて雑にすすって気絶したらしく写真すら撮っていない。あと何故かお土産で持ってきたけど存在を忘れてた「恋する甘夏チーズケーキタルト」もいくつか食べた。これは普通にウボァーさん達に振る舞えば良かった。何やってんだ?
多分変なノート投稿してたのは記憶が確かならチャーハンのタイミングのはずだが記憶が確かな保証は無いし、どの段階でおかしくなってたかはわからない。なんならボイボ寮祭の時点からだいぶおかしかった気もする。


Q16.酔っているときのノートの送信環境が気になります(?)
これが、基本的にはスマホなんですね。家でパソコン操作しながら酔っぱらうまで飲むことがまず無いんで。人とお店で話しながら飲むとかなり飲んでやっちまうってのがあったりとか。
ってか、そもそも私お酒飲まなくても誤字とか誤変換めちゃくちゃ多いんですよ。なんで、あのーなんだろう。単純に操作ミスっていうのもありますけど、本を読んでると文字が滑るみたいなのがたまにあるじゃないすか。頭に入ってないのに読み進めてるみたいな時ってある。それに近い感じで指が勝手にボヤーッと変な入力をすることが結構あって、普段はちゃんと癖で訂正するっていうのが出来てるんですけど、酒飲んでまあいいかって気持ちになると、その訂正無しで通っちゃうっていう感じになっちゃうんですよね、楽しくって。で、フワフワしてちゃんと覚えてないんですよ。まあフリックですよ、実際スマホで。
だから「スミマケン✨」は何でそうなったのかわかんないし「ボコツサキ」が「ぼ稿祭」なのは間違いないと思うんですけど、うーんそれ以上はちょっとわっかんねえですね……実演したくねえって気持ちが強くあったんで、ウボァーさんの前では我慢してたっていう。
ウボァー「あー、我慢されてた! いやー、クソー!」
かなり理性を保とうとしてたんですけど、リラックスしたら終わってしまうんですよね
ウボァー「いや~~! 惜しかったなあ~~~!」
アカーシャ「そういうことだったのか~」
ishikoro「でもお酒飲んだことないんですよね?」
……ない。まったくない。
寒崎「なるほどね?」
アカーシャ「なるほど」
ウボァー「良い反省になりました、ありがとうございます」
ボイボ寮祭の時は絶対実演したくねえなあ~~~って思って我慢してたせいで解散した後に食欲が爆発したのだろうか?
とにかく、泥酔ノート書くのを皆さんの前で実演する事は無いだろうし、書いた自分は大抵はっきり覚えてないから永遠の謎になるはずだ。理性ある大人は記憶が飛ぶまで呑むべきではないし、醜態を晒したくはない。
→ (2024/5/3の声音の宴3で無事醜態を晒したかもしれない)
Q17.おねちゃんです!!いかろすくさけでだめなる?よわいのか?たくさんのむからだめなるか?
これ乱射魔さしみさんとこのおねちゃんだろ。まあね、たくさん飲むからだめなるよねえって感じですよね。お酒好きだけど強くはないんだなぁ~っていう感じで。
だから家で飲む時は高めのお酒、高めのお酒をチビチビ飲むっていう感じの方が多いですし、料理のついでになるような感じが多い。だからね酔っぱらうためには飲まないっていうか、肝臓もそんなに強くないんで、高いのチビチビ系ですよね。だから、たまーにちょっとしか飲まないからたっかいお酒を買うんだけど、トータルではお酒にあんまりお金かけてない、ですね。
で、ただね、飲み屋さんとかでお酒を飲んでお話しようってなると、楽しくなろうってのが目的になるから酔っぱらおうとしちゃうんですよね。飲み放題メニューとかがあるとガバガバ飲んじゃって。飲み方が違うと酔い方も違っちゃいますよね。そういう時はそのー「たくさんのむからだめなる」そうです、その通りですっていう感じですね回答するなら。
ウボァー「おねちゃんは鋭いなあ」
鋭いなあおねちゃんは
みそ「おねちゃんは何でも知ってるなあ」
アカーシャ「じゃあお酒飲んだことないってことで」
ishikoro「でもやっぱりお酒は飲んだことないんっすよね?」
そうだよ
仕事の場合やボイボ寮祭の時など「酔わないぞ」と強く意識してる時以外は、他人と飲むとだいたいダメである。つまらなくて話題が無いときに場をつなぐために飲みまくる場合もあれば、楽しいのでテンション上げたくていっぱい飲む場合もあるが、過程が違うだけで結果は同じだ。
記憶飛ぶほど飲んでも二日酔いになる事はあんまりないから、そういう意味では強いのかもしれない。だからって調子に乗るなよ。大人なんだからほどほどにせいという感じ。
→ (2024/5/3の声音の宴3で無事以下略)
Q18.好きなウイスキーの銘柄は何ですか?
で、またお酒系の質問はまとめてたんですよね、順番的に。
好きなウイスキーの銘柄は何ですかっていうのがあって、これは結構明確にあって、マッカランですね。スコッチウイスキーの王道っていうか、私は元々醸造酒っていうか度数が低いお酒、ビール、ワインとか日本酒の方が好きで、焼酎とかウイスキーみたいな蒸留酒、度数高い酒に苦手意識があったんですね。なんかちょっと強すぎるなっていうのが。挑戦してみたくって、それでだいぶ昔になんか初心者向けでオススメだよってことされて、飲んで、ワアこれすごい飲みやすいじゃんってことでマッカランが好きになったんでーすーけーど、最近メチャメチャ値上げされて死ぬほど高くって。高いお酒でもいいかなーって思ってたんですけど、流石にちょっと度を超えたなっていう。12年モノでも10000円とかしてヒェエエエってなっちゃってて。
だからねー、味の方向性は違うんですけど、ボイコネの時に、みそさんに国産のイチローズモルトっていうのを頂いてですね、凄く美味しくって、まだ手元にもあるんですけど、だから飲むんならそっちになってくるかなーっていう、今後飲んでいくんなら。
みそ「イチローズモルトは埼玉の酒なんで素晴らしいですよ」
埼玉推しになってる!
コエイロインク投稿祭で和牛食いながら唐突にイチローズモルトが出てきたのはアレはみそさんから貰ってたからっていう。
おかきもち「裏話だ!」
みそ「出てるなあ~って思いながら」
アカーシャ「ぼすきー裏話だ」
ウボァー「でもお酒飲んだことないんですよね?」
ないですないです
この回答のため私の例の「イウしキー」投稿の時に呑んでた酒がマッカランであると認識した人もいるかもしれないが、別にそればかり吞んでいるわけではない。
マッカランは基本的に家で飲むし、みそさんから頂いたイチローズモルトもその枠になっている。むしろ、他人と泥酔するほど飲む時は別のお酒を選ぶことが多い。記憶が確かなら、イウしキーの時に飲んでたのは恐らくラフロイグとかだったはずだ。ピートくっさ♥ 燻香強すぎ♥ 正露丸なの?♥ というカスみてえな発言をしていた記憶だけはやたら残ってるから多分そう。
Q19.イカロ鯖缶閣下、好きなおにぎり(おむすび)の具材はなんでしょうか?閣下のロールは「鮭缶」になっておりますから、恐らく鮭がお好きなのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
鮭缶、"閣下のロールは鮭缶になっておりますが恐らく鮭がお好きなのではないかと思います" さけ、サケの話、またサケの話してる。
あのねー、確かに鮭、私、鮭大好きなんですよあのー、全ての魚の中で鮭って別格にスッゲェ美味しいなあって思ってたん、ですよね。なんかカミサンに聞くと「そこまでか?」みたいなリアクションされるんですけど。なんかサーモンとか鮭って、まあ子供舌ってのもあるかもしれないですけど、みんな好きじゃないですか、なんか。鮭、鱒、サーモン、トラウト、まあそのへんが大好きだったから、だから子供のころね、おにぎりの具は 実際鮭ばっかり選んでました。ただね、ただ大人になってきて逆になんかちょっと飽きてきましたってところでね。はー、鮭オニギリ食ってるとかガキがよぉ~、みたいな気持ちになって、サーモンボーイがよぉ~って。逆に明太子とか梅とかばっかり食ってます。ジジイはそういうの食べるんで。で、まあ……あとイクラも好きですね。でもイクラってつまり鮭じゃん! やっぱシャケって神だわって思って。アイヌ語でもカムーイチェプ、神の魚って言いますから。また神の話してる……そういう事ですね。やっぱりサケに囚われてる感じですね。そんな感じです。オニギリの好みの遍歴は。
アカーシャ「でも@savacanのアイコンサンマなんですよね」
うん、サンマですよあれは
ishikoro「誰もつっこんでくれなかったという」
誰もつっこんでくれなかった……
寒埼「全然気付かなかった」
アカーシャ「そこまで注視してなかったんでしょうね」
酒の話の最後にサケの話を持ってくる、という完全にダジャレみたいな意図でこの位置にきた質問。
実際シャケって異様に旨くない? いや他の白身魚も旨いんだけど、シャケは魚特有の癖や臭みが少ない気がするし脂やら旨味も凄いから「わかりやすさ」が段違いだ。子供に人気なのも当然だよね。かといって大人になったからってあえて逆張りしてサーモン避けるのもそれはそれでダサいかも。
savacanのアイコンをサンマにしたのはずっとツッコミ待ちだったけど自分でゲロってしまった。こういうのは自分で説明しない方が粋だと思うし、ウケなくても人知れずボケ続ける事が大切だと思っているのだが、それを貫くには強い信念が必要やねんな。
Q20.初期の頃に錯乱絵文字を大量に申請してしまい、償いとして歌詞絵文字を申請しまくっています。しかし、むしろこっちの方がURLの作業がある分面倒なのではないかと思いはじめています。やはり、キャラ絵文字を作るべきでしょうか。
あー、これか。あれか、あれだな。はい。初期の頃に錯乱絵文字を大量に申請してしまい、償いとして歌詞絵文字を申請しまくっています……お前めも煮だろ! めも煮さん質問ありがとうございます。あれ償いだったんすか!? 楽しくやってるのかなあと思ってたんですけど。
やはりキャラ絵文字を作るべきでしょうかっていう風になってる……ところなんですけど、そのーまあキャラ絵文字を作る「べき」とは言いませんけど、ただ、そのめも煮さんがキャラ絵文字とか更に凝った題材に挑戦したらそれって素敵やんっていう、素敵なことだな、感動するだろうな、っていう風には思うので、やって欲しい。やって欲しいよね。絵文字っていうクリエイティブって他人が使う事で広まっていく感じがやっぱり合成音声的な文化とも親和性が高いな~っていう所もあって、誰かとやっていくクリエイティブっていいよね、って感じる所があるんですね。めも煮さんはお若い方だから、今後どういう道に進むかはちょっとわからないんですけど、そういうのやってたなって思い出っていいもんだなあって思うし……
で、ただ、その面倒くさ、面倒なんではないかって心配されてるんですけど、面倒くささについてはアカーシャさんがなんとかしてくれるんで……うん、めも煮、アカーシャを倒せ。
以上です。
創作において評価してる人物に対し「倒す」「やっつける」という表現を使って嫉妬とBattleの意思をやたら見せるのは僕の悪い癖……そういう意味では、ぼすきーには数多くの倒すべき奴らがいる。アカーシャの野郎もその一人だ。でも、めも煮さんを煽ったのは良くなかったかな~、やっぱりまず楽しむのが第一であって、Battle精神はその次に来るべきもののはずだ。若者をアジテーションするのもよくないし「倒すのは俺だああああああ」ってちゃんと自分で言うべき所なのかもしれない。あれ、こう考えると色々良くなかったかな。反省。
とりあえず、めも煮さんがアカーシャさんをボロボロに追い詰めたあたりで私が背後からめも煮さんを刺し「ケヒャ~~~! ご苦労、若人よ! 後はワシがアカーシャを血祭りに上げてやりますよォーッ!」みたいな感じで登場する準備をしておくべきなのかもしれない。*17
Q21.ぶっちゃけ絵文字申請についてどう思ってますか?
また絵文字関連ってことですね。これ最初の頃はスッゲ過酷だったし権利関係の審査とか大変だしで、まあしんどくてしんどくてもう気が遠くなってたんですけど、今は物凄いアカーシャさんに丸投げしてるんで、権利関係の責任以外はだいぶ甘えさせて貰ってるような状態なんですが、いくらなんでも甘えすぎかな、っていうのは本当に、本当に思ってます。殺さないでくれ本当に。思ってるんで、いい加減負担を減らさないとシメられるんじゃないかっていう風に思ってますっていうところですね。
アカーシャ「さっき『倒せ』って……」
倒せ!! あのー、こやつを倒して、なんとかしろという風に思ってます。
アカーシャ「最近はbotでの登録の方も少しずつ動いてますのでね、だいぶ楽させて貰ってますよ」
もうちょっと楽に……ね、あと権利関係のジャッジとかも曖昧な所があるんで、審査とかを上手くやるっていう所をね。みんなその度その度にやってるような感じなので、その時の雰囲気とかノリで通るかリジェクトされるか決まっちゃうみたいなのがあって。あんまり考えたりとか迷ったりするっていうのが一番負荷になるんで、そこを改善したいっていう風には思ってます。
ごめんて、ごめんて。自分が苦労してたからわかるけど本当に大変なのでアカーシャさんを筆頭に登録してくれるモデレータ諸氏には凄い感謝してます。みんなちゃんといつか血祭りにあげるからね。
Q22.大変お世話になっております。最近は合成音声界隈においてぼすきーの知名度が上昇してきているようで合成音声キャラクターの公式またはそれに類する方もしばしば見かけるようになり、1ユーザとして喜ばしく思うとともにイカロさんの心労を心配しております。胃薬などお送りしたほうがよいでしょうか?また、今後イカロさんの心労(=責任)を分散させる手立てなど考えておられたりするのでしょうか?
これも、お世話になってます、胃薬などお送りしたほうがよろしいでしょうか? っていう、ありがとうございます、お気遣いありがとうございます。セルベールとかガストールを常備してるので私は大丈夫です。ガスターは合わなかったですね。
公式の人が入ってくるのはね、ご利用頂く面で戦々恐々としてますけど、なんか……なんか最近はちょっと慣れてきたというか、ヨシ頑張るぞっていう気持ちはね。堂々としてれば悪いことはないよねっていう所がありますね。
で、この質問者の方は心労=責任っていう風におっしゃってますけど、ここはちょっと認識が違ってて。しんどいのとかつらいなっていうのをたくさん肩代わりして頂いて嬉しいな~っていうのはあるんですけど、めちゃくちゃ丸投げしてて心労というか負担の分散は既に達成されてるような状態。ですけど、ただ責任分散させちゃやっぱイカンよなっていう風には思ってます。基本全てイカロの責任ですっていう風には言うようにしてます。なんか仮にモデレーターさんが何かミスったりしても、最終的にイカロが怒られるって形にしておかないとやっぱダメじゃないかっていう。
あのー。それはね、あの恰好つけではあるんですけど、強がりでもこれは言っておかないとダメな事だと思ってて、だから私弱いから実際に大変な事が起こった時に逃げ出さねえって、しっぽ巻いて逃げ出さないって保証はどこにも無いんですけど、でもそれでもね、なんか「俺は悪くねえあいつがやったんだ」って言いだす代表ってメチャクチャ軽蔑されると思ってるんで、そこはね、そこはちゃんと善人アピールとかしないでこう……「お前酷い事してんな」っていわれたら「そうかもしれません」と受け容れて「悪い所もいっぱいあるけど、ちょっとちゃんとしてねえけど、なんとかやっていきます」っていう態度があるべきだな、って思ってるんで、そこはそうですよ。
モデレータさんの功績はモデレータさんの功績だけど、モデレーターさんの責任はイカロの責任っていう所はあの、考えるようにしてますってところですね。
みそ「モデレータ間では破壊的なデカい変更とか強い変更はまあ複数人で『いいよね?』って確認してから消すようにはしてますね」
そう、合議はするようにしているし、なんかやらかしたときに基本イカロが悪いっていう風に言っていただければいいと思ってますってところです。
(※モデレータさんの皆さんがありがとうを述べてくれ始める)
あのねー、いざという時までそれ(感謝の言葉)は取っといてくださいって感じです
寒埼「いざっていう時が無いんですよ」
今はカッコつけてるだけなんで
ウボァー「逆に言うとそういう場面が来ないほうが嬉しいですよね」
それはもちろんですね
ウボァー「そういう事にならないように普段から上手いことやっていくのが我々モデレータの仕事でもあると」
はい、頑張りましょうお願いしましょうって所ですね今後ともっていう。
これは本当に「こうなりたい」という理想の話でしかなく、実際に出来てるかどうかは完全に別の話だ。代表って結局泥をカブる役目だし、こういうコミュニティで目立つ位置にいるのだから、例えば自分に落ち度のない理不尽な理由でマイナスな評価を受ける可能性なんかも覚悟せねばならない。特に、ユーザー同士で争いがあった場合に両サイドから「冷淡だ」「無責任だ」とお叱りを受ける事があったとしても、なるべく不干渉でいて、介入は治安維持のみを根拠としなければ態度の平仄を合わせようがない。何より私は個人的には必要以上に「正義」「綺麗事」で武装する流れになりがちな現在のSNSに辟易としているので、カスなものでもある程度受容される環境を維持せねばならない、と考える方だ。これを続ければ必ず悪人として糾弾される日がやってくるだろう。それでもやる。*18
私を善人だと捉えて評価してくださってくれている向きがいるのならば、裏切られたとショックを受ける前に私から距離を置くか、予め失望しておく事をお勧めする。どうせ悪評が蔓延り、期待には応えられない可能性が高いぞい。「安心して推す」みたいな存在としては薄汚れすぎのおっちゃんだけんね……申し訳ないわね……
管理人という立場だからだろう、妙にみんな私に好意的だが、それはそれでなんとも不安になる。私は根本の部分でそんな評価に値する人間ではない。私視点でぼすきーは全然大嘘のおかしな世界に見える。優しすぎるし都合が良すぎるしみんな私を騙そうとしているんじゃないのか……そうでなくても自分はある種のエコーチャンバーの中にいるわけだからバランス感覚が崩壊してやしないか……疑念がいつまでも晴れない。それで卑屈になるつもりも無いけれど。
Q23.一年前の自分になにか一言言えるなら、なんと言いたいですか?
