もういちど始めること

もしかして、本当に気が乗らない今このときしか無いんじゃないだろうか?

なるほどね

というのも、まとまった文章を書きとめる場所が欲しかったのだ。

元々書きたい事が沢山ある方ではなかったけれど、動画投稿なんかを始めたせいでアウトプットの悦びを知ってしまったのが運の尽きだ。
やりたい事は沢山ある。ただ、とりあえず今出力したいのは文章だ。文章を置ける場所を用意しよう。
こうしてブログを始める事となった。ちょうど新年でもあるし何か新しい事を始めるには良い時節なんだろう。

Twitterでいいんじゃないの

これまでの文字情報の出力先はTwitterだったのだが、いくらか満足出来ない点が出てきた。

  • 書ける文字が少なすぎる
  • 人が多すぎる
  • 流れが速すぎる
書ける文字が少なすぎる

Twitterの1ツイートは140文字、日本語で一息で読める文章を書くには丁度いいサイズだ。
推敲せずにダラダラと書けばすぐに文字数に引っかかるので、1ツイートで済ませようとするならある程度要点を整理する必要がある。
私なんかは140文字パンパンに情報を詰め込んで書きがちである。

更に言えば、ツイートとしての美しさという点を考慮すると実質的にはもうちょっと短くなると感じる。
画像も動画も無しの文字だけで輝くキレがいいツイート、パンチラインというのはしばしば50文字にも満たない。短文ツイートとエアリプを連発し、ほどほどにRTをするタイプのアカウントを見かけると「こなれたツイ廃だな」という印象を受ける。
こなれたツイ廃は同じトピックに対する発言であってもツリーを繋げたりなんかしない。なので過去のツイートがRTされてきたり検索で1ツイートだけ引っかかったとしても前後の文脈が即座にわからない事も多い。しかしTwitterはそれでいいのだ。文脈のわかりづらい曖昧な情報の流れに身を任せる。ツイ廃の粋である。

しかし私は出来る限りは文脈を残したい、という気持ちを持っている。何故文脈を残したいのかは自分でもわからないがとにかくそう思っている。
なのでTwitterで140文字ギリギリの独り言をツリー形式で3,4ツイート繋げたりする始末である。特別に語りたい情報量の多い出来事があったとか学者や記者がまとめた情報を連ツイしてるというならともかく、私は単なる独り言で頻繁にそういう事をやる。無粋だな、と感じる。*1
「そういうのはブログにでも書けばよい」と前々から思っていた。ようやくそうする事にしよう。

人が多すぎる

Twitterは1つのサービスの中に巨大なネットワークが形成されており、本当に全然繋がりのない人にもうっかり発言が届いちゃったりする。
拡散力という点では強力無比な特性だが、これは同時にリスクでもある。
簡単に言うなら炎上のリスクだが、たとえ炎上とまでいかなくとも「文脈を共有していない無数の人に見られ、突然いっちょ噛みされる」というのは、これは正直言って結構苦手だ。かなり苦手だ。

敵対的な反応をされて嫌な気持ちになるのは大抵の人がそうだろうが「ピント外れだが謎に友好的」というのもそこそこ不安なものだ。*2
人が増えれば増えるほど、拡散先が私から遠ければ遠いほどそういうのは増える、ように観測される。

動画投稿者などやって、観てくださる方・Twitterをフォローまでしてくれるような方も増えた。
投稿を通じて、友人と呼びたい人(私は友人と思っている)も増えて、そういう人達に結構なフォロワーがいたりする、みたいな繋がりも増えた。*3
それ自体は光栄で、ありがたく、反応があるのはやっぱり嬉しいことだ。

けれど最近は怖くもある。
フォロワー1,000は自慢するほど多くはないが、無視出来るほど少なくもない。
そもそもicalo35は本来、動画投稿者や発信者として作られたアカウントではなく、大した主義主張や党派性もなく、インターネット上に置いたしょうもない一個人の人格である。概ねリア垢である。
リア垢な上に10年以上イカロをやっているため、リアルの私の人格とほとんど完全に癒着している。
アイコンを見れば鏡を見た時のように「ああこれは私だ」と認識する。
そして、一応作品として覚悟して出している動画と違って、ツイートは幾分垂れ流しなのだ。

今後も動画投稿を続けていきたい以上、一旦どこかで人格を区切らないとおかしくなる気がした。
このブログは その整理の第一歩だ。

流れが速すぎる

Twitterの速報性は凄まじく、話題の消費速度は尋常ではない。
継続してネタが提供され続けない限り、大抵は半日もせず語り尽くされてしまう。
個人のレベルで深掘りし続けている人はいるものの、多人数のクラスタで1週間も持続する話題はほぼ存在しない。*4
しかし異様に同じ話題を繰り返したりもしており、仮にTwitter民を個人として擬人化したらほとんどヤバいお爺ちゃんである。

すぐ忘れるのと同じ話を繰り返すのはコインの裏表であり、これは結局、情報がストックされにくいこと、流動的すぎる事が原因なのだろう。
これは個人的な好みもあるが、情報は深掘りされ、整理され、ストックされていった方がよいと私は感じている。

技術がどれだけ発達しても、人間の認知速度はそれほど変わらない。
情報があふれても、丁寧に理解を深められる物事の数には限界がある。
話題にただ反応するだけではなく文脈と思考を積み重ねていく方がきっと楽しい。
この方が私の性に合っているんじゃないか? 本当に今更の気付きだった。

何を書く予定か

ダラダラと書いてしまったが、Twitterでもこんなもんだからまあいいだろう。
こういう目的意識は一応あるのだが、ぶっちゃけこのブログは大して面白くも有意義にもなりそうにないし、そうしたいとも思っていない。
ネット上に公開して誰でも見られる状態にはするが、しかし基本的には動画より過疎っている方が嬉しい(動画は面白くしようとは思っているのでちょっとくらいは観て貰った方が嬉しい)
なのでTwitterや動画からリンクを張ったりとかはとりあえずやめておこう。
すぐ飽きて更新止まっても恥ずかしいしね。

書いていくのは、ちょっと考えた事とか、個人的な日記とか、投稿した動画の裏話とか、没ネタとか、技術的なメモとかにする予定だ。
つまり大半はしょうもないのだが、技術的なメモだけは「困った時に検索して引っかかった知らん人のブログ記事の内容に助けられた」みたいなタイプのアレにしていきたいものだ。


インターネットに触れて「創作をしている人は素敵だな」とぼんやり憧れたまま何もせずイカロになるまで10年以上かかった。
イカロになってから、動画を投稿し始めるまでにも10年かかっている。
すべての日記を書き終えるまで、あと何年?

大切な事は ゆっくりとしか変えられない。本当に、私の場合は。

*1:何が"粋"か、という規範は強く持っているのに、自分自身でそれを実践しようとしないという精神性にも少々疑問がある

*2:この文を読んで「自分はピント外れた事を言ってないだろうか」と不安になれるようなタイプの人は問題無い

*3:単純なフォロワー数から計測しづらい間接的な拡散力の増加を意味している

*4:この点、放映中のアニメや連載漫画、ソシャゲは供給が定期的にあるので強いよね