みそ「あ、次の質問これ、自分ちょっと当たってるかわかんないですけど1個出してみていいすか、これ。1年前の自分に何か一言言えること」
お、はいはい
みそ「これドメイン名をicalo.netじゃなくてvoskey.netにみたいな」
それはね、確かに言いたいかもしんないですね。『voskey.netにしとけ』っていうのは言っておきたいですね。それ以外で凄い後悔してることっていうのは……voskey.icalo.netも、まあまあまあいいです。言えるんなら言うけどまあいいですって感じかな。あとは『大変だけどなんとかなるよ~』って感じですね言えるとしたら
あ、あとはnvidiaの株全力で買っとけって言いますよね。
みそ「さくらインターネットじゃないですか」
へっへっへ、そうですね、さくらインターネットも買っとけっていいますね
ishikoro「あとアレか、ビットコインもなのか」
ヘッヘッヘ、インデックス投資なんてやめとけ、と。全部nvidiaにしとけと。
はい、そんな感じですね。
色々将来について思い悩んだりはしてるけど、過去の特定の行動をそこまで後悔しない方なので、事前にも即興にも思いつかなかったのが正直なところ。例えばデータをUSBメモリに詰めて送れるとかならかなり色々送りたいものはあるが「一言」だと凄く難しい。
だから最終的に「ドラえもんの道具はどれが欲しい?」みたいなレベルの「こんなこといいな」的な楽し気な話をして回答が終わってしまった。
Q24.楽しい場を提供してくださりありがとうございます。
これ、これねー、質問じゃない! 質問じゃないから『ム! 試されてるのか!?』って『楽しい場を提供してくださりありがとうございます。』これ、この真意を推測せよっていう所なのかなって思ってたんですけど、あえて落とさずに入れておきました、と。これはどうなんだ、ちょっとごめんなさい、これは上手く返せない。あのー、ありがとうタイムになっちゃうからごめんなさい次行きましょうって感じ。
これも事前にも即興にも本当に思いつかなかったので申し訳ない。なんか流れから気の利いた事言えるかなって一応残しておいたんですが何も思いつかなかった。
あとありがとうタイムは普通に怖いのでじっくり考える余裕も無かった。感謝されるの、嬉しいけど怖いんですよね。応えられないと思っているから。
Q25.自称ぼ廃の者です。まずは、このぼすきーによって、私はいろんな合成音声キャラと出会うことができました。自分の好きな合成音声を胸を張って言える場所です。このような場を設けていただき本当にありがとうございます...!!! ここから質問です、鯖運営かなり大変なことが多いと思いますが、やはりやってきて一番嬉しいと思ったこと、やりがいを感じたことなどを教えてください。
みそ「嬉しかった事とかやりがいですかね、これは」
ありがとうございます、って所で。嬉しいです。感謝されるのがやっぱり嬉しい。やっぱこれ普通に皆さんが楽しくやってるのを眺めるのって嬉しいですよ実際。そういう利用のされ方が理想ですしね。あのー、ぼすきーで生まれた縁で楽しくやってる人がいるっていうのがやっぱり一番やりがいというか嬉しい所ですよね、それは本当に。
みそ「あとはこっから発生した二次創作とかもいっぱいあって素晴らしいですよね」
それは確かに、そこからクリエイティブというか、創作が生まれてる、交流が生まれ、縁が生まれてるっていうのがやっぱり一番良いですよね。そういうのがやれるなら。別にそのつもりでやってたわけではないんですけども、ああよかったなって気持ちにはなります。
みそ「イウしキーも素晴らしい二次創作をたくさん産んでますけどね」
それはどうでもいいです
これは補足の必要もなさげな、物凄く素直な回答。
私のイウしキー発言がどうでもいいことを含めて嘘偽りのない気持ちであります。
っていうか書きながら思ったけど、全部の回答に補足を付けてるこの記事も物凄く変だ。長すぎるし。必要なとこだけピックアップすりゃよかった。
Q26.ぼすきー創設の理由 Q27.どうしてぼすきーを運営しようと思ったのか
そう、ぼすきー創設の理由、これはごめんなさいですけどまとめての返答、隣にももう1つどうしてぼすきーを運営しようと思ったのかっていう質問が来てたのでちょっとまとめての返答になっちゃって恐縮なんですけど、ただこれ去年のアドベントカレンダーで書いたのが、ほぼ全てで、基本的には勉強のためでしたってのがありますね。
元々は『ツイタマが無くなっちまった~!』っていう所でショックを受けていた所で、あとはTwitterでワーッて社会問題について話をしてるけど、それもな~っていう感じになってたから。じゃあちょっとMisskey覗いてみたら楽しそうだし自分で立てられるじゃん、っていう風になってちょっと、やってみようってそういう軽いノリみたいなのがあったんで。なんか……
あんまり凄い目的意識があったわけではないっていうのが本当にあるんです。だから『ウォォでっかいコミュニティ作ってやるぞ』みたいな気持ちもないし何かしら達成したいっていうアレがないからこそなんか……ダメだったじゃないけど、なんだろう。ぼんやりしたような、ぼんやりとした雰囲気でやっていってはいるんですけど。
まあただやってるうちに謎の使命感を持ってきましたっていう、ところですよね。縁が生まれたり創作が生まれたりするのを見守りたいなっていう気持ちが出てきたって所です。回答としてはそういうところです。
ウボァー「さっき話が出たアドベントカレンダーの記事、あのー、非常に名文なのでね、皆さんも読んだ方がいいですよ。読まないと損しますからね」
アカーシャ「人生の半分損しますよ」
えっ貼るの、やめてよー、ちょっと恥ずかしいでしょ
ウボァー「イカロさんからこの文を引き出しただけでもぼすきーアドカレをやった価値はあったな」
ishkoro「この文章の偉大な所はね、なんと、りのちゃんがここでちゃんと認識されてるんですよ。非常に偉業ですよ」
いや~、恥ずかしくなってきたマジで。
この記事の事である。これもやたら長い。よくこんだけ書けたものだ。
icalo35.hatenablog.com
ishikoroさんが触れているが、りのちゃんを当初黙殺していた気持ちや心情の流れなんかも綴っている。ぼすきーで生まれたキャラクターだけど、内輪ネタという事に悩んでいた時期もあったのだ。今はUTAU勢とかMYCOE勢がメッチャ増えたので「別にいいか……オリキャラくらい……」と完全に受け入れ態勢になっている。とはいえ、まあ受容しつつも当初無視した後ろめたさみたいなのもありQ4の回答で「愛犬」なんて表現する照れが生じてしまっている。なんなんだ。
文章としては頑張って書いたから褒めてくれるのは嬉しいけどめっちゃ恥ずかしいな。読まなくていいです。
幕間
次が最後になったのかな、質問。
あのー、えーっと、これとは別に『#好きな伽アート』っていう質問もあってたんですけど、選ぶのとかスッゴイ大変で……時間があればぐらいにしようかなって一旦外させて貰いましたって感じですね。
Q28.ぼすきーのTLを眺め続けて1年ほど、だいぶ空気感の移り変わりを感じる今日この頃ですが、イカロさんはTLの→変遷について思うところはあったりするでしょうか。(一ぼ民としては、新陳代謝があるのはよいことだなあとか、以前と比べて自分には合わないところもあるなあとかそんなことを感じたりしています)
これ、これがラストなんでちょっと語りたいアレがあったんでこれ一番最後に回させて貰ったんですけど。
この質問、1年ほどっていう事はだいぶ古参の方ですよね。その7月のAPI、あの当時TwitterのAPI制限で入ってきた人よりも多分前からかなーって事で。確かに人が結構入れ替わったりして……るし、雰囲気も変わったなあって所で。で、質問者さん言葉を選んでらっしゃる……んですけど、率直に言えばあんまりよくは思ってない、怒ってるというわけじゃないけどなんか居心地の悪さみたいなのを感じておられるのかなって思いますね。
これ本当にごめんなさいという感じなんですけど、私の、イカロのスタンス自体はあんまり変わってなくて、ぼすきーのTL、まあチャンネルとかもあるんですけど特にLTLに関しては、雰囲気についてイカロが何か介入すれば何か変える余地はあると思うんですよ。ただ、ただ古参の方はご存じだと思うんですけど、基本的にイカロって強く介入する事を好まないっていう、理想が無いって言われたらそれまでなんですけど、基本的にまああるがままに、ってなってて。ただ、そういう放任をすると、やっぱりその時に発言が多い人が流れを作って、主導権取っていく、で、イニシアチブを握る人が、入れ替わりがダイレクトに雰囲気に影響しちゃうよね、っていう所はあって。それで離れていった方も多分残念ながらいるんじゃないかなってあって。
ただ、去年アドベントカレンダーでも述べたように、ぼすきーの特色っていうのは……独自の存在価値は、オープンな場所である事にあると思ってて。快適でクローズドな環境を求めるならやっぱりDiscordの方が良いんですよ。絶対。
なんで、Twitterはとにかく巨大で、やっぱり宣伝だったり、多くの人にリーチするならTwitterなんですけど。ただ、巨大すぎて文脈を全然共有してない人の目に晒されてしまったりとか、事情をわかってない……不必要に厳しい正義の炎が燃え盛ってたりとか、自分を守るために過剰に綺麗事を吐かなきゃいけないって圧力があったりとか、嫌悪感情があったりとか、ただ燃やしたいだけって人がいたり、暴言を吐いて気持ちよくなりたいっていうだけの悪意みたいな、インターネットのよくない部分も嵐のように吹き荒れているっていうのがありまして。だからTwitterの大勢相手に、こう、文脈を共有した議論とか、相手の思いを汲み取るような丁寧なやりとりっていうのはやっぱり難しいよねっていうのが……ほとんど不可能。Twitterが荒野のウエスタンで、言葉の嵐が……そういうイメージで私は持ってて。これイーロン体制になる前からなんですよね。いまインプレゾンビが、とか言いますけどね、その前から結構地獄だったというのはまああった。私はその地獄も楽しんではいたんですけど、ただまあ嫌気さした人が安心出来る心の交流みたいなものを求めて、限られた人しか入れない安全な暗い森としてDiscordの中でだけ本音を言い合ってるみたいな、そういう世界が。だから今ってオープンなWebには安心できる場所ってあんま無いなっていう気持ちはござったという。
だからDiscordみたいな暗い森の中にしかね。暗い安全な森の中にしかないんですよ。暗い森っていうのは外国の人のWebが暗い森が広がってるって記事があったんでそれの引用なんですけど。
だから、なんだろう。昔はみんなWebに繋がればきっと素晴らしいって無邪気に思ってたんだけど、そうじゃなかったねーって。だから暗い森がどんどん大きくなっていく時代が来たなっていう風に私は思ってるんですけど、森に新陳代謝ってないでしょうってところで。ダイナミックな入れ替わりや出会いに欠けちゃうから、混ぜられる広場みたいなのが欲しいよねっていう。
だからTwitterとかよりは合成音声の文脈が共有出来て、酷い悪意は排除出来ると。ただある程度新陳代謝のある大きめの場所が必要なんじゃないかっていう、そういう立ち位置をぼすきーがやると。
だから立ち位置的に、大きさとかオープンっていうのをやろうとしたら、完全な安全とか快適とか満足って提供出来ないと思ってるんですね。Twitterとかと比べればマシとはいえ、どうしても嫌なものが目に入ったりする。だから出来る限りミュートブロックで自衛して、っていう風に言っちゃうんですけど。まあどうなんだろうな。ぼすきーのLTLとかチャンネルに快適さを見出して楽しんでくれてる人もいたり、Discordメインで交流してひょこっと顔を出す人がいたりとか、そういう色んな事があるんですけど、そういう位置づけでいいかなって。Discordの作業サーバーやゲームサーバーで楽しくやってて、ひょこってたまに顔を出したりとか、その色んな森に繋がっている広場ってそういうポジションで。で、その広場自体も結構楽しいってそういうのをやっていきたいのがあるんです。ただそういう広場は存在しなければいけないと思ってて、それでぼすきーを続けるってとこですね。
ウボァー「わかるなあ、僕がサーバー立てたのも全く同じ理由ですもん」
暗い森もありーの、ちょっと顔出せる広場がありーのっていう所で、広場が楽しければそれはそれでいいですし、ああ合わねえなってなったら別のMisskeyサーバーもありますし、Discordで繋がる窓口的な? ぼすきーで繋がった縁を続けてDiscordに引きこもったとしてもそれは良いことだと思ってます。Fediverse的に(?)
うん、だから語るだけ語って質問者さんの質問、最初の質問に答えてなかったんですけど。
TLの変遷について思うところはあるか。質問者さんの言うように「新陳代謝がある」っていう点について私は「ヨシ」っていう風に思っている。
でーすーけーど、まあ、ただ、イカロが弱ってあんまり顔を出せない間に、確かに変わってしまったなって所もあるから、そこはちょっと、なんだろう。うーんまあある程度多少は広場をコントロールしていこうかなって気持ちも無くはないですね。
内輪ネタとか品性の方向性とか、そのへんもうちょっと……もう自由に放任するに任せてしまいすぎたってのはあるんで……どうしようかな。ただ、内輪ネタ全然、オープンな所ですから内輪ネタだめだめっていう風な感じであんまり触らないようにっていう風にしてたんですけど、内輪ネタは文化でもあるし、それって凄く素敵な事ではあるんで。
うーん、調整、じゃないですけどねえ……うーんバランスを考えるぅ……あんま具体的な事言えなくて申し訳ないんですけど。寒くない程度の内輪ネタというか、文化を作っていけたらいいよねって。あともうちょっと品性をね、もうちょっと。持とうぜって所ですね。今言えるのはそれくらいかな。
あのね私、品性とかね感動って、ネタで言ってるように見えますけどね、あの、私マジですからね。品性と感動はマジで言ってます。そこは皆さんに認識していて欲しい。大事な事ですよ、品性と感動は。
うん、ごめんなさい、長くなりましたけど。こういう事を語りたかったんで、最後に持ってきました。
ようやく最後の質問である。長すぎる。
これは本当に言いたかった事でもあり「暗い森」理論は随分心に残っていたので、そこから私が思考を組み立てているという話。
引用した「Webの暗い森理論」の原典は以下の記事だが、Mediumの会員登録が必要な上に英語だから紹介しても読む気にならないだろう。
ystrickler.medium.com
今ならyomoyomo氏の翻訳・日本語解説の記事を読んだ方が良さそう。会員登録もいらない。
yamdas.hatenablog.com
英語だが、図解されていて、もうちょっとわかりやすくなってるのが以下の記事だ。
maggieappleton.com
「オープンで検索サイトにインデックスされていて誰でもアクセス出来る主流のネット空間」を "Clear web"(クリアウェブ)という。これは元々Torなどの匿名化された通信を介してしかアクセス出来ないアングラな"Dark web"(ダークウェブ)の対義語として「普通のWeb空間」「ひらけたWeb」を意味する言葉だった。Clear webは昔ながらのweb空間とはいえ、そこは無差別な視線に晒され、煽情的なインフルエンサーやゴシップ、対立煽り、スパム、荒らし等がウヨウヨしているストレスフルな空間だ。SNS、特にTwitter*19は一体何が炎上するかわからない、もはや気軽に意見や本音が表明出来る場所ではなくなってしまった。自分を守る「武装としての正義」が過剰に必要なのだ。*20
そういった無差別な視線から逃れるために「見えづらい場所」を探す。それが"Dark forest"(暗い森)であり、その先にある"Cozy web"(コージーウェブ:快適なウェブ)らしい。Slack や Discordサーバーといった会員制の空間、LINEグループなんかもそうだ。検索に引っかからないし無関係の第三者には見えないプライベート空間だから緊張せずに本音の発言が出来る。
しかし、Cozy webは既存の仲を深めるには良いが、宣伝や影響力のためにはClear webに顔を出さなければいけないし、新たな知り合いが増えていく余地も実際小さい。流動的な場であって欲しい。
ならば、その中間的な場所があればいいのではないか……それが「広場」たるぼすきーの立ち位置だ。
これを「森に近い安心して馬鹿な事が出来る広場」にすべきか「開けたお行儀の良い広場」にすべきか? 規模や注目度の大きさ、ユーザーぼ民の雰囲気にも大きく左右される。運営の思想でどれくらい誘導出来るものなのかは今でも正直よくわからない。チャンネルのような森寄りの場所もあるので、最も表層にあるローカルタイムラインはお行儀良くするべきだろう……というのが実際自然な分担ではあるだろうが、私が基本的に過剰な正義やお行儀良さに反感を持ってる寛容過激派(?)な所があるのでローカルもカスになりがちだ。Q22にも関連するが、私の根本的な人格が悪人でカスだからだ。しかし今の時代のClear webなのだからそれ一辺倒ではいけない、というか危ないとは思っている。どうしても時代に求められている、広場に立つ風紀の者が。
ホームだとかえって本音や暗い話題を出す人が多いからローカルを逃げ場にしたい、という気持ちの人がいる事も観測してる。
この質問をしてくれた岡津さん(匿名質問だが本人が公開なさった)が感想ページを書いてくださっていた。
voskey.icalo.net
オープンな場なら、無限に「返答を期待しない独り言」を垂れ流していられる……との言葉は、確かにそうだ、と頷けるものがあった。
確かに、Discordのサーバーのような場所は、まず「場」があり、そこに参加している個人がいる……という感覚なので、返答を期待せずに自分の好きな事をノージャンルで語るのには向いていない。"Twitter"のようなミニブログは「自分を含む誰かの独り言の集積」であって「場」が規定する話題がなく、それに互いに反応したり、反応せずにただ眺めたり、誰も反応しない事を前提に日記のように自分の意見や楽しかった事を綴るといった「ゆるくどこにでも繋がれる自分の家」という運用が出来る。それが出来てた"Twitter"が好きだったな……ぼすきー(Misskey)で言うところのホーム運用が実の所イカロにとっての基本なのだ。ローカルに出てこなくていい……というと寂しいと感じる人もいるかもしれないが、チャンネルやらホームやらのほんのり隠れた、しかし探せば見えるような、そんな部分がある事こそがかえって「広さ」を感じさせてくれる。
私は本来、ホーム運用というか「交流も出来るチラシの裏」が欲しかったのかもしれない。Blogでもそれが出来るが、性分で長くなってしまうから気軽なTwitterが好き、という人種だったのかも。結局ぼすきーではあんまホーム運用してないけど。やはり気質的にローカルの治安維持が出来るタイプの人間性じゃないな。申し訳ない……
どうでもいいけど「森」が「安全な場所」の比喩として使われているのは、違和感が無くもない。元ネタの元ネタである著名なSF小説「三体」三部作における「宇宙の暗い森理論」は「全ての文明は武装して隠れたハンターであり、互いに見つからないように、相手を先に見つけて排除出来るように息を潜めている」として描いていたはずなので「森」はどちらかというと「危険な場所」の比喩として使われているような気がする。「森の外の脅威から身を隠せる安全な場所」というよりは「森には危険がウヨウヨしてるから安全のために息を潜めて巣に隠れていないといけない」というニュアンスだったはずだ。
Web版暗い森理論を唱えた人には「あなたは実際に暗い森を歩いてて安心出来るのか?」と尋ねたい。エルフか何か? 人間はな、暗い森で歩いてたらクマとかイノシシとかに遭遇するし危ないんだぞ。私もイノシシとバトルしたんだからよう知っとる。やはりWebコミュイニティの管理人はイノシシとバトルして勝たねばならないのか? 森の支配者にならなければいけないのか? ならば握力を鍛えねばならないようだな。そうしてQ1に戻るのだった。
Q29.アカーシャ「イカロさんに色々語って貰いましたけど、まあね、せっかくなんで今後の抱負的なものを、一応あったらお願いしたいと思うんですけども」
今後の抱負も、まあさっきほぼほぼさっき語ったのと同じですけど。
ちゃんと、なんだろう。ぼちぼち品性もあるし安全な森のハブというか、表面的なところ? オープンで入れ替わりがあるような場をまあ維持出来たら。
その維持するだけですよ、管理人の仕事なんて。モデレータの皆さんも凄い頑張ってくださってますけど、凄い無理する必要なんてなくって。治安を維持するじゃないですけど、あんまり大変な事にならないようにぼちぼち守ってくださればいいと思っていて。
実際ぼすきーを動かしてくれるとは、ぼ民の皆様なので。いや、これはマジです。私が何かやろうってんじゃなくって、なんかお任せするのでちょっといい感じにやってくれってそういうもんですよね。場をやる人ってそうですね。だから抱負っていったらまあぼちぼち守っていくぞ、そういう場所をキープするぞってとこですね。それぐらいです。ぼちぼちやる。
ウボァー「我々はそれを実現するお手伝いをしないといけないってことですね」
抱負はこのまんまである。
流石に長くなりすぎたのでそろそろ筆を置くが、かなりぼちぼちしていく所存。ワシも生活や自分の創作が大事じゃけんのう。
治安維持のために規約とかは整理するし、そのために動いているが、書いても誰も読まないんじゃねえか? 実質的に変わる事なんてあるのか? なんて気持ちもあったり。でもまあ……やんなきゃですよ。やらないと。いい加減! モデレータ勢からケツを叩かれているのだ。
つっつかれてようやく動く怠惰な管理人なので、本当に最近の良い管理はモデレータの働きであり、遅延や曖昧さなどのダメな部分は大体イカロのせいである。Q22の回答の繰り返しみたいになるが、これは謙遜というより事実だ。しかしせめて良い管理人もする。せねばならん。すまない。ありがとう。そんな感じ。
なんにせよ、しばらくは続ける。少なくとも2周年記念をやってみたいものだ。分散型SNSは続けられなくなって畳まれる事も少なくない。最近のソシャゲみたいに短命だ。しかしソシャゲと違ってヒットしなくても、そして収益がなくても管理人にやる気さえあればひとまず続けられるのだからそんなに高いハードルではないはずだ。
投稿者としてもSNSとしても、ボロボロでもダメダメでもとりあえず継続する事。積み重ねる事。それが当面の目標だ。
私にとって3番目に大事な事である。
*1:ぼすきーの誕生日は3/24説と3/28説がある。ぼすきーを実際に設置してイカロがアカウントを作成したのが3/24、外部に対して公開したのが3/28なので、別にどっちも正しい。鎌倉幕府の成立が1185年か1192年かみたいなノリに近い。設置から公開まで色々試したりモジモジしてる期間が4日もあるのは流石にビビりすぎ
*2:1週間以上残せないのはニコ生のよくない所だが、当たり前にアーカイブが残るYoutubeが怪物なだけだ。ぼすきーも画像等のファイルを保存する容量やコストはほんのり気にしてるし、動画は比べ物にならないだろう。一度サービスのレベル上げると下げられないし……
*3:「残らないからこそ配信は良い」という美学でYoutubeでもアーカイブ残さない人はいるけど
*4:こいついつも見積もりミスってんな
*5:ほんとに丸投げばっかである
*6:まあ睡眠は取ってたから一応話したい事はかなり話せた方だと思う。この日はこれでも調子が良かったほうだ
*7:海外に行った事も無いのに
*8:「シリコンバレーに憧れていいのは平成まで」という謎の感覚を持っている
*9:今は砂利が敷かれておりジメジメしてない。
*10:実際にナチスドイツ時代にアメリカとドイツが険悪になってコカ・コーラ社ドイツ法人が本家アメリカのコーラシロップを輸入出来なくなったので代替品として開発されたのがファンタである。ただ国が違うとはいえ正真正銘コカ・コーラ社として開発した商品なので「偽物」呼ばわりは我ながら酷い
*11:どう考えても「みんなそう」なわけがない
*12:一応これでもキャラ萌えをやりたい面倒くさいオタクではあるのだ
*13:大層な事を言ってるように感じるかもしれないが「感動」というのは「あっ、なんだかこういうの好きだな」とか「変だけど愉快だな」と素朴に感じる程度のものでも全然構わない。むしろ私自身どちらかといえばちょっとした素朴な感動をいかに膨らませるかという題材の方が好みだ
*14:正直言って、今の自分にやや欠けてる気がする要素でもある。だからたびたび投稿が止まる。
*15:なんかむしろコロナ禍の時期とかにピッタリだったかもね。
*16:月ニコでぼすきーの名前を出して頂いた件については動画編集で立て込んでた時期だったからかマジで見落としていた。配信で教えてもらって後で慌ててチェックした
*17:何言ってんだ?
*18:無論、常にカスである事を推奨しているわけではない。私が求めるのは寛容な雰囲気であって、下品な雰囲気ではない。カスカスフェスティバルを続けすぎるようならちゃんとシメられるようにいい加減ルールやガイドラインも同様に明確化せねばならない。それが長年明確に出来ていない事こそ管理者としての私の一番の罪悪だろう
*19:オット! 今はXだったかな……フフ……
*20:もちろん、迂闊な発言をしたら必ず炎上するわけでもない。運が大きい。それに、オープンなTwitterよりもぼすきーのような比較的小さいコミュニティの方がよほど「お行儀よく」を求められるではないか、と感じる人がいたとして、それも一理ある。都会の怖さと田舎の窮屈さのどちらが嫌か? というだけの話かも
自作の動画の話:いんゆめを禁止にして料理を作ってバトルしてみた
2023年の末に動画を投稿した。
うわぁ、なんだこの動画は、たまげたなあ……
経緯や動画を作るまで
拒むことを知らない
2023/10月の末頃に、例によってボイキチ会の奇覚企画オバケりょの字さんに声をかけられた。
イカロ「『いんゆめ禁止』は普通に意味がわからないですが何するつもりなんですか……?」
りょの字「動画に淫夢要素を入れてはいけない 以上」
イカロ「あまりに縛りがキツすぎるだろ」
誘われたタイミングは、ぼすきー絡みやらリアル業務その他でかなり忙しかったのだが、年末には捻じ込めそうなのと、投稿者として復帰したいと強く意識していた時期だったこと、何よりめちゃくちゃ面白そうなのでやってみたいと思ってOKした。
開催経緯
開催経緯
— りょの字 (@ryonoji2020) 2024年1月1日
再見氏が淫夢禁止料理祭とか言い出す
↓
りょの字が実行に移す
↓
シャルニキに語録禁止で動画作らせたら面白いと思い声をかける
↓
シャルニキから大人数でやりたいと提案を受ける
↓
ホモガキアベンジャーズ結成 https://t.co/m8DLMYh7QA
再見さんが適当こいたのを聞いたりょの字さんが面白そうだからとマジで実現に動いたという経緯のようだった。
確かにシャルニキが語録封じてたら面白そうだし*1
汎用さんもアクロさんも淫夢厨だし、ヤシャグサさんは完全に淫夢動画を投稿していた人なのでガチだ。*2
これでなんで私に声がかかったんですかね……????*3
確かに私は例のアレぼちぼち見てるけど、普段の動画でも会話でもさほど使ってないと思うが……
使うなよ、絶対使うなよ!
いんゆめ禁止と言い条、これは事実上"No means Yes"である。
「私は政治に興味がありません」と宣言する行為自体が逆説的に政治的な含意を持つのと同様、わざわざ禁止と掲げるという事は完全なる無関係・ニュートラルな状態とは異なったムーブが求められるということだ。
りょの字さんからは「淫夢語録を使ってはいけない」というレギュレーション以外の細かな話について特に明言されなかったものの、私はこの企画を「直球の淫夢要素を使わず言い訳を用意出来る状態をキープしながら濃厚に淫夢っぽさを匂わせるギリギリを攻め続ける遊びをやろう」というお誘いであると勝手に解釈した。
しかしながら、結局、全く淫夢に触れずに話題を組み立てる事は非常に難しかったので「登場する2人は淫夢の事を全く知らず、中途半端に調べて誤った認識を披露する」というパワー系すっとぼけ路線となった。
例のアレとかいう異常コンテンツ
淫夢に限らず、例のアレというのは邪悪な界隈で、権利的・倫理的にどう考えてもアウト寄りの素材やネタが渦巻いている。
もちろん例のアレに限らず、音MAD・アニメやゲームのネタ・実況も多くは権利的に怪しいものが含まれる*4ので、ニコニコ全体を通して薄っすらそういう傾向はあったのだが、例のアレは特にその中でも濃縮されたアウトっぷりと汚らしさを誇る。
私自身は普段の動画には「わかる人にはわかる」程度しか取り入れないが、それなりに淫夢厨である。自分でもどうかと思うし積極的に公言はしないが、こういう突き抜けた下ネタや倫理のタガが外れた邪悪なネタでどうしても笑ってしまう性格なのである。ユーモアとは異常の検知に伴う知的快感だ。まともなら絶対に言わない下品なネタ、悪辣なネタは「正常で望ましいとされている道から極端に外れている」事それ自体に面白みがあり、笑いを生む。そして異常でありながら聴き心地の良いジャーゴンが「語録」として残る。聴き心地の良さは身体感覚的、音韻・韻律的な快感だ。淫夢語録に限らず、ネットスラングには知的快感と韻律的快感の両方を刺激するものが多い。
何でもかんでも淫夢に寄せて語録を無理やり雑に使っている人(いわゆる「ホモガキ」)は忌み嫌われる。当然だ。知的刺激が面白みの根幹の1つにあるのに、それを解さず身体感覚的な快感だけを求めるようでは「わかってない奴」として一蹴されても仕方があるまい。それが音韻を伝えにくい文字情報のコミュニケーションであればなおの事である。
語録を楽しむためには「言葉遊びとして語録を上手く使う」という歪みねえ知的営みが求められ、また、異常な表現が異常である事を味わえる程度には「正常」な感覚を頭のどこかに指針として残しておく必要がある。もちろん本物の完全な異常者には特有の迫力があるものの、正常を参照しない純粋な狂気はコントローラブルなユーモアたりえない。
だからこそ私は、基本的には邪悪なものを好きであるにも関わらず、例えば特定個人の悪口を吐いたり女性にセクハラしたりみたいなのは苦手だったりもする。これは別に私が倫理的に立派というわけではなく、あまりに正常な欲望なので予想の範疇を超えないからつまらないと感じてしまうのだ。嫌いな奴の悪口を共有して結束を固めるというのは社会的動物として正常で凡俗すぎるし、単純な性欲についても然りだ。そういう下品さは単に不快であり、笑える表現にしたいなら何かしら異常でなくてはならない。欲望を作品たらしめるには誰でも持っているような凡俗な欲では足らず、迫力のある渇望や、驚きを生む何かおかしな点が含まれている事が望ましい。
あと他人に攻撃的かどうかも結構大事だ。圧倒的なキレや邪悪さがあれば悪口や罵倒も笑えるが、やはり直接的には他人に迷惑をかけない安全な異常者の方が安心して笑える。私はこれを目指している。見世物コアラだ。そのためには「異常とは何か」だけでなく「正常とは何か」を真剣に考えておく必要があるのだ。異常を掴むのではなく、正常を掴んだ上で外しにいく形の方が技巧としての普遍性や防御力がある。防御力に自信があれば攻めていく事も出来る。
何の話だっけ?
創作と異常とオタクと嫌儲の橋を渡って
スマホが普及しネットにオタク的でない人々も大勢やってきてSNSが隆盛した2010年代、誰にとってもネットが身近な存在になるに従って、動画を楽しむ人口は大いに増えたが、主流はYoutubeというか地上波のようなクリーンな路線になっていったし、お金もそこに集まるようになった。
Youtubeには面白いチャンネルも数多いし、トップ層はやはり凄いなと感じるが、かつての個人勢のオタクによる空気感とは明らかな別物だ。
例のアレの世界は権利的・倫理的にアウトなもので溢れかえってるので、まともなスポンサーから資金が流れ込む余地がほとんど無い。お金というのはしがらみであったり大人の都合によるコントロールや責任を伴うものだが、そういうものの影響が届きにくい場所なのだ。
本当に純粋に作りたい奴が作ってるだけのコンテンツであるため、動画自体があんなに汚いのとは対照的にその精神性は妙に潔癖な側面がある。例えニコニコ動画の歴史から葬り去られようと、一銭にもならない作品が投稿され続ける。小学生染みた異常者達の最後の安住の地なのである。
AI拓也など、AIを用いた作品の発表の場の最前線にして最底辺となっているのも例のアレの特徴だ。生成AIは過渡期の技術で、特に学習データの権利関係といった点を中心に問題や議論が多い……というか荒れまくっててオープンな場所で建設的な議論など出来ない。AI拓也にはとりあえず細かい話はスッ飛ばしてAIの異常な出力を異常なまま楽しむ土壌がある。人権も正義もあったものではない邪悪でどうしようもない連中だが、不当な利益を貪ってはいないのだから放っておけ、という了解が内外にあり、しかも「面白い」以外の存在意義が皆無だからこそ育った空間がそこにある。こんな稀有な場所はなかなか無い。
こういう文化なので、嫌儲、つまり利益を得てはならないという風潮になりがちなのは理解出来る。例のアレだけでなくニコニコ全体、ひいては「昔のインターネット」全般にかつて拡がっていた空気でもあるが。古き良き誰得精神、そして嫌儲精神。
嫌儲精神は儲けている他人への単なる嫉妬だったり、無料で作品を供給して欲しいという乞食根性とされる事も多いが、ある種の文化的な防壁として機能している側面もあるのだ。その防壁が稀有な場を守るのだ。
しかし報酬の無い活動は普通ならまともに続けられないわけで、創作で利益を得る事を悪だと考えたり後ろめたく思う風潮はやっぱりあまり良くない。ニコニコにも今はクリ奨とかあるし、運営もそれをプッシュしているが、今でもお金の話を前面に出すのが憚られる空気は存在する。こうなると異常者しかニコニコには残らず、まともで万人受けするクリエイターはYoutubeに行く事になるのだろう。防壁が強固でも補給が無いと普通は干上がるものだ。しかし例のアレ界隈は異常者の供給が豊富なので何故か持続している。稀有な場であるからそういう事が起こるのは理解出来るが、これは本来おかしな事だ。
例のアレと比較して、合成音声の文化はどうだろうか?
創作の幅の広さや、多くの人が互いに素材や発想をシェアする空気はニコニコ育ちに共通する近しい精神を感じるが、しかし規約や権利関係の実態だけを見るならほとんど正反対かもしれない。ソフト・キャラ・素材など多岐に渡る関係者間の権利や仁義のバランスが一般的な同人創作と比較してもやたら複雑だし数も多い。当然その点は例のアレ界隈と明確に異なる。しがらみは多いが、それ故に合成音声はクリーンたりえる。
だからYoutube側でも流行するポテンシャルがあると思うし、ニコニコを飛び出して実際にYoutubeを主戦場にしようと進出していく投稿者は結構いる。
投稿者個人の利益だけでなく、合成音声の界隈全体を盛り上げようとする上でも、経済合理的な最適解は「ニコニコである程度下積みして、上手くスタイルを確立したらYoutubeに進出する」という形になるのだろう。私は合成音声に関してはそういう路線で頑張ってる人も応援したい気持ちがある。
私自身も権利的なところはなるべくクリーンであるように気を付けており、可能な限りコンテンツツリーに登録したり名前をクレジットしたりしている。*5だから、行こうと思えば私もYoutubeに進出するという事は出来るだろう。
しかし、私は多分行かない。仮に気が変わってYoutubeにも出す事になったとしても、メインはニコニコであり続けるだろう。私は投稿者として大成したいのではなく、正気の異常者として完成したいと思っているのだから。根がどうしてもネット老人なのだ。私はニコニコの異常なコンテンツを愛し、その一方で正常性を手放さず権利的にクリーン寄りな動画を作りニコニコに投稿し続ける。自分なりに真剣にどう狂えば楽しくやれるか考えている。別に狂えてさえいればニコニコでなくてもいいのだが、ニコニコには愛着があるし、今でも丁度いい場所だからしばらくここにいるだろう。
得しようとして行動するとみんな行動が似通ってくる。合理に最適化されてくるのだ。それは創発性を感じられて美しい事でもあるが、私はそういう所にカウンターを打ちたくなるし、損に飛び込んだり美学のために意地を張れる奴はやっぱり面白いな、と感じてしまう。マイナスに飛び込めって岡本太郎か?
もちろん、金を汚いものと扱ったり他人が儲かるのを妬むような、プラスを拒むタイプの嫌儲は好きではない。可能ならちゃんと稼いだ上で金を愉快なドブに捨てたいものだ。*6ドブに捨てて感動出来るならトータルではプラスのままだとも言える。
何の話だっけ?
とにかくニコニコや例のアレの特異性、損得をシグナルとした経済合理に基づく人の流れ、創作活動への影響については色々思うところがあるので、出来るものならそのへんの構造にちょっかいを入れてみたいと思う。きっと楽しい。
今のニコニコは私みたいな小物の動画でもぼちぼちランキングに入るくらいだし、それを活かして何かまた違った文化をやっていく事は出来ないものだろうか? 最近はそんな事を考えている。
元ネタなどについて
さて、投稿した動画の話。
「直接的に淫夢を使ってはいけない」という縛りを負いつつ、可能な限り匂わせるために「淫夢とは言えないが距離的に近い例のアレである」「事実上淫夢だがそれなりにマニアックなので詳しい人にしかわからない」ネタを多めに盛り込んだ結果、視聴者に通じてるか不安すぎる動画と化したため、ここに答え合わせとして元ネタを列挙していく。淫夢と無関係に単に好きだから入れただけのネタもかなりある。
AIのべりすと
冒頭から1:10までは、完全にフォーマットがAI拓也である。
拓也さんは淫夢界隈ではKBTITとも呼ばれていた実在の人物だが、彼がかつてWeb上に公開していた日記の怪文書文豪っぷりに感銘を受けた者達によって、その文体を真似して書く「同人拓也」の流れがまず出来た。それから、それをAIにやらせて異常な文書を量産しよう、という最悪の発想が生まれ、そういう流れで成立したジャンルである。*7
saize-lw.hatenablog.com
私の動画の冒頭の文書は、無論ちゃんとAI拓也の作法に則り、赤部分までは私がAIのべりすとに入力し、白部分からはAIのべりすとが実際に出力したものを利用している。何度かリトライした。
「ゆめ」という響きから連想して夢日記っぽいジャンルだという解説が生成されたのだろう。【「夢」と「寝言」を掛け合わせた造語】と言っているが「寝言」部分が全然残ってないし「いん」はどこから来たのか不明だ。しかし全然成立していない言葉遊びはAIのべりすとらしさを感じられるので、これは良いと思って採用した。
コメントにも【いんはどこから来たのだよ】とツッコミを入れてる人がいた。
読み上げ音声にはVOICEVOX3期生であるVirVox Projectの青山龍星くんを起用した。低く落ち着いた良い声でナレーター適正も高く、AI拓也界隈でも使っている人が多いのだ。
ただしAI拓也界隈で使われている読み上げ音声キャラの一番人気は、圧倒的にショウ君ことShowだ。このShowはReadSpeakerという音声合成ソフトウェアの人気話者なのだが、一時期は無能ボイスと呼ばれてたし現在もAI拓也で酷い扱いを受け続けている。コンシューマ向けは発売されておらず、法人が直接HOYA株式会社にライセンス契約しなければ扱うことが出来ないため、一般消費者が気軽に利用する事は出来ない。じゃあAI拓也投稿者はどのように利用しているのかというと、デモ音声を抜き取るなど、ライセンス的に完全にアウトな手段を利用しているようだ。簡単に利用出来ないように対策されたりもしたようだが現在でも何か色々な抜け穴を使って利用され続けているようだ。
流石に私がそれをやるのはありえないと思ったので、龍星くんにお願いする事になったというわけだ。初使用がこんなんで申し訳ないな。
キャラクター:雨晴はう
画面右に配置しているのは VOICEVOX2期生である看護師キャラの雨晴はうさん。
AMEHAREHOUSE 雨晴はう official | 雨晴はう 公式サイト
AI拓也においては「AIのべりすと」というサービスや物語を書くAIそのものを象徴するキャラクターとして、AIのべりすとのトップページにいる緑髪の女の子キャラが登場させられる事がある。
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この子は正式にはトリンというキャラなのだが、AI拓也の中では何故か「のべっち」と呼ばれている。細かい経緯は知らないが、のべりすとを愛称で呼んでのべっちなのだろう。こののべっちの声として、雨晴はうの声が利用される事が定着しているので、冒頭にAI拓也ネタをブチこむなら……ということで彼女を起用する事になった。そんな理由ある? 声がほわほわして可愛らしいから使ってみたいなとは思っていたが、まさかこんな理由で使う事になるとは思わなかった。申し訳ないな。
新年になって雨晴はう公式さんがぼすきーに挨拶に来てくれたり、話題になったワッフルの写真を絵文字として使用する事に許可を頂けたりしたのだが、私は「アッアッスミマセン……」という気持ちでそれを見ていた。
キャラクター:冥鳴ひまり
画面左に配置しているのは VOICEVOX3期生である死神キャラの冥鳴ひまりさん。
もうこの子に関しては細かい説明をしなくてもいいと思うけど、VTuberである本人が例のアレとかネットミームとかのスラングをexVOICEとして発売しているので最適なキャラだと思って採用した。
www.nicovideo.jp
「淫夢のお姉ちゃん」などと呼ばれて大人気だ。間違いなくこんな理由で使う事になるべきキャラなので全然申し訳なくない。使えてとても良かった。声も落ち着いていて良い感じ。でも次やる時はVTuber冥鳴ひまりのいたずらっぽいニュアンスを出してみたいな。なかなか難しそうだ。あの感じ可愛いよね。
最近はクラウドファンディングもしているようだ。現時点で開始から1週間も経過しておらず、まだ期間が丸一か月近く残ってるのに全てのストレッチゴールを達成してしまっている。凄い。喜びスタイルだとVTuber冥鳴ひまりっぽい感じを出しやすいだろうか。楽しみだ。
camp-fire.jp
立ち絵:moikyさん
こんな動画なので「作者さんが淫夢苦手な人だったら嫌がられたりするかもしれないな……」と思って立ち絵作者さんのTwitter*8を覗いたりなんかしたのだが「雨晴はうと冥鳴ひまりを両方描いていて明らかに淫夢が苦手ではなさそう」という理由でmoikyさんの立ち絵をお借りする事にした。しっとりとしていてそれでいてベタつかないすっきりした可愛らしい絵柄で素晴らしい。
意外とこの2人の立ち絵を両方描いてる方って少ないんだなあ、という発見があった。
今日は楽しい日になるね!
全然淫夢と関係ないが、AIのべりすとが捻りだした「いんゆめ」の解釈が夢日記すぎたので、ここはVOICEROID夢日記の始祖である「きりたん(20代男性)の夢記録」シリーズのネタを入れたい、と思ったのだった。
www.nicovideo.jp
ハッピーな感じで始めたかったので「今日は楽しい日になるね!」を使ったのだが、コメントに【みんな床ファグりは済ませた?】というものがあり、やられた! と思った。夢記録において年末の風物詩といえば床ファグりじゃないか。失念していた事に動揺して思わずイトバーニュして心を落ち着けようとしてしまった。
私は死神だから「いんゆめ」のことがわからなくて
これも全然淫夢と関係ないが、フリーレン構文。
togetter.com
動画編集時点で流行のミームの中でもありとあらゆるコラボを成立させる力強いものだったので会話の導入には丁度良く、取り入れる事にした。
おお
かんたんコメント。ニコニコ動画のプレイヤー下部に付いたボタンからワンクリックでコメントが送れる機能。
驚いたり感心した時に賞賛を送るためのコメントとして用意されているのだろう。
例のアレ全般に見られるが、特にAI拓也においては、全然賞賛出来ないクソみたいな発想やガバガバな名案が出た時に「おお」というコメントが大量に流れ、それに対して「なにがおおだよ」「おおじゃないが」と突っ込みが入るのがお約束である。
地味に気付きにくい異常な点として、淫夢動画において「おお」は実際にはかんたんコメントではないという点が挙げられる。
ニコニコでは動画のカテゴリによって使えるかんたんコメントのセットが異なるのだが、料理やゲームなどのカテゴリは「おお」が送れるものの、その他カテゴリのセットに「おお」は存在していないのだ。つまり、淫夢動画の視聴者はみんなしてわざわざ他カテゴリのかんたんコメントっぽいコメントを手打ちで行うという小ボケを行っている事になる。なんでだよ。まあわかりやすくリアクションを伝えられるワードだし、手打ちでも入力はかんたんだけど。
そこは流石に嘘だよ
これもフリーレン構文。正確には「フェルン、それは流石に嘘だよ」である。
これは公式ではなくTwitter*9上でユーザーに創作されたもの。
年食ったオタクが「最近の作品」として認識してるものが実際には相当昔のものという事実を突きつけられ驚く……という流れは定番だが、これを長命種のフリーレンに引っかけて会話するというもの。
動画では流石に嘘だよ、などと否定しているが、何気に野獣先輩が注目され始めて投稿が活発になりだしたのが2010年頃なのでニコニコに限ってもかなり歴史があり、動画で言ってる内容は大きく間違いではなかったりする。最古の淫夢関連動画は2010年どころかニコニコ初期の2007年にはあったし、2chガイドライン板の「TDNのガイドライン」スレでは2005年からネタにしていたのでニコニコに限らなければ実はもっと歴史があったりする。昔は真夏の夜の淫夢というビデオ全体ではなくTDN選手関連のゴシップだけが注目されていたのだ。「お前ここは初めてか? 力抜けよ」「汚い○○だなあ」「アッー!」あたりが初期のスレでよく使われていた最古に近い淫夢語録だと思われるが、このへん今ではあんまり使われてないよね。一方動画素材として面白いものなら初期の語録であっても生き残ってる感じだ。
AIは嘘つき
テキスト生成AIの言語モデルが全くの大嘘を堂々と喋る「幻覚(ハルシネーション)」という現象があり、高性能な言語モデルでもたびたび発生するので気を付けないといけない。
それはさておき、フレーズとしての元ネタは淫夢語録「ホモは嘘つき」である。淫夢においては他にも「ホモはせっかち」「ホモ特有の~」など、普通に考えたら直球の差別というか邪悪な決めつけに基づいたストレオタイプ的なフレーズが存在する。小学生かよ。どちらかというとホモである事よりポルノビデオである事に起因してTDN氏や作中の人物が色々とバレバレの嘘をつくシーンが多かったのでそれで形成されたイメージであろう。「インディアン嘘つかない」みたいな戯画化である。
やめろワシはホモビなんて観ない
こち亀の両さんが言いそうな事という形でネットで勝手に形成された「やめろ! ワシはホモじゃない」というフレーズの改変。
実際には原作でそういった発言は出ていないらしい。両さんがホモっぽい事しててもなんか違和感無いし麻里愛も初期は男だったし周囲のキャラの暴走や勘違いに巻き込まれて「やめろ!」とか言ってるシーンが多いので多くの人が脳内再生余裕だったためにここまで拡まったのだろう。
ロックマンとか工場見学の動画
ロックマンというのは、コメントでも理解した人が大勢いるが、634氏の投稿する一連の動画「69マンSEエックス ゼERO」の事である。
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端的に言えばロックマンXシリーズの映像を主な素材とした音MADなのだが、その怒涛の下品さと勢いは凄まじく、見ていると頭がおかしくなる。適当に数本視聴するだけでどんな作風かはすぐ理解出来るだろう。ほとんど全部そんな感じである。見方にもよるが淫夢より下品だと思う。
恐るべきは2007年の初投稿から2024年1月現在までコンスタントにこの作風のまま投稿を続けているという事実で、既に動画の件数は1300件を超える。昔は「100本以上こんな動画作っててやばすぎる……」と思っていたが、まさかそれが15年続くとは思ってなかったので恐怖を感じる。
精神状態がまともな時は「なんだこれ下品すぎる」「もっと他に有意義な動画があるだろ」と思って視聴をやめてしまうのだが、心が疲れてる時にたまに視聴すると頭が空っぽになって良い感じなので電子ドラッグとして重宝している。
工場見学の動画の方は「ザ・メイキング」である。タグは「ザーメンキング」
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淡々と色んなものが工場で作られていく過程を紹介するシリーズであり、社会科見学みたいで観ていて純粋に楽しい。
元動画はYoutubeで科学技術振興機構(JST)が投稿している動画で、ニコニコのはその転載である。お約束的なコメントやつっこみが色々あって、ネタ色が強いアニメ見てる時に近い感覚だ。
お前なんなんだよ、禁じられた~
FF10のティーダのセリフ「お前なんなんだよ!」*10とワッカのセリフ「禁じられた機械を平気で使ってんじゃねえか」
無論、直接的に意識した元ネタは「おとわっか」 ホモネタとしての薄っすらとした繋がりを意識している。
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私たちのような無識な一般人
「無識な」という言葉自体は普通の語彙だが、通常であれば一般的には「無知な」と表現する事の方が多い。
わざわざ「無識な」と表現した元ネタはテコンダー朴。「無識な日本人は人権派格闘技漫画テコンダー朴を読んで正しい人権意識を学べ!」といった形で使われる。
知的エリートの方々にとっては知っておかないと恥を~
事実である。確かに少々盛ってるが大きな嘘は言っていない。
コメントでも多く反応してもらっているが、作品などの公募に淫夢ネタを混ぜ込まれた際に、審査側がそうと知らずに採用してネットで話題になってしまうという悲しい事件はちょこちょこ起きている。回避するためにもある程度知っておかねばならないというクソみたいなミームだ。「自分の知識量を悟られたり~」は、「無知がバレたら恥ずかしい」とも「淫夢厨だとバレたくない」とも解釈出来る表現として捻りだしたもの。
淫夢には言葉遊び的な側面があるので、真面目な話、それなりに学力があり尖ったコンテンツを好むタイプの大学生に特に好まれる傾向は実際にあったりするようだ。淫夢は出自がゲイポルノの無断転載という隙の無いクソなのでいくら流行しても社会や権威と一体化する事が無いという安心感もあり、モラトリアムな知性を引き寄せるのかもしれない。それを踏まえて「インテリ大学生の皆さんは日夜ピカピカ光るパソコンを~」という風に「ゲーミングPCを好むオタク大学生」というペルソナを仮定し、褒める風に煽りにいっている。
である事を意味していますよね
「意識高い系空手部」より。迫真空手部本編のセリフを「意識高い系ビジネス用語翻訳」に通したもの。この翻訳はノムリッシュ翻訳と同じサイトに存在する。「ですよねぇ」が「である事を意味していますよね」に翻訳された。
根本的な元ネタはこれだが、特にThe Witnessを実況した「迫真パズル部・総当りの裏技」シリーズで頻繁に用いられた事から特に有名な語録となった。
パズルの要点を掴んだ気持ちの良いシーンでこの語録が使われがちだったため、そのたびに「である事を意味している+114514810点」のように視聴者からの賞賛コメントが飛んだ。
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心が豊かなので性格も良い→彼女ができる
ブロント語。淫夢とは関係ないがニコニコでも昔かなり流行っていた。
・豪華なHNMLS→装備が充実→心が豊かなので性格も良い→彼女ができる
・せこいLS→装備が雑魚→心が狭く顔にまででてくる→いくえ不明
高レベルのプレイヤーは余裕があるので性格も良くて彼女も出来るが、ザコは性格も悪いのでいなくなりますよ、という主張である。
FF11の伝説的な(?)プレイヤーであるブロントさんは「ナイトというジョブは偉く、自分はナイトの凄いプレイヤーである。しかも腕っぷしも強い」という熱い自画自賛を延々と崩壊した日本語で主張していたが、その崩壊した日本語のセンスが面白くてウケた。これもまた一種の「語録」としての知的刺激をベースとした受容であり、ネットスラングとして淫夢と通底するものが感じられる。
ちなみに「素晴らしい努力だすばらしい」もブロント語。原文は「素晴らしいナイトだすばらしい」 2回目の「すばらしい」がひらがなであるのも勢いを感じられてよい。
明るい未来に就職希望だわ
淫夢とは全然無関係なアイドルグループであるモーニング娘。のシングル「LOVEマシーン」の歌詞の一節。リリースが1999年なので20世紀の楽曲であり、この動画で扱うネタの中ではブッチギリで古い。唯一「真夏の夜の淫夢」というビデオそのものよりも古いと言えるネタ。
大学生の未来は明るいなあという展望をアホっぽい感じで言いたい、と思った時に丁度いいフレーズだったので入れた。同時に加齢臭もして大変よろしい。
当時はテレビを見たら毎日のようにLOVEマシーンが流れてるくらい人気の曲だったように思う。子供の頃は「アホっぽいネタ曲」と感じてあんまり好きじゃなかった覚えがあるが、大人になってなんかの機会に聴いたらポップでキャッチーで良い曲だなあ、と感じたのだった。「日本の未来はWow Wow Wow Wow」って歌詞どうやって思いつくんだ。
何気にモーニング娘。ってまだ活動してるんすね。メンバーは物凄く入れ替わってるけど……当時は新規加入メンバーがドンドン増えていってたので「将来的に物凄い人数になるのではないか」とネタになってた覚えがあるけど、その後はAKB48とかが出てきたので当たらずとも遠からずといった感じだ。
中国や韓国ですが インムを通じてコミュニケーションで相互理解
事実である。
国↑交↓とも言われており、韓国もそうだが、特に中国での淫夢の広がりは特筆すべきものがある。
中国は同性婚を法的に認めてないものの、同性愛自体を罪として禁じているというほどではない。そこまでは日本も同様だが、しかし表現のレベルにおいては日本よりかなり抑圧的で、例えば映画やドラマなどの作品において同性愛表現は「不健全」として検閲排除する傾向にあり、日本風の美少女ゲームなんかも突然規制を強められたりする。要は同性愛や二次元美少女に現を抜かしてないで結婚して子供を作り国に貢献しなさい、という事なのだろうか。
ただ、何故か謎に淫夢は見逃されやすいらしい。ネタだから取るに足らない、という扱いなのだろうか? 特にbilibiliでは厳しく削除されずに生き残ってる淫夢動画は数多い。とはいえ、bilibiliも元祖であるニコニコと同じく下の世代をTiktokに取られるなどして若干オワコン化が進んでいるらしく、bilibiliに残ってるのはニッチなオタクだけ、という雰囲気のようで、これも例のアレらしい感じだ。日本からしたら中国は人口が多いから活発に見えるが、国民全体の比率で見たら淫夢厨やるようなオタクは日本以上に少数派のように見える。
淫夢があまり規制されてないと言っても、そもそも淫夢は検閲しづらいという側面もある。中国共産党の真面目な役人がホモビMADの詳細なトレンドを把握しているはずも無く「オタクにはわかるが検閲は貫通する」ネタとなりえる。日本と同様に『回避するためにもある程度知っておかねばならないというクソみたいなミーム』なのだが、中国においてはよりシリアスなのだ。淫夢っぽいものが公的な掲示物や作品に採用されてしまう、といった事故は日本でもちょくちょくあるが、大抵は単なる悪ふざけに過ぎない。一方で検閲の厳しい中国においては検閲者をあざ笑い、政府の検閲などに我々は屈しない、という態度を示す反政府インテリ仕草的な意味合いを若干帯びていたりするのだ。この話がどれぐらいマジでどれくらいネタなのか、本当にリスキーな行為なのかは正直わからないがそういう側面は実際あるらしい。中国でオタクをやるのは大変そうだ。
まあ、淫夢厨やるような中国人は総じて自由主義寄りの思想を持つオタクである可能性が高く、日本のオタクとの親和性は高いだろう。政府間のピリピリした感じよりは随分と個人間での交流はしやすそうだ。それがホモビを介した交流になってしまうのは はっきり言って異常としか言いようがないが。
お互いを好きになること いいこと
山崎まさゆきのシングル「愛のカタチ」の一節「人を好きになることいいこと」の改変。
現実の歌手ではなく「 i-mode学園」というゲイポルノ作品に収録された作中作である。淫夢ネタ。
dic.nicovideo.jp
ラブアンドピース
閉廷おじさんが口走った一言。淫夢ネタ。
裁判中に(位置的に多分書記官の)おじさんだけ無視される状態になり、無視しないで欲しいと色々ちょっかいをかけたが一切反応を貰えず、エスカレートしてメチャクチャな狼藉を初めてしまい、最終的にはメチャクチャやりながら「ラブアンドピース」などと叫び始めるコントみたいなポルノ作品があり、それが元ネタ。淫夢扱いされてるが何気にホモではなくノンケ向けの作品。
w.atwiki.jp
こいつは国民党を直撃する
2023年末頃に爆発的に流行っていた「アナルアサシン VS 忍者」より、15:30あたり、中指を使って責め始める際の「こいつはポイントを直撃する」という発言の空耳。
中国関係の話題が出たので引用したが、国民党は中国ではなく台湾の政党であり、歴史的には大日本帝国や中国共産党と戦って最終的には台湾に敗走した人々の末裔なので文脈的にはちょっとズレてるかな。
現在の台湾は大陸志向の国民党ではなく台湾独自のアイデンティティを重視する民進党が与党となっている。
音声はVOICEVOXの私達を使えば
有名な語録である「金・暴力・SEX」と、野獣先輩の「屋上あんだけど……焼いてかない?」に対する遠野の返答「あぁ~いいっすねぇ」から「暴」「いいっす」「暴」「X」を切り貼りして「VOICEVOX」と読ませる、というネタ。キメラ語録。あのさぁ……言い訳のしようがなく淫夢ネタじゃないか(呆れ)
ここまで「淫夢を禁止出来るのか?」「素材を使わなければいい」とネタ抜きにダラダラと喋った後に投入するので不意打ちになって良い感じだと思う。
「金・暴力・SEX」は結構色んな切り貼りキメラとして使われていて、例えばゲーム実況系だと「金・暴力」の「か」と「りょく」を切り貼りして「火力!」と言ったりボスが現れたら「暴力・SEX」の「ぼ」と「す」を切り貼りして「ボス!」と言う、みたいな事が一般的にされている。クソみたいな知識だ。
なんの面白みもないじゃないか
JOKER姉貴。「棒読みっぽさが淫夢の男優に似てる」というだけの事で東方のボイスドラマ作品を淫夢や例のアレの文脈に巻き込んでいく「クッキー☆」という界隈が存在するのだが、クッキー認定されてる作品の1つ『古明地こいしのドキドキ☆鍋パーティ!』にて水橋パルスィ役を演じた人物。
作中にて闇鍋を行うのだが、パルスィは「好きだから」という理由で闇鍋にも関わらず ごく普通の大根を食材として選択し、後になって後悔して「私だけなんの面白みもないじゃない」と発言した、というのが元ネタ。
作中でも順番を飛ばされるなど存在感が無い事をネタにされており、登場するたびにコメントで「誰?」などと言われる事がお約束。
出自的に「クッキー☆」は淫夢と絡む必然性がないのになんか例のアレ扱いされてるというポジションなので「ク☆は淫夢ではない」と主張する人もいる事から、これについては淫夢ネタではないと言い張ることが出来るだろう。
www.nicovideo.jp
仕方ないね 何の問題ですか? 何の問題も無いよね
ご存じ「本格的 ガチムチパンツレスリング」より。
本編は全て英語なので上記は全て空耳である。淫夢には「しょうがないね」「しょうがねえな」等の語録があるが、慌てず騒がず落ち着いて「仕方ないね」に置き換える事で淫夢判定を回避する事が出来る。レスリングについては公式がイベントにビリー兄貴を呼ぶなど存在を認めているので、系譜としては近いものの、完全に黙殺されている淫夢とは別という扱いである。申し訳ないがレスリングはNG。
何の問題ですか? → 何の問題も無いよね → ラミレスビーチの誓い♂ という風に続くのだが、テンポ的にラミレスビーチの誓い♂についてはカットさせて貰った。許してや……
許しは請わぬ
「アンチブリッツボールおじさん」「ノムリッシュいなり」という2つの動画で登場するのが有名。
前者は「THEクレーマー 1 バレー青年植木鉢破損」をノムリッシュ翻訳した動画。元々のTHEクレーマーは「バレーボールで誤って植木鉢を破壊してしまった青年に対しておじさんが『おい、どうしてくれんだよ!』と迫り、青年は平謝りする」というシナリオ。これをノムリッシュ翻訳すると「おい!」が「応えよ!」になり「ごめんなさい」「すみません」などの謝罪が「赦しは請わぬ」に翻訳されるため、おじさんが「応えよ、我が声に応えよ!」と連呼し、青年が何度も「許しは請わぬ」と応じるという異様なやり取りが展開される。
後者は寿司屋見習の男が配達中にいなり寿司を勝手に食べちゃった事を謝るシーンで「許しは請わぬ」と言いながら土下座する。
何気に前者は「赦し」で後者は「許し」という表記ゆれが存在する。
ⅠⅠⅣⅤⅠⅣ年後
野獣先輩のセリフ「いいよ、来いよ!」から114514という数字が特別扱いされているが、これをローマ数字にして誤魔化したもの……というだけではなく、直接的な元ネタは「野獣先輩 VS いんゆめ君」という動画。
妙に低クオリティだが独特の間が癖になる劇場動画で、場面転換にやたら長い「ⅠⅠⅣⅤⅠⅣ億年後…。」というテロップが入る。元ネタは億年後だが「億は長すぎるかな」という私の意味不明な遠慮が働いてⅠⅠⅣⅤⅠⅣ年後になった。
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場面転換で流れるゴキゲンなジングルらしき音
これは直接淫夢と関係あるわけではないが、有名なゲーム実況である「人命レ●プ!火の玉と化した緑くん.KSP」からの一連のシリーズにて場面転換のジングルとして使われていた音である。
プレイしているKerbal Space Programは宇宙開発シミュレーションゲームで、高度な物理シミュレーションが組み込まれており、自分でロケットを設計したりそれを用いて宇宙探索をしたりといった事が出来る。ただこの動画シリーズの投稿者は倫理観が破綻しており、このゲームにおいて人間の代わりとして扱われる緑色のマスコット、通称「緑くん」を酷い目に合わせるためにムチャクチャな挑戦ばかりしている。最終的に予定通り緑くんを酷い目に合わせる事が出来たら「実験は成功だ!」「やはり私は間違っていなかった」などと言う。
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曲自体はPlayStation2のアクションゲーム「GOD HAND」のBGMであるGene's Rock-a-byeという曲(のイントロ)
GOD HANDは世界観やシナリオ面では物凄いバカゲーだが、アクションゲームとしてのクオリティや難易度は極めて高いトガった作品で、ファンも多い。
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ドサーッ(米を投入)
野獣先輩がアイスティーに睡眠薬をサーッと入れるシーンを想起させたかったので「猛烈に流体を投入するシーン」は結構意識して入れた。米を投入するシーン、スパイスを投入するシーン、味の素を投入するシーンなど。
今は瘦せてきてるし
野獣先輩の語録「昔は太ってたんですけど」を連想させるフレーズとして入れた。
王道って感じだね
野獣先輩の語録「やっぱり僕は王道を征く」の匂わせ。案の定、これはコメントで言葉狩りが発生している。
なんか本格的
ONDISKの語録「なんか芸術的」の言い換え。
雨晴はうさんの調声もだいぶONDISKのイントネーションに寄せている。
ちょっとやる分には簡単簡単
GOの語録「30分で5万! すげぇよ、簡単だから。本当だから簡単簡単」を意識していたがこれは流石に表現が遠すぎて伝わらなかった。
インムに関係の深い料理
まず、カレーは既にアウト寄りである。
小学生並みだが、カレーを大便のイメージに寄せるクッソ汚い発想が淫夢界隈にはあり、脱糞音を動画素材として使うのが流行った事もあった。今もちょくちょく使われる。最悪だなあ。ガーゴイルKMRなんて言われてたよね。モザイク代わりに「カレーハウスCoCo壱番屋」の画像を使用するなどだいぶ最悪だった。「汚らしさ」を競い合いがちなこの世の終わりみたいな界隈だと再認識させられる。
ひまりがプランBとして提案したステーキやピザについて。まずステーキは「職場淫猥白書9 料理人解体ショー」にて出張料理人中野くんの焼いたステーキが存在するので、屋外で直火で焼いたら淫夢になるだろう。
ピザについては「職場淫猥白書8 ピザ配達員豊田編」にて配達員がピザをつまみ食いしてしまい、その代償として客が性行為に持ち込もうとする、という話がある。いなり寿司については「職場淫猥白書13 寿司職人見習い編」にて配達してきた見習いがいなり寿司をつまみ食いしてしまい、その代償として性行為に持ち込もうとする、という話がある。ほとんど話の筋が同じじゃねーか!
中野くんのステーキもピザもいなり寿司も全部関西クレーマーことカーリーが登場する同一のシリーズである。ネット歴長い人なら、淫夢厨でなくても「いなりが入ってないやん」というフレーズは見かけた事があるのではなかろうか。寿司が登場したらいなりが入ってても入ってなくても淫夢認定されかねなくて危険だ。
ラーメンについてはもちろん迫真空手部の野獣先輩の語録「この辺にぃ、旨いラーメン屋の屋台来てるらしいっすよ。」より。
要するに挙げた全ての料理が淫夢にカスってるのである。
トマト缶
「アナルアサシン VS 忍者」より演出のパクり。
そもそも「アナルアサシン VS 忍者」はアダルトグッズの販促のための映像であるため、エロシーンでそれらのアダルトグッズが登場したタイミングで、紹介する意味での演出が入る。その演出というのが【効果音ラボの「バーン」(もしくは「ショック3」)というSEを流して、虹色のグラデーションで縁取りしたテキストでグッズ名を表示する】というもので、比較的簡単に真似できそうだったので真似したのだった。個人的にはもうちょっとフォントにもこだわって寄せれば良かったかな、と反省している。
その後の「味噌」と「ヨーグルト」などについても同様である。
うまあじ
「うま味紳士」より。これはゲイポルノビデオが元という点は同じであるが、文脈的には淫夢ではなく「ふたば☆ちゃんねる」のネタである。
迷惑コテハンであった「マジレス」氏の顔写真*11を「うま味紳士」のパッケージに合成したコラが出回った事から「マジレスはうま味紳士である」というネタが定着し、マジレスの画像を見て「誰このおっさん」と言う人の前に颯爽とキミキスさん*12が現れ「うま味紳士よ!絶対に許さないうま味紳士!」と教えてくれる、という謎の流れが定着していた。
パッケージの「うま味」の味の部分にはちゃんと「あじ」というルビが振られているため「うま味」は「うまあじ」と呼ぶべきだとする勢力と、常識的に考えて「うまみ」と呼ぶべきだとする勢力が日夜バトルを繰り広げる事となった。日々「うまみ派はバカだな」「うまあじ派は賢いな」などと罵りあっている。「うまテイスト」とか言い出す英語圏人や「うまウェイ」と言い出す中国人も登場して無意味に国際色も出ている。
スパイスのくだりは割と料理の話をしているが、本当に雰囲気で適当に目分量でスパイスを入れていたので料理動画にあるまじき適当さである。実際「これくらい適当にやっても案外美味しく作れますよ」というのは実際に言いたかった事なので、そういう意味では真面目な調理シーンと言えなくもない。
このときクミンパウダー少ねえ! と結構焦ってたりする。クミンシード使ってるし多分大丈夫だ、と考えて調理を続行した。
おばあちゃんの素
アル中カラカラことwawawa氏が、味の素の事を何故か「おばあちゃんの素」と呼ぶ事から。
wawawa氏の動画は基本的には衛生観念に欠ける汚い映像で、意味不明な量の味の素や粉ワサビや粉カラシ、一味唐辛子をツマミにブチこんだり、わけわからん分量のウイスキーをハイボールにして飲み続けており、本当に物凄い迫力である。
別にwawawa氏は淫夢ではないが、淫夢とか好きな人は絶対好きだろうからネタを取り入れた。
味の素は忌避する人もちょいちょいいるが、使うとわかりやすく旨くなるので、ひと味足らないな、という事にならないように使っていくのは全然アリだ。特に初心者ほど活用すべきだろう。今回ネタとしてやや多めに入れたが、塩味甘味酸味苦味と違ってうま味は多めに入れても味のバランスが崩れるまでの量にやや余裕があるし実際全然許容範囲内だった。最終的にはちゃんと美味しく仕上がった。
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どうでもいいけど、最近のTwitter*13陰謀論界隈では「味の素を使ったり利用を薦める奴は悪魔崇拝者」ということになっており、バズレシピで有名な料理研究家リュウジ氏が悪魔崇拝者扱いされるというほのぼのエピソードもあったよね。
大海近いから
野獣先輩の語録「大会近いからね」より。漢字が違うから……と言い張る。
まるでカレー博士だ 調べたさ……
NARUTOより。気持ち的にはナルトス、つまり「ふたば☆ちゃんねる」関連ネタであるが、一連の語録はナルトスのコラではなくNARUTO本編から。
「ずいぶん勉強したな...まるで蛇博士だ」「調べたさ…大蛇丸を倒す為にな」「でもただの蛇博士じゃあこのボクは倒せないよ!」と続く。
全然淫夢と関係ないのだがコメントで【でもただのカレー博士じゃあこのカレーは作れないよ!】と乗ってくれてる人がいたのはかなり嬉しかった。
←結論
「らき☆すた」アニメのOP「もってけ!セーラーふく」の歌詞の一節「セーラー服だからです←結論」より。
なんとなくニコ厨っぽいテイストを出したかったから唐突に字幕に放り込んだ。
知的さとは正反対の野獣のような
言うまでもなく野獣先輩のこと。また、あくまで「淫夢は知的なインテリのものである」という前提を崩さずに話を進めるつもりですよ、という宣言でもある。
なんという冷静で的確な判断力なんだ
淫夢とは無関係な「キン肉マン」のキン肉星王位争奪編、『ソルジャー登場の巻』のワンシーンより。
意味不明な賞賛をしたいシーンだったので、ネットミームとして有名なこれを引用した。
下品だなあ、そうに決まってる
「Hikakin Mania」より。
有名YoutuberであるHIKAKIN氏の動画を切り抜きして下品な改変をしまくって投稿していたHikakin Maniaという動画投稿者がいた。その作風を面白がって真似た大勢の人々により多数の類似動画が投稿された結果「HIKAKIN氏の動画を素材に下品な改変をした動画」という「ジャンル」としてHikakin Maniaが成立している。通称ヒカマニ。
これもかなりの下品さを誇るジャンルではあるが、淫夢とは一切関係なく、カテゴリも「その他」ではなく「エンターテイメント」または「未設定」である事が多く、淫夢に詳しい人でもヒカマニは観たことがない、という事は珍しくない。実際に視聴した時の感覚は淫夢よりはゼEROを観た時に近い。
淫夢は素材からクッソ汚い事が多いが、ゼEROやヒカマニは素材は汚くないが無理やり下ネタを導入しようとしている事から雰囲気が似てくるのかもしれない。
コメントでも【マニア】というワードを出して反応している人がちょこちょこいる。
「下品だなあ、そうに決まってる」のフレーズそのものはHIKAKINが「青鬼」を実況している動画より。
青鬼の登場人物タケシの発言「全員あの化け物にケツから食われちまうんだ そうに決まってる!」をHIKAKINが読み上げつつリアクションを挟んだ結果として「ケツから食われちまうんだ」(読み上げ) →「ケツから? 下品だなあ」(HIKAKINの感想) → 「そうに決まってる」(読み上げ)という形になり、後半の「下品だなあ そうに決まってる」が切り取られ【何かを下品と決めつけるHIKAKIN】という使われ方をされるようになった。
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絶対にありません 確信しています
これも「Hikakin Mania」より。フレーズ自体はHIKAKIN氏が2020年3月に投稿した「卒業式が出来なかったみんなへ、ヒカキンより」という動画から。
2020年3月といえば、コロナ禍初期の誰もがどう対応すればいいかわかっていなかった頃で、普通の学校生活を送っていた多くの学生達が突然の休校要請によりまともに卒業式も出来なかったという時期、そんな学生達を慰めるべく力強い激励と祝辞を送る動画を投稿したHIKAKIN氏は人間の鑑である。
しかしそんな素晴らしい動画もカスみたいな改変をしてしまうのがヒカマニなのである。特に以下の否定キン動画が好き。
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元々は「卒業式を送ることが出来なかったからといって皆が友達と過ごしてきた時間、築いてきた絆が無くなるなんて絶対にありません」「仲間との絆はより強いものになると確信しています」という真っ当でポジティブな発言である。
ホイホイチャーハン どういうことなの
「本格的 ガチムチパンツレスリング」より。
ただのカツカレーに更にチャーハンを導入するためにはホイホイチャーハンの力が必要だったのだ。
満足できねえぜ
「遊☆戯☆王ファイブディーズ」の鬼柳京介より。淫夢とは無関係。
といっても、私自身は遊戯王ニワカであり、大昔に遊戯王MAD観てただけの人間なのであんまり詳しくない。
全然遊戯王やらないのに何故か解説動画やデュエル動画を謎にちょいちょい視聴しているため用語にだけ反応出来るという変な耳年増人間と化している。
問題ない、2000キロカロリーまでなら
「バキ」の烈海王が川の上を無理やり走りながら言った「問題はない!! 15mまでなら!!!」の改変。淫夢とは無関係。
残念ながらご飯や油や肉の量からざっくり計算しても少なくとも2500kcalくらいのカロリーにはなった。1日1500kcal以内で頑張ってる時期だったので1食で2日分くらいのカロリー摂取をしたことになる。
アーモウメチャクチャダヨ
「あーもうメチャクチャだよ」というフレーズそのものは「BABYLON STAGE 35 大人の事件簿」の野獣父より*14
しかし、使用した音声の詳細は少々込み入っている。
まず、淫夢好きとしてよく知られた声優の杉田智和氏が、料理旅番組*15の吹き替えを担当した際に淫夢語録を乱発するという暴挙に出た事があり、この番組の音声が特に有名な素材になっているのだが、この吹き替えの中に「あーもうメチャクチャだよ!」という発言が含まれている。
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使用した音声「アーモウメチャクチャダヨ」は日本のネットカルチャーにやたら詳しいフィンランド人のTomi Laurinen氏の発言である。
「ですコン(Desucon)」というフィンランドのアニメ・漫画ファンのためのイベントが存在し、そこでTomi Laurinen氏とBenjamin Altin氏が「例のアレ」についてまとめたスライドを発表する、という講演があったのだが、講演の中で上記の杉田智和氏を紹介する場面がありTomi Laurinen氏はどうやら「杉田智和氏による淫夢営業」の例として「アーモウメチャクチャダヨ」という言葉を放っている。
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「淫夢」→「有名声優による吹き替え」→「フィンランド人の講演」という2回のロンダリングを経由しているので「これは淫夢ではない」と主張出来るんじゃないかな……ダメかな……
改めて考えると凄いと思うなあ
syamu_gameによる熱い自画自賛。
オフ会0人で一世を風靡した大物Youtuberであり、淫夢ではないが例のアレ枠だ。何故オフ会に誰も来なかった時点で嫌にならずそれを動画にしてUPしたのかは謎だが、とにかくこの一件で有名になり、その後も色々あって激しくネットのオモチャにされたり、その注目度を巡って色々あったりした。
ンーーー、改めて考えると凄いな、って思うなあ。俺はやっぱ。凄いなあと思うなあ。
サムネも作れるしさ、曲も作れちゃうし、ほんでー動画も編集できるでしょ?
ほんでー、さらには小説も執筆してるって?
ほんでー、撮影・収録も一人でやってるって?
なかなかできないよ、そういうことは。なかなか難しいと思うよそういうことは。
そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ。
クオリティが伴ってないので馬鹿にされまくってるが、実際やってみる人はそれほど多くないのでそこは素直に凄いと思う。*16
この一連の自画自賛は詠唱のようなもので「今作ってるこの料理はsyamu_gameに関係していますよ」という宣言、種明かしに相当する。勘の良い人はチャーハンを作り始めたあたり、もっと早ければトンカツを一口サイズにカットしたあたりで気付いたかもしれない。
「カレーやチャーハンで淫夢やレスリングをカスりながら最終的にsyamu_gameに着地するのは流れとして悪くなかろう」「syamuさんは全部冷凍食品かレトルトを利用していたので、私は可能な限り生鮮食品から作ってみよう」という発想だ。*17
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参考にした動画の3:15あたりから「丼に盛ったチャーハンの上に1つ1つトンカツを盛り付けていく」というシーンがあるのだが、周囲から埋めるように円状に配置していき、円状に配置したために真ん中が空き、最後の1つを置くのに丁度いい空間が出来ている形になり、多くの視聴者は最後の1つを真ん中にスポッと置く事を予想する。そこまで「真ん中やろなあ」というコメントが乱れ飛んでいるのだが、syamuさんは大方の予想を裏切り、他のトンカツの上に置き真ん中を空けたままにする。これに対して「!?」「は?」「おお」などのコメントが乱れ飛ぶ、という流れがネタになっている。
私もそれを再現する形で盛りつけた結果【真ん中やろなあ→は?】コメントで応えてくれる人が現れたので嬉しい。
きっと特別な存在なのだと思いました
キャラメルキャンディ「ヴェルタースオリジナル」のCMより。淫夢とは無関係。
syamuさん風の自画自賛ばかり続くとあれだなと思ったが、短くすると尺が足りなかったので別の形の自画自賛を持ってくる事になった。
やっぱりニコニコのミームを扱うならドナルドかヴェルタースオリジナルかねるねるねるねあたりは持ってきておきたい。
そうだそうだと言っています
元ネタはゴジラシリーズの映画『三大怪獣 地球最大の決戦』における「ラドンもそうだそうだと言っています」 淫夢とは無関係。
「そうだよ(便乗)」だと淫夢になってしまうし短すぎるし「ワイトもそう思います」もやや短かったので少し長いものを導入したかった。
これはどちらかというとニコニコではなくTwitter*18で「汎用性の高い画像」として使われてきたネタという印象がある。
こうして私たちの元に届けられる
ザ・メイキングの字幕解説の締めとして多用されるフレーズ。
ニコニコで「こうして○○は作られる」という形で締められた回は「私たちのもとに届けろ」と怒りのコメントが付くこともある。
こんなに作ってどうすんだよ
ザ・メイキングにて、食品を始めとした製品を一人で消費しきれないほど大量に製造してるシーンに付きがちだったコメント。
工場だから出荷販売するに決まってんだろ。ただ、最近はこのコメントあんま見ない気もする。
わずかな時間を見つけて もう嬉しくって感動で
エア本さん。例のアレを取り上げるのであればその元祖であるエア本さんに触れないわけにはいかないだろう。
どちらも「すばらしきわが人生 Part2」より。
「わずかな時間を見つけて」はグルメレースMADの「わずかな時間を見つけてマイレボリューションする」という使い方が特に有名か。
うん! うんうん…… はい
「うん、おいしい!」という語録に今更配慮し始める。本当に今更w
おいしいけど、おいしい
syamu_gameがパルムを食べて放った一言。
オフ会0人と引っかけて情報量がゼロであるとネタにされる。
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すっごく爽やかな存在
漫画「孤独のグルメ」の第一話より。豚肉主体の料理ばかりを注文してしまった中で、ナスのおしんこを評して。
一応料理動画だから、という事でラストは最後の理性を振り絞って真面目に食レポをしており、引用するネタはちゃんと(?)グルメ漫画からにした。
死のうかな
ザ・メイキング動画に付きがちなコメント。
まず「淫夢ネタをカッコいい映像作品にした動画につきがちなコメント」として「俺もホモビに出ようかな」というものがあった。自分もホモビに出ればカッコいい映像作品になれるかもしれないというわけだが、この割に合わないコメントがウケて定番フレーズとなったもの。
これを踏まえてザ・メイキングの最後のおさらいパートで(工場の仕組みに感心したニュアンスで)「俺も○○工場で働いてみようかな」といったコメントがついた時期があった。しかし、素直な工場への賞賛の意図のコメントがついていたのは初期だけで、結局あらゆる工場に対して「俺もホモビに出ようかな」と無関係にホモビに出たがるコメントやどんどん捻ってネタに走ってメチャクチャな「○○しようかな」系のコメントが大量に付く形に発展(?)していった。この発展が進み、何故か何もかも嫌になってしまった人によって「○○しようかな」の○○に「死」が入った「死のうかな」というコメントが付くようになり、動画の最後だけでなく最初のほうにも「死のうかな」というコメントで溢れかえるという意味不明な展開を見せた。
工場見学の動画の冒頭に死にたがってるコメントが溢れている光景はハッキリいって異常だが、経緯を知ればなんとなく理解出来なくもないはずだ。
これ何の動画?
ザ・メイキング動画の終盤にいる、何も見ておらず理解もしない視聴者風のコメント。
科学技術振興機構の人も悲しくて泣いているだろう。
終わりに
それなりに頑張ってネタを詰め込んだものの、まだまだ詰められた感じはある。
例のアレオールスター感を出したとは言いつつ、恒心教、aiueo700といった危険度が高めのものには踏み込めてないし、今やほぼ存在が失われたケツピンあたりに触れられなかったのもちょっと片手落ちっぽいし「この動画は電通案件らしい」みたいなカスの嘘も混ぜてみたかった。
あとBGMは神社に頼ったけど、NONA REEVES流しても良かったかもしんないし全然無関係にカブトボーグとか入れてもよかったかもしんない。
東山源次なんかも結構淫夢扱いされてたなあ。あと文脈に無関係に乱入させられる要素としてブライガーや剛竜馬あたりを投入するのもアリといえばアリだった。
「いつしか雨は止み、そこには虹がかかるんだよなあ」とかも入れられるもんなら入れたかったけど無理だった。
QVC福島はアクロさんがネタにする予定らしかったので触れなかった。
入れたかったネタを全部詰め込むのはやっぱり難しいんだよね。テンポとか流れとかがあるからね、しょうがないね。
もう二度とこんな遊びはしないと思うが、読んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。*19
*1:実際投稿されて面白かった
*2:余談として、こういう企画でご一緒しておいてこういった事を言うのもなんだが、ヤシャグサさんはボイロに寄せるよりも元々の作風の方が生き生きしてると感じたし、実際に最近は再度淫夢に寄せて頑張っておられるようだ
*3:そういえばりょの字さんに理由を訊いてない。
*4:最近は公式がちゃんと配信してたり実況のためのガイドラインやライセンスも整備されてきたのでだいぶクリーンになったが、初期はかなりアウト寄りのグレーであった
*5:これは仁義や素材作者への還元という気持ちも大いにあるが、素材を明示していると私の動画をパロディしてくれる人が真似しやすいという嬉しい副次効果もあった
*6:ぼすきーは、そういう意味で私にとって愉快なドブとして機能するポテンシャルを秘めているが、今のところは稼いでないから単に身銭を切っているだけだ
*7:もっと細かい経緯もあるのだが大体そんな感じだ
*8:オット! 今はXだったかな……フフ……
*9:オット! 今はXだったかな……フフ……
*10:結構おつらいシーンで出たシリアスなセリフ
*11:本当にアレがマジレス氏の写真なのかはよくわからないが
*13:オット! 今はXだったかな……フフ……
*14:有名な「許してくださいなんでもしますから」が出るのと同じ作品だが章が異なる
*15:ナショナル ジオグラフィック「旅するシェフの仰天レシピ」
*16:拙くても出していけるのは才能なのだ。もうちょっとフィードバックに対する謙虚さがあれば真っ当に伸びたんじゃないかな……と思う事もある。
*17:syamuさんに対してクオリティで勝負しに行こうとするのはだいぶ性格が悪い気がするが、そうは言っても私も大して料理は上手くないし出来上がりの見栄えは大差無いんだよな。それはこの動画のオチの1つとも言える
*18:オット! 今はXだったかな……フフ……
*19:何の参考にもなるわけがない
管理人の反省記録 ぼすきー2年目に向けて
顔を持つ者に名前は要らない。
歌を持つ物に景色は要らない。
声を持つ者には使命が在った。
羨ましい。神には言葉しか無いのに。
ぼすきー Advent Calendar
25日目の窓を開いて
この記事はuboar(ウボァー)さんが主宰してくださった「ぼすきー Advent Calendar 2023」の参加記事です。
かつては参加表明している方もそれほど多くなく、記事を書きたい人が他にいないなら……ということで、私は管理人である事だし、最後に「ぼすきーを運営してきての簡単な振り返り」でも書けば良い感じの締めになるだろう、と25日を担当する事にした。なんか遅刻してない?
そしたら思ったより書きたい人は沢山いたらしく、裏とか3枠目とかがいつの間にか増えた。どうなってんだ?
話題の性質上、この記事はほとんど全て、振り返りの形を借りた自分語りになりそうだが、ご容赦の上、お付き合い願いたい。
ぼすきー語りと称して自分語りをお出しできるのは管理人の特権ですねえ。
Advent Calendarって何だよ
そもそもアドベント(ADVENT)とは、元々はクリスマスを待つ期間を意味する。キリスト教の宗教的な行事である。
この期間の日付を数えるために窓の付いた形のカレンダーを用意し、1日に1つずつ窓を開けてクリスマスを待つ。これがアドベントカレンダーである。
今でも宗教色の強いアドベントカレンダーはあるが、世俗化した現代においてはクリスマスをワクワク楽しみにしながら1日1個ずつ開けていくような*1季節の行事を楽しむためのアイテムとして親しまれている。

そして何故かインターネットにおいては、これを元ネタとして「特定のテーマに沿って12月に(多くは複数人によるリレー形式で)毎日1つずつ記事を書く」という企画文化として定着している。通称アドカレ。
かつてはIT技術者の界隈で広まった企画文化だった。私が最初にアドカレを見たのはRuby Advent Calendarのどれかだったと記憶している。もう10年以上前の事だったはずだ(おじいちゃん)
今でも主に技術者界隈の文化という感じだが、単にリレーで記事を書くだけならテーマは何でもよいから、ぼすきーのアドカレがあってもよいわけだ。
しかし、自分が開設したWebサイトをテーマにしたアドカレを誰かが作ってくれるだなんて想像もしていなかったな。
アドベント(ADVENT)の語源であるラテン語のアドベントゥス(ADVENTUS)は「来臨」「到来」を意味する。クリスマスは神の生誕を祝うものなのだから、ADVENTは神を待つ期間なのである。
しかし、お伝えしなければならない事がある。今日、神は来ない。
ぼすきーに神はいないからだ。
(2023/02) ツイタマの死。Misskeyとの出会い。
サードパーティはもう終わったよ!
当時、私がTwitter*2以外のSNSの利用を検討し始めたのは、サードパーティ製*3のクライアントが利用出来なくなったのがきっかけであった。
Androidユーザーの私は「ツイタマ」というクライアントを8年以上愛用しており、公式クライアントはほぼ利用せず、ツイタマでばかり閲覧していた。ツイタマは私にとって脳の一部だった。恐らくだが、TwitterがXになろうが、スパムゾンビが湧こうが、サードパーティ製のクライアントに広告表示が義務付けられる事になろうが、ツイタマさえ健在なら私はぼすきーを開設しようと思わなかっただろう事は断言出来る。
ツイタマが死に、Twitterを見る時間は激減した。それぐらい大きい存在だった。知らなかったなあ……私は馬が変わるよりも鞍が変わる事に苦しむタイプの騎手だったか。
Misskey.ioの熱気
同時期、Misskey、Bluesky、Nostr(Damus)といった他のSNSの噂を聞くようになった。そういえばMastodonも以前流行った頃に少しやったっけか。
その流れでなんとなくMisskey.ioにアカウントを登録した。
そこで見たのは、絵文字リアクションやローカルタイムラインの活発さ、日本人の運営との距離が近い感じ。死ぬほどお金を溶かす村上さん。なんか唸ってるしゅいろさん。人の増加に混乱しているライブ感。核実験する与謝野晶子がレターパックで現金を送る事を要求する。にゃんぷっぷー。全ての質感が私の好みだった。なにやら愉快な場所だな。そう思った。
Twitterをどうしよう
私は、別にTwitterが嫌いになったわけではなかった。サードパーティ製のクライアントや自由なAPIは、お金も払わず広告すら見ずタダでTwitterの資源を利用しているようなものだと理解していたから、酷く苦痛ではあるものの、禁止される事に納得は出来た。*4*5
イーロン・マスクによる買収のような大きなイベントがあれば、当然一時的にガタが来るだろう事は予想出来たから、例えTwitter上で騒がれていても、そのうち落ち着くだろうと受容出来た。
運営方針が変わって、有料化や収益化といった様々なシステムを導入するという流れも、ある程度理解は出来た。変な凍結や政治の話題のゴタゴタはいつもの事だし、なんやかんやみんなTwitterに残るだろうと思った。企業公式のアカウントもいっぱいあるしね。
結局のところ、真のコンテンツは人なのだ。場がどれだけ変化しても面白い人が留まり続ける限りTwitterは死なない。
私がTwitterから距離を置いたのは、あくまでツイタマが死んだショックのせいだった。
(2023/03) 爆破鯖の経験と、ぼすきーの公開
学びのためにサーバー開設を
Misskeyは分散型のSNSで、なんとMastodonなど他のプラットフォームともやりとりが出来るようだ……という事をMisskey.ioを利用している中でぼんやりと理解してきた。
どうやら個人でもサーバーを立てる事は可能らしい。なんと「おひとり様」なる自分専用のインスタンスを持つ文化などもあるようだ。
つまり、私にもサーバーを立てられるという事だ。
それなら、試しに立ててみようかな……
私は職業IT技術者だが、はっきり言えば地味な上に潰しの聞かない分野の業務を何年も続けている。趣味でやっていたのはゲームプログラミングだった。そして大学での専攻は経済と法律だった。少なくとも学生時代、情報技術に関する指導は全く受けていない。全て独学だった。*6
要は持っている技術が凄く偏っていたし、特にWebに関する分野の知見は素人と大差無かった。
Misskeyは楽しいし、実際に動くWebサイトを運営すれば有無を言わさずWeb分野の勉強をするきっかけになるだろう。
動画投稿でもやたら投稿祭にばかり出しているのは、締め切りを外部から与えて欲しいからというのが大きい。根拠の無い大見得を切って、死ぬほど後悔しながら締め切りに追われる。一部の同人作家さんかな? でも私の本性は常にこれだ。怠惰で臆病だから、刃を突きつけられ続けないと身体が動かないのだ。
きっと今動かなければ一生Web系の知識は聞き齧りで、わかっているようでわかってない薄っぺらい理解しか出来てないレベルで終わるだろう。
それは嫌だな。私は10年以上、Twitterで技術者達が愉快な話をするのを見てきた。動画投稿者の界隈よりもむしろウォッチしている期間は長い。
私は、愉快な人達の世界観を詳しく理解するために学びたいのだった。
期間限定! 爆破鯖
そういうわけでMisskeyサーバー*7を立てられないか、という機運を勝手に高めている時期に、Twitterで相互であるいとーじさんがMisskeyサーバーを立てるという話を見かけた。*8
渡りに船だったのでしばらくお邪魔させて頂き、Misskey.ioとは異なり人の少ないスローなサーバーを体験した。ぼんやりサーバーを立てたいなと夢想してる程度だったのが、爆破鯖の経験から急激に具体的になっていった事を覚えている。
爆破鯖は長期の維持は何かと大変だろうという考えから、2月に開設され3月には閉鎖(つまり、爆破)する前提の期間限定サーバーであった。
なるほど、ならば私は長期間の運営が出来るように頑張ってみる方向でサーバーを作ってみるか……そうして長期間運営する上で必要そうな技術知識を仕入れに動き始めた。
Linux、Github、Docker、Postgres、Redis、Nginx、Node.js、Typescript、Cloudflare、全部ふんわり知ってるが実践的な詳細まで知らない。きっとちゃんと体系的に勉強してきた人ならそれほど苦労も無いのだろうな。しかし私とて基礎ぐらいある。2週間で習得してくれるわ!*9
今思えば、技術はともかくコミュニティの運営について何も(本当に何も!)考えていなかったのが痛い。そういうのはなんとかなると考えていた。どちらかというとそっちの方が断然大変なのに。「人がいっぱいいる」という状態の難しさをナメすぎである。
「ぼ」いすのみすきー
私が立てるサーバーのジャンルは、やはり投稿者なのだから合成音声ジャンルになるだろう。合成音声ジャンルに物凄く詳しいわけではないが、そういう人たちが楽しめる場所になればいいな。
合成音声全体に関するふんわりしたサーバー……ボイロ? ボカロ? 色々なソフトやキャラが出てきて混沌とした時期だったが、共通してるのは「声」だろうか。VoiceのMisskeyということで、Voskeyという名前にしよう。アホっぽくしたいから正式名称はひらがなの「ぼすきー」だ。
爆破鯖は、予定通りに爆破された。
私は「後継ってわけでもないですが、私もサーバーを作りますよ」と、いとーじさんに対して宣言していたため、爆破鯖が爆破される前に公開したかったのだが、結局、私の技術不足や作業の遅さから、爆破鯖が爆破されて少し経ってからの公開となった。
3/28に、Twitterに投稿する。
Misskeyサーバー「ぼすきー」立てました。
— イカロ(コアラ) (@icalo35) 2023年3月28日
合成音声好きな人の集まり、というのを掲げていますが、立てたいから立てただけのぼんやりしたサーバーです。
とりあえず試験運転中ということで誰でも入れる状態で置いておきます(メールアドレスとか招待コードとか無しの設定)https://t.co/ArrpXHmnv9
(2023/04 - 06) 目的も意思も持たないサーバー
無の荒野に……立て、タカハシ!
早速だが、私は、ぼすきーが一体何なのかわかっていなかった。
何なのかと言われても、そもそも本当に目的無しに立てていたのだから、ぼすきーは何者でもなかった。単に「開設して、ぼちぼち続けて、勉強しよう!」というしょうもない個人的な動機だったために、コンテンツと言えるものも何もないし、宣伝もほとんどしていなかった。大きなコミュニティを築いてやろうとかTwitterの代わりになろうという野心も無かった。サーバー代を払って好き勝手に勉強するのに誰かが付き合ってくれれば嬉しいな、というぐらいの気持ちだった。
人が集まるのは正直怖かった。けれどフラッと集まってくれた人たちが話をしているのを見るのはやっぱり素朴に嬉しかった。
ごく初期の唯一のコンテンツといえば、タカハシの立ち絵が横向きになっている絵文字こと:takahashi_fankit:だった。
とにかくタカハシはただ存在するだけで面白く、タカハシを利用したMFMアートは爽やかな笑いを提供してくれた。タカハシ、なんと頼りになるお兄さんなんだ……「新規登録者にはタカハシの絵文字を投げつける」という「ウェルカムタカハシ」の文化がぼすきー上に自然に形成されたのは一歩引いて考えると結構異常だが、ずっとそこにいた身としてはとても自然な事のように思えた。

ぼすきーの「ぼ」って「ぼんやり」の「ぼ」?
それから、少しずつ口コミで拡がったのか、色々な人がやってくるようになった。
人が増えてくると、色々な問題が出てくる。特に初期に問題になったのが(今でもだが)R18に関する扱いだった。
イカロ個人は「エロは苦手ではない、むしろ正直好き」「でもそればかりだとちょっとな、エロい気分の時とそうでもない時は区別したい」ぐらいの感覚の人間で、TwitterでTLにいきなりR18が流れてきても「まあいいか」という態度だ。しかし、ぼすきーにはローカルという多くの人が共通で見ているTLが存在する関係上、ゾーニングがほぼ働いておらず、その上で未成年のユーザーや性的なネタを苦手とするユーザーも多くいる。この状況は問題だった。
更に、ぼすきーを設置しているサーバーは、曖昧で簡素な記述ではあるが、規約上はアダルトコンテンツが禁止となっていた。
実際のところ、レンタルサーバー側は「違法スレスレなアダルトサイトやポルノサイトに使って欲しくない」という意図で記述しただけで、創作活動のカジュアルなエロまで厳しく禁止したいかというと実際の所はそんな事ないのではないかと思う。しかしそれは私の憶測に過ぎない。「禁止」と明確に書いてある以上、従うか、強い意志を持って何かしらの理論武装をして「ここまではセーフだ!」とある程度逆らいつつゾーニングを整備するかを決定しなければならない。
当時の私はそんな労力をかけられず「レンタルサーバーの規約なんで、そんな厳しく言いたくないんですけど、とりあえずエロはNGってことで……」と雑に安易な方向に流れてしまった。しかしこのせいで当時のぼすきーは荒れに荒れた。
「エロとは何か?」「どこまではOKなのか?」「具体的にどういうのがNGなのか?」「絵はダメなのか?」「文字はダメなのか? 隠せばいいのか?」「単なる下ネタや猥談もダメなのか?」「誰が判定するのか?」「pixivのR18コンテンツへの誘導は?」「違反したらどうなるのか?」
合成音声のキャラクターには美少女が多く、その創作においてエモとエロの表現は近接している。キャラを愛でる気持ちや概念に焼かれる情念とある種の性欲の境界はとても曖昧だ。コミケにもエロ同人が溢れているし、エロは確かに創作の強い原動力なのだ。
私は「規約上禁止という事にしたが、しかし本音を言えば創作に関することを制限したくない」という素直な気持ちを開陳していたが、これもよくなかった。
ユーザーは「結局禁止なの?」「本音としては構わないなら投稿していいの?」というのが判断出来ず、イカロの曖昧で煮え切れない態度に耐えかねて、自分の好みの状態にぼすきーを近づけるための綱引きを始めた。「別にこれくらいならセーフだろ」「いいや、規約違反が原因でぼすきーが消えたら困る」
特に「レンタルサーバーの規約違反でぼすきーが消えては困る」というのがエロ表現をした人を責める大義名分として使われていたのは良くなかった。私の望むところではなかった。それは善意や正義ではあったが、しかしそれでも他人を責めたり喧嘩しないで欲しかった。別にレンタルサーバーに追い出されようが引っ越せばいいのだから争わないで欲しい。ただただ荒れて欲しくなかった。しかしそうなる原因の根本は私の曖昧な態度にあるのだから自業自得だ。情けない。
ぼすきーの方針は曖昧で、問題が起こってから規約を追加していくような後手後手の対応だった。それは2023年12月現在でも根本的な所では変わっていない。
私は禁止禁止とするのが好きではなく、ラインを明確に引くと厳しい側に寄せざるをえなくて、曖昧なら許容出来たはずの部分を切り捨てざるをえなくなる事が嫌だったし、怖かった。ある程度曖昧にして運営側の恣意的なジャッジを入れる余地を作りたかった。
しかし、恣意的なジャッジというのは毎回真剣に迷わないといけないという事を意味する。決断のたびに精神に負荷がかかる。
臆病で優柔不断な私は、涙目になってあーだこーだ考えながらも、長い間何も決断する事が出来なかった。なんも考えていないのと同じだった。常にその場しのぎの対応を続けて勝手に疲弊していた。
ある程度追加した今も規約は本当にぼんやりしている。
私は、ぼすきーが一体何なのかわかっていなかった。

それなりの偉業
色んな人が絵文字をぼすきーに提供してくださってる中で、ぼすきーというかMisskeyの定番である「偉業」絵文字のバリエーションとして「それなりの偉業」という絵文字が申請された。
荒れがちだった当時の雰囲気に苦しんでいた事もあり、真剣に悩んだ。
ストレートな罵倒やチクチク言葉ならリアクションを付ける人も意図を持って付けるのだからかえって問題にならないだろう。しかし「それなりの偉業」は「結構いいじゃん」と軽く褒める意図でリアクションをつけて、付けられた側が「頑張ったのに"それなり"扱いをされた……」と傷つく「すれ違い」が起こる可能性が考えられるな…… などと大真面目に考えた。今振り返ると絵文字1つに考えすぎな気もする。
対策として「リアクションとして使えないようにしよう」と思い「それな」「りの」「偉業」に分割する、という強硬手段に出た。

https://voskey.icalo.net/notes/9e1difrdu5
すると、この「りの」をなんとかしようと、ぼ民達は、そういう名前のキャラクターの幻覚を見始めた。
そして「偉業りの」というキャラクターが出来る。なんやここは。ニュー速VIPか?
私は、ぼすきーが一体何なのかわかっていなかった。

https://korokoroishikor.booth.pm/items/4767764
この流れは創作を是とする私にとって心から嬉しく、感動するものだった。
しかし、同時に考えていた問題と衝突していた事もあって、悶絶することになる。
内輪ノリはどこまで
私は、ぼすきーが一体何なのかわかっていなかった。
しかし、確実に言えるのは「Twitterではない」そして「Discordではない」ということだった。
消去法によるアイデンティティ。しかし私はその確立に必死だった。今思えば、これは欲や焦りだったかもしれない。
内輪ネタならクローズドなDiscordでやればいい。ならばMisskeyサーバーであるぼすきーは、ある程度オープンである事をアイデンティティにするべきではないのか?
であれば、あまりに内輪ノリが定着すると新規の人が入りにくくなるから、出来るだけ避けたい。
その方向なら、なるべくメジャーなキャラを扱ったりすべきではないか? けれど、ユーザーモデルで独自のキャラを運営している人達もいる。誰かの渾身の一次創作を無碍にはしたくないし、それは創作の拡がりというものだ。でも絵文字登録作業に無限に手間がかかったり無制限にキャラを受け入れると収拾がつかなくなるんじゃないのか? 私はそれを受け容れられるだけの力なんて持ってないのに!
そんな事を考えてる時期に現れたのがりのちゃんである。
りのちゃんフィーバーはしばらく続き、その間はぼすきーにおいて、ずっとりのちゃんの話題が続いていた。内輪ネタの極みだ。
「合成音声のサーバーに来てみたら、謎のオリキャラについて延々と語っている」だって? そんな事が許されるのか?
私はその創作の営みの素晴らしさと、あまりに限定的な内輪ネタであるという事実の板挟みにあい、りのちゃんに対する態度をどうするか悩んだ。
悩みすぎて吐いた。これは実際に吐いた。少し遠出して食べに行ったリンガーハットのちゃんぽんを会社のトイレで戻した事を今でも鮮明に思い出せる。
結局、サラッと触れた上でりのちゃんの存在はなるべく事務的に流す事にしたのだった。
でも今は謝りたい。産まれてきてくれて嬉しかったのに無視しちゃったこと。
ごめん、りのちゃん。
神の名の下に
4月の時点で既に、私はサーバーの創設者である事から「神」と呼ばれる事が常態化していた。
これは正直言ってカルト宗教みたいな感じが強すぎるのでだいぶ嫌だった。敬意を向けられるのは嬉しいが、私はその敬意に見合うだけの力を持っておらず、返す事が出来ない。それに外の人から見たらこのノリには引く所があるだろう。「イカロが神とか呼ばせて調子こいてる」と周囲に思われたら嫌だなあとも感じていた。
「ある程度オープンである事」をアイデンティティにするとぼんやりと考え始めたが故に、これについてもどう対応しようか悩んだ。
一応、それなりに嫌がってると言うことは発言してみたが……楽しく管理人を神と呼んでネタにしている事に水を差したくもない。私は他人の楽しみに水を差すのが嫌だ。であれば、ちゃんと神をやらねばならない気がしてきてしまった*10
私にとって神とは何だろう? 理でも情でも救われぬ子羊に愛を注ぐ者? 己を虚しくして身を捧ぐ者?
ある程度「公」でなければならないだろう。そのためには自我が邪魔だな、と思った。
利益を得てはいけない。我欲を出してはいけない。交友してはいけない。距離が近すぎてはいけない。冷酷でもいけない。
何かの悪口を言ってはいけない。これは当然だ。誰かの好きを否定して傷付ける事になるから。かといって何かを熱く褒めてもいけない。悪口だけでなく「自分が嫌いなものを好きな人がいる」という事実にも人は傷付くから。苦しみを表明してもいけない。愚痴を言ってもいけない。ただ不安で不快にさせるだけなのだから。悪口を言ったり愚痴を言う人を責めてもいけない。人はその荷を解き放つ場所を求めているのだから。
であれば、私に許された発言はそれほど多くない。単なる事実・鳴き声・ボケ・配慮。これは挑戦だな。
そうやなす

https://voskey.icalo.net/notes/9fjk36tcl2
https://voskey.icalo.net/notes/9fjojwp6hh
https://voskey.icalo.net/notes/9fjp0hy57c
https://voskey.icalo.net/notes/9fjpsomzeu
そんなムチャクチャを方針に持って活動していた結果、6月頃にはだいぶ限界が来て死にそうになっていた。
で、旧友と飲みに行ってしこたま吞みまくり、色々な本音が漏れてしまっている。
力不足と優先順位を付けられず、バランスを取れない事を情けないと思い、本当はもっと馴れ馴れしくしてみたいのに距離を置いてるが、それが逆に傷付けていないか不安になる。メンヘラすぎる……どうなってんだ?
「感動はどうした?」と謎に言ってしまったのもこの時だ。
結局、自分は感動のために生きているという事を再確認して何かの指針にしようとしていたのかもしれないし、別に全然そんなことなく単に言いたかっただけなのかもしれない。
でも実際感動しないといけないですよ。コスパやタイパを重視する世の中ですが、パって感動の事ですからね、皆さん。節約の結果、感動が減るようでは話になりませんよォーッ!!
(2023/07 - 08) 目的無いのにでっかくなっちゃった!
API制限ショック!!!
忘れもしない2023年7月2日。
Twitterにて「API呼び出しの回数制限を超えました」という表示になり全然ツイートが読めないという状況が発生。
他のSNSに避難民が殺到した。Misskey.ioや ぼすきーも例外ではなく、物凄い数の新規登録者が流入した。アクティブ人口は倍以上になった。
対応してる最中はアドレナリンが出ていたのか集中して作業出来ていたが、冷静になって「とんでもないことになってきたぞ」と、またも不安に圧し潰されそうになったりしていた。
Twitterが復活すれば多くの人は戻っていくだろうと予想していたが、Twitterが復帰せずにこの状況が続いたらどうなってしまうのか?
公式系の人が参加したりもしていた。冷や汗が止まらない。ぼすきーは特にローカルで流れが速く、宣伝には向かない所があるし、当時はドライブ容量も貧弱だった。広報のルートを支えられるのか……? ああ、私がぼすきーを開設していなければ迷わずMisskey.ioにアカウントを作っていた人も大勢いたんだろう。そっちのほうが幸せだったに違いない。くそ。
レンタルサーバーの性能はスケールアップし、オブジェクトストレージを慌てて導入してドライブ容量を確保したが、それでも十分ではなかった。
私という個人ではインフラになれない。じゃあどうすればいいのか……
私は、ぼすきーが一体何なのかわかっていなかった。
公式系や有名人に対しては「管理人です~」などと話しかけたりせず、話題にもなるべく出さず、リアクションも控えたりした。
これは「公」であろうと意識していたのもあるが「ぼすきーは期待していた機能を果たせない」事に気付いて恐らく去っていく未来を容易に想像出来たためだった。出来れば後腐れなく去って欲しいし、私も「ああ、来なくなったな」と意識して悲しくなりたくなかった。この態度で「歓迎されてないな」と感じさせて悲しませていたらそれはそれで不本意だが、結果的には良かったんじゃないだろうか。
とか思ってたけど、もち子さん公式やついなちゃん公式は未だに当たり前みたいにちょくちょくぼすきーに来てくれていたりする。「なんでまだ来てるんだこいつら……?」と困惑しつつも、内心喜んでいたりする。凄いバイタリティだ。Twitter*11のサブ扱いだとしても、きっと運用は大変だろう。やめてくれよ好きになっちゃうから……
テック蛮族どもの皆さん!!!
闇のインターネットメガコーポであるさくらインターネットが支援するポッドキャスト "backspace.fm"が運営する汎用サーバー、BackspaceKey、通称ばすきーとの交友が出来たのも7月の前半頃であった。
当時のばすきーは蛮族のようにカオスで意味不明なユーザーに絵文字登録権を開放するなどの民主的な運営のサーバーであったが、そのせいでぼすきーの絵文字のいくつかが勝手にインポートされるといった事態が発生していたのだった。
「絵文字が勝手に使われてるようなのですが」という通報を受けた時は「ついにこの時が来たか……!」と思った。Misskeyの機能的にある程度予想できた事ではあったのだ。権利関係について厳密に扱おうにも、インターネット上で「コピー」を防ぐ事は純粋に難しく、管理者であっても他サーバーの領域に対して取れる対応手段は限られる。
幸い、ばすきー管理者のKanaruさんはとてもしっかりとされた方で、この件について連絡をした所、とても誠実に対応してくださった。絵文字を勝手に使った人にも悪意は無かったようだ。とはいえ悪意なく出来てしまう仕組みはトラブルのもとだな、と思いつつ、この件については丸く収める事が出来た。
絵文字の権利関係を曖昧なまま進めていた事が表面化したということだ。実効的に他サーバーでの利用をコントロールする仕組みをどの程度構築出来るかはわからないが、少なくともユーザーにリスクを周知し、仕組みを整える必要があると感じた。
これも後手後手だが、結局私は大した知性を持たないので現実にトラブルに直面するまで「どうすべきか」がリアルにイメージ出来ないのだ。
この一件がその後の絵文字関係のライセンス周りの整理に影響を与える事になった。この後も私は権利関係で悩み続ける事になる。
ばすきーの皆さんとは、今でもちょいちょい交流があり、たまに謎の文化交換が発生している。
分散型SNSも色々大変だけど、こういうのを見るとやっぱり面白いな、と感じるのだった。
通報と敵意
人が増えて、以前にも増して通報が増えるようになった。
Twitterの通報機能がどうなってるかは知らないが、Misskeyの通報機能については簡単に説明出来る。「運営にお手紙が届く」基本的にはそれだけである。その後の対応は運営に委ねられる。つまり、モデレータがいなかった時期は全部イカロにメッセージが届いていただけだった。
通報の半分ほどは規約などに則った指摘やスパム対応など。残りの半分は「あいつが暴言を吐いている」「あいつが悪口を言っている」といった内容の報告である。
正直、後者についてはそれで私に何をして欲しいんだ、という気持ちであった。一緒にその人を責めて欲しいのだろうか? どうして個人的な嫌悪感情にイカロを巻き込もうとするのか? 管理業務で個人的に一番キツいのがこれであった。喧嘩に巻き込もうとしないで欲しい。ミュートブロックで対応して欲しい。スルーしてしまう事も多かったが、一応軽く対応する事もちょこちょこあった。ただ極端に厳しい対応をしたことはいまだ一度もない。
通報は少なくとも読まないと「対応済み」に出来ないので「誰が誰の事を怒っている」といった情報を私が個人的かつ強制的に意識せざるを得ない。そういった敵意を浴びすぎて、私視点だと常に大勢のユーザーが互いに怒り狂っているように見えてしまうのだった。特に7月の流入期はそういうのが多かったように記憶している。
とはいえ、とはいえだ。「こんなつまらん事で通報するな」と私が怒るのも違うんじゃないか? 私が通報を躊躇させるような発言をするのはどうなんだ? 単に私だけが黙って判断して捌けば済むのだ……当時の私はそう考えていた。
でもよく考えたらあの頃もアクティブ200人程度の規模だったんだよな。9割がミュートブロックで対応してくれても、イカロ1人で残りの20人の争いの調停に入る必要がある計算だ。荒れた学校の教員みたいなものだ。
モデレーターを缶に詰めようかな
そもそも私はAPI制限による流入で人が増える以前からだいぶ孤独で限界に近かった。
そこにスッとやってきて色々と支援をしてくださったのが、みそさんであった。みそさんは問題になりそうな所を把握し、整理し、草案を作ってくれ、何より私の考えを物凄く的確に理解してくれた。しかも私に不足しているLinuxやWeb系の技術に関する造詣も深かった。
「な、なんでこんな優れた人材が私を無償で支援してくれるのか……??????」と完全に困惑していたが、疲れ切った私は完全にみそさんを頼りにしまくっていた。
みそさんは「自分だけがイカロさんに直接意見を出せるのは不健全だから」と、モデレータを増やそうと提案した。恐ろしく真っ当な提案だが、運営側に人を増やせば不確定要素が増える。恐ろしく怖すぎる。私は誰かに頼るのが苦手だ。上手く人を信用して任せる度量が無いだけだが、出来るだけ自分だけでやってしまおうとする。しかし、API制限ショックでユーザーが増えたのでそうも言ってられなくなった。
とりあえず他サーバー(nicomedkey.cc)管理者で「モデレータ募集するなら立候補しよっかな~」などと言ってたウボァーさん(このアドカレの主催でもある)は直接スカウトして缶詰にして*12、他の方は公募する事にした。

https://voskey.icalo.net/notes/9horzgmafj
すると20人以上の応募者が集まった。「人が多ければ除外していいっすよ」と言ってる人は遠慮なく除外したり、ぼすきーにいる時間がばらけるようにしたが、選ぶのが本当にしんどいのでかなりダイスに頼った。*13結局追加で5名採用し、みそさんとウボァーさんを加えて7名のモデレーター+イカロで運営していく感じになった。
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結果として、どうだったのか?
モデレーターの皆さんは、ちょっとイカロには勿体ないくらいとてつもなく良い仕事をしてくださっている。
具体的に言い出すと凄い長さになりそうなので止めておくが本当に感謝している。
特に9月以降は、もはやモデレータの皆さんがいないと完全に回っていなかっただろう。頼り切りだ。感謝してもし切れない。
クリティカルな決断はイカロが目を通してGOを出したりしているが、モデレータの皆さんは自発的に考えて色々動いてくださっていたりする。*14
モデレータはボランティアだ。私は何の報酬も出していない。本来働かないのがデフォルトなのだ。ぼ民の皆さんは私はともかくモデレータの皆さんには感謝するのがよろしいですことよ。対応が遅くてもマジで優しくしてあげて欲しい。
(2023/09) 仕事の増加と体調の限界
「何の判断もしたくないしSNSも見たくない期」
しばらくモデレータの皆さんに指示を出したりしていたが、9月に入ると、助けてくれる人が複数いる状況で安心したからか、反動でピキピキと心が折れ始める。
同時に、仕事の業務が増え始めた。4月~8月はかなり落ち着いていたのだが、10月以降から年度半期の境界で色々状況が変わり、若干前倒しで9月から忙しくなり始めていた。
純粋に死ぬほど忙しいというほどではなかったが、正直ぼすきーの管理と両立するのは厳しい感じだった。いや、どうだろう。わからない。業務量が増えたのを言い訳に「何の判断もしたくないしSNSも見たくない期」に入ってしまう事を正当化したかったのかもしれない。まあ実際、帰宅即就寝みたいな生活だったからだいぶしんどかったのだが、スマホぐらいは見ようと思えば見れただろう。ただ私はツラすぎて通知を切ってしまっていた。ぼすきーだけでなく、TwitterやDiscordのアイコンを見るだけで吐き気がした。何も考えたくなかった。
私は、ぼすきーが一体何なのかわからないままだった。
ただ、この時期、モデレータの皆さんは不安だっただろう。本当に申し訳ない。焼肉とか奢った方がいいっすか?
ボイスコネクト3へ
9/30開催のボイスコネクト3にも行けるかどうか微妙な所だった(これは業務的にもメンタル的にも)が、普通に休みを取れたので飛行機の予約は取り消さずに済んだ。
長いこと放置して気まずかった。一応冷静に考えたら普通に仕事のせいではあるが、主観的には単にサボっていたような気分だった。とりあえずモデレータの皆さんに詫び、なんとか復活した。
ボイスコネクト3では、実際にみそさんにお会いできた。お礼と謝罪をしてその後、お酒を飲んだりした。何人かのぼすきー関係の人にも会った。ただ、大勢のぼ民が集まってる空間にはどうしても近付けなかった。「あ、あの格好、あの人達かぁ」と思いながら心臓をバクバクさせ産業プラザの横の空間を通り過ぎた。
まったく、これでは神ではなく無だ。しかし神というのは虚なのかもしれない。己を虚しくして。
感動はどうした?
(2023/10-11) 低空飛行と動画投稿者としての復帰
考えを改め動画投稿し太郎
多くの人に迷惑をかけて、ボイスコネクトの刺激を受けて、考えを改めつつある。やはり神をやるのは無理だ。もうちょっと気楽にやらないと壊れる。
というか「勝手に無理して勝手に壊れる」は会社でも既にやらかして病院送りの経験済みなのだ。流石に経験をセルフ管理メントに活かさねばなるまい。
そもそも、誰に望まれたわけでもない部分で信じがたいほど無駄に苦しんでいるのがバカすぎる。もうちょっと有意義に苦しみたいよね。
「気楽にやる」の実践ということで、動画投稿を再開してみようと思った。
管理業務の大部分は引き続きモデレータの皆さんに甘えつつ、久々に編集作業をするのだ。
(今考えるともっと他にやる事があるだろうという気もしたが、これをやり遂げないと他の事が出来ないように感じられた)
そうして出来上がったのがこれである。
www.nicovideo.jp
気楽にと考えてた割には我ながらバランス崩壊と力みっぷりが酷い動画だ。
「ちょっと具体的にCOEIROINKを紹介する感じの動画にしたら喜ぶ人が多いかな」という素朴な発想から始めたのだが、アレもやりたい、これもやりたいと思いついてハードルを上げ続けだいぶアレな事になった。無駄にお金もかかっている。
動画の7:00以降はもちろんだが、実は一番お金と手間がかかっているのはオマケの15秒だったりする。
何せMYCOEを作ったのだ。コンデンサマイクも買ったし、iZotope RXの使い方も勉強した。疑問文に対応するために652文を数日かけて収録し、全音声に対してノイズ除去を行い、Google Colaboratoryにも課金した。
別に自分の合成音声が欲しいわけではなかったが、ぼすきーにMYCOEを作ってる方が多かったから、理解するためにやってみるのは悪くないなと思った。
MYCOEが出来た時はちょっと面白くて感動したが、しかし、現状配布する気は無い。改めて「声に魅力が無いな……」と思ったし、自分の声はやっぱり苦手だ。あと配布したら皆さん悪用しますよね? あくまで私は今回の動画のためだけにこのMYCOEを作ったのだ。
もうちょっと余裕があれば多少凝った劇場をやるつもりだったが、全然余裕が無かった。11月半ばに熱出して寝込んでたのが痛い。動画の5:30以降のパートは、もうちょっと色んなMYCOEの人達を紹介する予定であった。可能ならりのちゃんも使いたかった。やりたい事を全て詰め込めなくて悲しい。本当にギリギリに投稿してこれだ。でも締め切りのパワーに頼っている以上、こういう事態は受け入れなければいけない。
あと関係ないがこの頃、地味に家族と長期間激しく喧嘩していた。11月はこれがキツかった。
もっと力抜けよ
流石にそろそろ反省すべきだ。結局気楽に出来てない。
振り返ってみるとわかるが、昨今のイカロは、ずっと力み続けている。不必要に全力を出し続けている。隠してる実力など全然無く、ネットに出ているのが私の全てだ。あの程度で? 無論あの程度が全力だ。全力出さないと感動出来ないし感動出来なきゃ何やっててもしょうがねえだろ。しょうがねえことねえだろアホ。いい加減そういうのやめたら? 流石にもういいトシなのだから、ほどほどのペースでコンスタントに続けるやり方を覚えないといけない。
だいたい神ってなんだよ、神になる事を目指すとあなたも狂います。やがて狂いたい人向けにオススメの目標、それが神だ。あるいは目指そうとした時点で狂ってるのかもしれないが、少なくとも私はずっと正常なつもりで2023年を生きてきた。
しかしこのままでは2024年を生き抜ける気がしないので、どう考えても方針転換が必要です。もっと肩の力を抜きましょう。
今後のぼすきーについて
でも……楽しかったよね?
なんか最終的にめっちゃ苦しんでるような感じの書きっぷりになってきたが、2023年12月現在のイカロはあまり懲りておらず、別のアプローチでぼすきーを続ける気満々である。酷い目に遭うのは動画作ってる時も似たようなものだし、ここで辞めては勿体ない。
思い知ったのは、私は「ほどほど」が超苦手という事だ。壊滅的だ。しかしそれを身に付ける必要性に迫られている。身に着けよう2024年。
2024年のぼすきーは「ほどほど」でいく。
まずは長続きする場を目指します。
意識して神である事は辞めていく。そもそもなんでこんなアホな方針が立ってるんだ? 愚かすぎる。本当にどうしようもないな。
「公」を意識することも一旦やめる。イカロの個人的な好みやワガママが出るようになるかもしれない。また、言動のカス度も上がると思われるがご了承願いたい。継続出来るよう、肩の力を抜くつもりなので、ダラダラしたりつまんなかったり対応が遅かったりする事もありそうだが……別にこれは今までと大差無いかもしれん。今までも遅かったからね。どうだろう? まあモデレーターの皆さんが頑張ってくれるよね!!!
ぼすきーが一体何なのか今でもよくわかっていない。そもそも私が決めてないのだから、ぼすきーは何者でもないように見えた。
皆さんにとってはどうですか?
アドベント(ADVENT)の語源であるラテン語のアドベントゥス(ADVENTUS)は「来臨」「到来」を意味する。
クリスマスは神の生誕を祝うものなのだから、ADVENTは神を待つ期間なのである。
しかし、お伝えしなければならない事がある。今日、神は来ない。
ぼすきーに神はいないからだ。
今はくたびれたコアラが在るのみ。
*1:窓を開くと、なんと可愛らしいイラストや美味しいお菓子が出てきちゃうのだ!
*3:Twitter公式と無関係の個人や組織が独自に開発した、という意味
*4:出来る事なら「有料プランならサードパーティクライアントを使える」みたいな形になってくれれば、と期待していた事はあるが、現実的には色んな抜け道が残るだろうし制御困難だから一律禁止以外の選択肢は無かったのだろう
*5:様々なサードパーティのツールがTwitterの集客に繋がっていたのに、ユーザが増えたら切り捨てるのか、という批判は別に存在するが、私は単に利用していただけの人間なのでなんとも言えない
*8:いとーじさんとは物凄く親交があるというわけではなく、基本的には私がいとーじさんの曲や企画(「ぼいろあんさんぶる」「うたえぼ」等)の一方的なファンという感じ
*9:3週間かかった。
*10:何故? いや……何故だろう
*11:オット! 今はXだったかな……フフ……
*12:管理人のアカウントがsavacanだったので、なんとなくみそさんをmisocanにして美味しそうだったということで。その流れで何故か「モデレーターは缶に詰める」という雰囲気が出来上がった
*13:ダイスに理由を押し付けても、協力を申し出てくれる方々を拒否るのは結構つらい
自作の動画の話:ハイ、どうぞ!
「ハイ、どうぞ!」という名前の缶詰を使った料理の動画。
2020缶詰祭に投稿した。主催はNagiさん。
祭自体の元ネタとなっているのはNagiさんの「○○で炊き込みご飯」シリーズである。
半分以上は「缶詰で炊き込みご飯」であるため東北きりかんとも呼ばれていた(缶詰の次に多いのは瓶詰で、たまに鍋の素なんかの時もある)
ごはんのおかずにして旨い缶詰を一緒に炊き込めば当然旨い。お手軽で真似してみたくなるのも魅力だ。
Nagiさんはこの後にも「悪いことしましょう♪」といったインパクトのあるシリーズを出していたが「『(シリーズ名)の人』と呼ばれるのは嬉しいけど、でもそれを塗り替えるような別のシリーズを始めたくなる」といった事を語っておられた。私も全煮に関しては近い感情があるし、そういうものなのかもしれない。
火山杯の缶詰
nlab.itmedia.co.jp
「ハイ、どうぞ!」は火山杯の缶詰である。
鹿児島県の桜島から降り注いだ灰を振るいにかけて缶に詰めた、言ってしまえばジョークグッズだ。
お土産としてこんな缶詰を貰ったらそこそこ処分に困る。「火山灰が存在するだけで結構困る」という苦悩を体験として伝えたいという事らしい。迷惑だが印象に残る面白いコンセプトだ。
改めて地図で桜島を見ると、県庁所在地である鹿児島市との異常な近さに笑ってしまう。そりゃ灰も降る。*1
これほどの活火山がそばにある大都市はイタリアのナポリぐらいだろうか? どっちもそこそこ最近噴火で死者まで出ているファンキーな都市である。やっぱ薩摩の連中ってイカれてんだな……と思いそうになったがよく考えたら肥後の連中も阿蘇山のカルデラの中に牧場とか温泉とか営んでるのでこの点はどっこいかもしれない。*2
缶詰と料理の選定
「缶詰を使って料理」というお題だが、例によって私の料理スキルは低くネタを仕込もうとばかり考えていたので「缶詰自体が変」というのは方向性の1つとして必然的に浮かんだ。
しかし、変わった缶詰といっても、熊本県民が手に入れられる珍しい缶詰など通販で揃えられる程度のものしか無さそうだ。本当にニッチで珍しいものというのは基本的には東京や大阪のような大都会に集まるものだ。「ちょっと珍しい食材」程度ではインパクトにも乏しいし、そもそも珍しい食材を適切に扱えるだろうか?
悩んでいた時、缶詰祭の告知動画で「火山灰の缶詰や空気の缶詰あたりが来そう」というようなコメントを見かけた。ねとらぼでそんな記事*3を読んだ事があった気がする。
なるほどネタとしてはわかりやすいが、しかし一応キッチン動画なのだから料理という枠組みの中で真面目に作りたい気持ちもある。軸から外すユーモアというのは軸を明確に立ててこそ活きるものだし、そういう意味でも美味しいものを目指したい。
とはいえ、一応そのへんを題材にするとしたらどうなるか考えてみよう。
そういえば「缶詰を使って」という記述はあれど「缶詰の中にあるものを必ず食べなければならない」とは書いてないので、非食品の缶詰をちゃんとした調理の道具に用いる、というのは解として悪くない。何より意表を突ける……むしろ意表の突き方としてはありきたりかもしれないくらいだな。発想までは誰でも出来そうだ。
しかしそもそも、火山灰を料理に利用なんて可能なのか? 少し検索してみる。
灰ころがしや灰を含んだピザ、は、木・草など有機物を燃やして出来た灰を利用している。
火山灰は砂のようなもので無機物だから、灰という字は同じでも組成的には別物だ。有機物が酸化され尽くした灰であれば、焦げた食品とカテゴリ的には変わらない。しかし無機物は単純に吸収されないので舌でも物理的な刺激しか感じる事は出来ない。*4
性質が違いすぎるので、灰ではなくあくまで「火山灰」のレシピでなければ通用しないだろう。
……などと考えながら探してたら意外と早い段階で出てきた。鹿児島には桜島灰干しというものがあるそうだ。
なんだ、郷土料理として定着してる程度には有名な料理が存在しているのか。であれば、ここまで辿り着く人は想像よりもかなり多いかもしれない。
といっても、手順もぼんやりとしか公開されてないし実際にこれを作ってみた事がある人はそれほどいないんじゃないか。
うーん、どうだろう……
- 非食品の缶詰を用いる→火山灰干しを選定するという発想
- 手順の明確でない料理を作り、動画化しようという気力がある
- 実際に火山灰の缶詰を調達出来て手間や資金面のコストを受容出来る
1つ2つはクリア出来ても、全てをクリア出来る人はいないのではないか? これなら被ったりする危険は無いのではないか? イケるんじゃないか?
「おつまみ」を作れという祭で「塩」を生成する動画を投稿した時も「発想自体はありきたりだから被るかも」と心配していたが杞憂だったではないか。*5
www.nicovideo.jp
ネタ被り
すると、見事にネタ被りしてしまった。
www.nicovideo.jp
「たかお@変なキッチン」さんである。シンガポール等のインドシナ方面? の料理動画を主に投稿されていた方だが、突然火山灰料理を投稿されていた。
ボイロ勢ではないが、はっきり言うと料理の旨そうさも映像の美しさでも明らかに私より氏の方が上である。あと投稿タイミングも先だ。
デカいサーモン、キッチンペーパーで綺麗に処理され油の輝きまで綺麗に映ってる映像、そして色調の暖かさ。*6 明らかに負けたと感じた。
投稿前に左上の緑枠書いてるあたりで存在に気付き「う、うわー、やっちまったー!」と思ったものである。
ネタは被ったけれど
「独自路線の変なネタをやって驚かせねばならない」という強迫観念に捕らわれて奇行を繰り返していた私にとって、この「ネタ被り」は非常に大きなミスだと感じ、とても憂鬱だった。しかし視聴者や周囲の投稿者の反応は違った。
少し考えればわかる事だが「火山灰の缶詰を利用して干物を作ろうとした動画が、別々の2人の投稿者からほぼ同時期に投稿された」という事実は単にそれだけで面白い。古代の2ちゃんねるならケコーンと呼ばれてネタにされるものだ。自分の事なので気づくのが少し遅れたが、被る事で発生する面白みというのも存在するし、そして何より同じ題材を扱っても、作者が違えば全然違う動画・全然違う面白さになるのだ。
灰かぶっちゃった結婚などとも言われた。誰がうまいことを事を言えといった。
安易なネタで被っても面白い、よく考えて練ったネタが何故か偶然被るのはもっと面白い。「全くの新しい発想です!」と新規性を売りにお出ししている場合を除き、どちらかというとネタはむしろ被ったほうが面白いのである。*7
私はこの経験から、ネタが被ることそれ自体をあまり気にしなくなった。被ったらそれもまとめてネタにすればよい。自分の動画が単品として面白くなるように作りこみさえすれば、あとはどうにでなる。
取り上げて頂く
live.nicovideo.jp
投稿から2週間後、週刊ニコニコインフォ 第17号で この動画を取り上げて頂いた。
14:30時点から取り上げてもらっていた。久々に見返したなあ。
私は「バーチャルさんはみている」という、VTuberが沢山出てくる、ドワンゴ提供でニコニコみ溢れる謎のコメディ番組を以前に視聴していたのだが、百花繚乱氏はその番組の司会でもあったのでキャラを多少理解していた。
栗田代表の事はよく知らなかったが、私の動画に乗っかって軽いジョークをかましてくれたので好感を持ったものだった。
コメントとしては軽くボケをかましつつ、缶詰祭自体の宣伝と、その後に開催された謝米祭の宣伝を行っている。
缶詰祭主催のNagiさんや謝米祭主催の天ぷら饅頭さんに「宣伝して構わないか」と許可を取りに行くのに緊張したのを覚えている。
そして、被っちゃったお相手のたかおさんも、投稿から1年半以上後という不思議なタイミングでニコニコニュースで取り上げられていた。
どうしても火山灰缶詰の炎を絶やしたくない勢力がいるようだな。
originalnews.nico
しかし、とても良い経験・思い出になった。
動画投稿を通して繋がった縁というのが面白くて、自分にとっても大切なものなのだ、という事は漠然と感じていたが、この動画を境に強く意識し始めた所はある。
余談
缶詰の調達
ちなみに、鹿児島は隣県であるが、そう気軽に行けるほど熊本から近いわけでもない。
私は原付しか持っていないので高速道路も利用出来ない。休日を丸一日潰して鹿児島に行き缶詰を買って帰るか? 仮に鹿児島に行って道の駅や土産物屋を巡ったとしても必ず手に入るとは限らない。
あと時期的にはコロナの第二波が決定的に大流行していて、ワクチンもなく、まだ先行きも見えてなかった頃である。あんまり遠出もしたくない。
と、くれば通販だが、こんなローカルなものをネットで売っている場所があるか……? と検索してみたら、なんとメルカリで出品している人がいた。
鹿児島での定価は100円のところ、送料込み777円なり。一般的な需要は無いだろうし送料込みなら値段はこんなものだろう。自分で鹿児島に行けばガソリン代にも足りないのだから手に入るだけありがたい。
これを買うためだけにメルカリに登録し、それ以降すっかり利用していない。*8Twitterアカウントから作ろうとしたりメールアドレスとも紐づけようとしたり色々な手順で認証しようとしたせいで何かアカウントの登録が妙な事になり手間取った事を覚えている。
当時メルカリに出品されていたのはほとんどSOLDで、買えたのはこの1つだけだった。
試作のため、量のために2,3個くらい確保したかったのだが……という事で、今回の火山灰干しは試作なしの一発勝負である。
一緒に作った一夜干しの方は少し試作したが、試作の時点でほぼ完璧だった。簡単な割に旨いので動画と関係なく魚を干すのはオススメである。
実際の干物の感想
動画でも触れてるが、今回できた火山灰干しは、しっとりと言えば聞こえはいいが乾燥が足りていない。味は悪くなかったが干物感は無かった。
もっとちゃんとした容器で、もっと多くの灰で、あと不織布とセロハンは片方無くしてもっと積極的に灰に湿気を吸わせるようにした方が明らかに「干し」としてのクオリティが上がったはずである。セロハンもダイソーじゃなくて食品用を用意するのだ。
今なら確実にもっと上手くやれる気がする。機会があれば再挑戦したいが、わざわざ「やるぞ」という気力が湧くほどではない。微妙な気持である。
本当の余談(チャーハン動画の構想)
缶詰祭の後に、天ぷら饅頭さん主催の「謝米祭」、つまりコメをテーマとした祭……に投稿しようと思ってチャーハンを作る動画を10本以上撮影していたのだが、全てお蔵入りになり、1本も投稿出来ていない。
私のシリーズに動画を1本も含んでいない「チャーハン」というシリーズがあるのだが、それはこの名残である。
全煮以外のうまいフォーマットを思いつけなかったのが敗因。他にもかなりお蔵入りしたシリーズはある。
この頃になると「気合の入ったものを出さないとダメだ」と完璧主義が発動し、駄作を出す勇気が出てこなくて、作っては消しのスランプに陥っていた。
勢いで出して、それから展開するほうが明らかによいと全煮で学んだはずなのだが。
また、仕事が忙しくなった事も重なり、この動画が投稿された2020/10/10から半年後の2021/5/5のN1グランプリまで、キッチン動画を投稿していない期間となったのだった。
*1:この缶詰は鹿児島市ではなく桜島を挟んでむかいにある垂水市で作られたものだが距離的には大差ない
*2:亡くなった祖父は阿蘇に暮らしていたのだが、遊びにいった時は壁に火山防災マップが貼ってあったのが印象的だった。これくらいの噴火が起こったら石はこれくらい、灰はこれくらいの地点まで飛ぶ、という地図があるのだ
*3:この日記の冒頭からリンクしているもの
*4:ミネラルって普通は砂より圧倒的に細かい粒子が食品に溶けたものを食べるものだ。伏見さんは琥珀を食べていたが、琥珀は樹液の塊なので何気に有機物枠だったりする
*5:これはネタでもなんでもなく海水を調達出来るなら実行も容易なので1人は出ると本気で思っていた
*6:この時点の私は「色調補正」という概念すら知らなかった
*7:明確に前後関係があってパロディやオマージュとしてやるという場合や、技術研究やRTAなど競争的要素が含まれている場合は、また違った文脈になる
*8:何故か? 大体のものは楽天で買っているためだ。でもまあ変なものを手に入れたくなったらまた利用する事もあるかもしれない